第88話 地獄の再会
「それじゃあ、1度悠真ちゃんのところに戻ります。すぐに近くにいますから、何かあったら駆けつけますからね」
「え……悠真、すぐ近くにいるの?」
「はい。悠真ちゃんと……正確には葵ちゃん達のパパが買った別荘がこの近くにあるそうです。夏休みのバカンスでしばらくこちらに滞在してます」
「そう、なんだね……」
朝食が終わり、胡桃ちゃんに迎えの車がやってきたところでアパートの前で話し込む。
胡桃ちゃんは私の目を真っ直ぐに見て、真剣な、それでいて穏やかな笑みを浮かべながら訪ねた。
「会いたい……ですか、悠真ちゃんに」
「それは……」
会いたい……。会って直接謝りたい。
だけど、それはしないと誓ったんだ。
私は首を横に振る。
「ううん。私は、悠真には会わない。お詫びは、行動と結果で示しますと、お伝えください」
「分かりました。これ、胡桃のスマホのアドレスと番号です。何かあったらすぐに連絡してくださいね。必ず力になりますから」
「うん。ありがとう」
そうして胡桃ちゃんは去って行った。
まるで嵐のように……。桃色の暴風をまき散らして、私の心に巣食った悪い物を全部吹き飛ばしてくれた。
本当に……感謝しかなかった。
◇◇◇
「おはようございますっ」
胡桃ちゃんと別れた私は、爽快な気分でお店に出勤した。
挨拶の声も心なしか軽く明るくなった気がする。
「あらおはよう凪沙ちゃん。なんかいい事でもあったの?」
「おはようございます佐藤さん。ええ、実は、地元から友達が訪ねてきてくれて、さっきまで一緒にいたんです」
「そうなの。よかったわね! いつも一人で頑張ってる感じがしたから、心配してたのよ」
「はい。実はちょっと寂しかったです」
「今度うちの娘を紹介するわ。ちょうど高校生になったばかりでね。仲良くしてやって」
「ありがとうございます。是非お願いします」
「ふふふ、なんだか本当に変わったわね。明るくなったというか、棘みたいなものが取れた感じがするわ」
「え、わ、私ってそんなにとげとげしかったですか?」
「ううん、違うわ。働く事以外はしないぞって感じで、一線を引いてる感じがしてたの。なんだかそういう感じがなくなった気がするのよね」
「そう……かもしれません。少しいい事があったので、心が軽くなりました」
「うんうん。素晴らしいわね。この調子で副店長ともラブラブになりましょうね!」
「そ、それは気が早いですって……あ」
口に出した言葉は取り消せない。佐藤さんは言質を取ったと言わんばかりに奇妙な声を出し始めた。
「ほほうっほほほほほほほうぅうう!! 聞いたわよー! 今の言質とったわよ! ねえみんな!」
「「「いえーい!!」」」
「ひえっ!?」
女子更衣室にいたパートさんがこぞって声を上げる。
いつの間にか、普段はいないはずのパートさん達までが全員集まって場を盛り上げていた。
結局、副店長と週末にデートに行くことまで白状させられてしまい、お祭り騒ぎに拍車が掛かってしまったのだった。
◇◇◇
翌日……。いよいよデート前日がやってきた。
約束のデートは明日に迫っていた。
「お疲れ様でした副店長」
「お疲れ様です……な、凪沙さん」
「ふふ、名前呼ぶだけでそんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「す、すみません……慣れてなくて」
副店長とのやり取りは、とても心地良くて温かった。
周りのパートさん達の好奇の目もあったけど、それすら心をウキウキさせる一因に思えてくる。
周りのパートさん達は四六時中ニヤニヤとしていた。
そんな人間関係が心地良かった。
だから……油断してた。
私の贖罪は、まだまだ終わらせちゃいけないんだということを、知らしめられているような気がした。
◇◇◇
「お疲れ様凪沙ちゃん。今日もありがとうね」
「お疲れ様です女将さん」
「今日は新作メニューのサンプル作ったんだけど、よかったら持っていって」
「ありがとうございます。いつもすみません」
今日も居酒屋でバイト。
女将さんは以前に副店長がやってきて以来、何かと彼との関係を気に掛けてくるようになった。
この人も佐藤さん達と一緒で圧力が強いので、副店長とのデートを白状させられてしまった。
明日はデート当日ということで、いつもはラストまでのバイトを22時には上がるように厳命されてしまったのだ。
「それじゃすみません。お先に失礼します」
「お疲れ様~。デート頑張ってきてね!」
「だからそういうんじゃないですってば!」
とはいっても、私の気分はすっかりデートだった。
過去を知られる事に恐怖はあるけど、あの人なら受け入れてくれる。
そんな気がしていた。
だから、気がつかなかった……。
《《アイツ》》が、すぐ近くまで来ている事に。
◇◇◇
次の日……。
いよいよデート当日。
副店長と駅前で待ち合わせをし、隣町のお洒落なレストランに食事に出かける約束をしていた。
「曇ってる……。やっぱり迎えに来てもらえばよかったかな」
外はどんよりとした曇り空だった。副店長は車で迎えに来ると言ってくれたが、女の準備に付き合わせては申し訳ないので駅での待ち合わせにしてもらった。
それに、せっかくの一張羅なので、新鮮な驚きを感じて欲しい……なんて事も考えてしまっていた。
胡桃ちゃんに買ってもらった一張羅のコーディネートを着用し、ちゃぶ台の前に置いた小さな鏡で化粧を整える。
どこにするのか迷っていたけど、お出かけした時に下調べをして、胡桃ちゃんがお店を探してくれた。
白のブラウスに薄手のカーディガンとピンクのスカート。
彼女らしい可愛らしいコーディネートは、まだ私の感性には馴染まない。
だけど、そんな違和感すらも心地良かった。
ウキウキした気分と、ワクワクした気持ち。
そしてほんの少しの恐怖心。
全部の気持ちがない交ぜになって、心が熱くてフワフワとした初めての気持ちになっていた。
「よし……きっと大丈夫」
初めての気持ちだった。
男性のためにちゃんとしたお洒落をしたことは、これまで1度もなかったから……。
強いて言えば悠真とのデートでは、無意識のうちにそうしていた気がするけど、ハッキリとした自分の意志でこうしたお洒落をするのは、人生で初めての事だった。
過去のお洒落は、どちらかと言えば自分を高く見せるための演出だったから。
「さて、時間だ……」
いよいよ出かける時間がやってきた。
私は机に置いた銀色のリングを見つめ、そっと小箱にしまった。
(今まで、ありがとうございます…)
心の中で悠真にお礼を言い、最後に箱をギュッと握り絞める。
――ピンポーン
「え?」
誰だろう……。胡桃ちゃんかな。
もう一度来てくれるって言っていたから、きっとそうだ。
……浮かれていた。
油断していた。
いつもはしている筈の、レンズののぞき込みも怠ってしまった。
誰なのかも確認せずに、扉を開けてしまった。
「はーい……えっ」
「よぉ、会いたかったぜぇ、凪沙」
邪悪な、醜悪な、悪辣な笑いを浮かべた男が、そこに立っていた。
「え、瑛斗……な、なんで」
もう二度と会うことはないと思っていた男、朝倉瑛斗が目の前に立っていた。
曇天は、雷を伴う大雨に変わっていた。




