第84話 制御できない気持ち
――数時間前
凪沙が勤めるスーパーの副店長は、付き添いのパートの佐藤と共に凪沙の部屋を訪れていた。
最初、副店長は佐藤ともう1人仲の良いパートの女性を向かわせようとしたが、パートの女性総出で副店長が直接向かうように説得された。
かといって年頃の女の子の部屋に男が一人で向かう訳にもいかず、説得の末に佐藤が同行する事になったのである。
アパートに到着すると、インターホンを鳴らす。
しかし、何度か鳴らしても反応が無いために、万が一を想定して持ってきたマスターキーで中に入った。
すると着替え途中で服を太ももに引っかけたまま気絶している凪沙を発見し、副店長は大声を上げそうになる。
だがすぐに自らの頬を叩き、救急車を呼び、応急処置の知識を総動員して佐藤と二人で凪沙を介抱した。
佐藤に指示を出しながら服を着せ、救急隊が到着するまでに入院に必要なものを準備していく。
女性の入院に必要な物品を確認して佐藤に指示を出し、お金を渡して買い出しに行ってもらった。
――そして時は現在に戻る。
◇◇◇
【凪沙 視点】
「……ゲホッ! ありが、ど……ござ」
「ほらほら。無理に声を出さなくていいから。ゆっくり休みなさいな」
佐藤さんが身の回りの世話をしながら、事の経緯を詳しく教えてくれた。
やっぱり裸を見られてた……。
あまりの恥ずかしさに悶えてしまい、お店に戻っていく副店長の顔を最後までまともに見ることができなかった。
佐藤さんは始め、副店長を病院に残らせようとしていたが、お店を留守にする訳にはいかないので戻っていく事にしたそうだ。
正直……助かった。
しばらく彼の顔をまともに見られそうもない。
◇◇◇
――数日後。
入院は結局三日間に及んだ。
喉の痛みが若干残っているものの、熱は引いて体もまともに動かすことができる。
病み上がりなので迷惑をかけることもできず、結局もう1日療養日をもらう事ができた。
副店長はこの日も有給と言ってくれたが、流石に申し訳ないので最後の有給は返上する事にした。
熱が引いた時点で出勤することも考えたが、あれだけの迷惑を掛けておいてぶり返しては元も子もないので、全快させることが礼儀だと判断した。
そして今日、喉の痛みも引いてようやく仕事に復帰できる日がやってきた。
居酒屋の大将と女将さんもお見舞いに来てくれて、優しい言葉を掛けてくれたことも私を癒やしてくれた一因だろう。
改めて周りの人達の優しさが心に染みる。
◇◇◇
「お、おはようございます」
「お、おはようございます。お身体はもう大丈夫ですか?」
「はい。ご迷惑をかけて申し訳ありません」
「気にしないでください。普段頑張っていらっしゃいますから。元気になってよかったです」
出勤してタイムカードを押しに事務室に入ると、副店長が既にパソコンの前で仕事をしていた。
「……」
「……」
お互いに気まずい沈黙が流れる。
というか……恥ずかしくてたまらない。
ほとんど全裸で気絶した挙げ句、それを副店長に介抱してもらったなんて……。
裸を見られるなんて慣れている筈だった。
なんでだろう。瑛斗や他の男達の前で裸になることに何の抵抗もなかったのに……。
彼に見られたことが、たまらなく恥ずかしい。
「あ、あの……本当に、色々とご迷惑をかけてすみません。それと、ありがとうございます……。入院中にも沢山気遣ってくれて」
「いいんです。ボクが好きでやったことなので」
副店長は私が入院中、何度もお見舞いに来てくれた。
喉が腫れて喋れない私に本を差し入れしてくれたり、フルーツのお見舞い品を持ってきてくれたり。
わざわざ近隣の大きな町に出て有名なスイーツのお店でケーキを買ってきてくれたりと……。
たった数日の入院生活で、沢山の差し入れをしてくれた。
あまりにも差し入れを持ってくるので、最後は佐藤さんにたしなめられているのを見て、思わず笑いが漏れてしまう。
心が安らいで億劫な気持ちはいつの間にか消えていた。
「あの……本当に心強かったです。こっちに来てあれだけ体調を崩したのは初めてだったので、実は凄く心細くて……」
「お役に立ててよかったです。まだ病み上がりですから、決して無理はしないでくださいね」
「あ、だ、大丈夫です。バッチリ治してきましたから。今日からまた頑張ります」
何故だか言葉が上手く紡げない。
男性と話すのは慣れているはずなのに、彼を前にすると心臓が高鳴って緊張が強くなる。
こんなことは初めてだった……。
まるで中学生みたいだ。
「それで、その……何かお礼をさせてください」
「い、いやいや。お礼なんて結構ですよ。大切な従業員が困っていたら助けるのは当然です」
(大切な……《従業員》、か……)
何故だか、少しだけチクリとした……。
なんで?
何故だか分からず、私は声を大きくする。
「そんな。このままお世話になりっぱなしは私が我慢できません。是非なにかさせてください……」
「いや、本当に大丈夫ですよ。そんなに気にしないでください」
「だけど……あ、それなら、この間のお話し」
「この間?」
「はい……以前、お出かけに誘っていただきました。良かったら、お受けしたいのですが……」
「え、ほ、本当ですか!?」
「はい……ぁ、でも……以前も言ったとおり、色々あって男性とお付合いはできません。だから、お食事をご馳走するだけになってしまいますけど……。変に気を持たせてしまっては申し訳ないので、本当にそれだけの意味で…」
駄目だ……言葉が上手くまとまらない。
なんでこんなにしどろもどろになってしまうんだろう。
だけど副店長は、目を輝かせて私の手を取った。
「それでも構いません! 凪沙さんとお出かけできるなら――あっ」
「え?」
「す、すみません」
「どうしたんですか……あ、名前」
「ご、ごめんなさい。思わず下の名前で。調子に乗りました。すみません」
「ふふ、いいですよ。凪沙って、呼んでください」
「い、良いんですか?」
「はい。パートさんはみんなそう呼びますし、もう副店長だけですよ」
「男のボクが名前呼びはセクハラ扱いされそうで……」
「あはは。大丈夫です。そんな人じゃないって分かってますから」
名前を呼ぶだけで、彼は子供のようにはしゃいでいた。
そんな姿を見て、何故だか心臓が熱くなる。
名前を呼ばれることが……嬉しかった。
そう、嬉しいんだ。
そうして、私は副店長と、今度のお休みに出かける事になった。
これって、デートに……なるのかな……。
(駄目……駄目だ……好きになっちゃいけない)
そう自分に言い聞かせる。あくまでも義理を果たすだけ。
それに徹しないと。
そうしてお互いに沈黙し合い、固まっていると……。
「(ほら、イケ……そこで抱きしめて、チューよ、ちゅー!)」
「(ずっと手なんか握っちゃって、良い雰囲気!)」
「(ガバッといきましょうガバッと!)」
「(ウブ同士てぇてぇ。お替わり何杯でもいけるわ~)」
「「!!?」」
扉の向こうから聞こえてくる声に、慌てて手を離す。
「な、何してるんですか皆さん!」
顔が熱い。
その日、職場のパートさん達から生暖かい目で見られていたような気がして、なんだか居心地が悪かった。
時折ニンマリとした笑顔でサムズアップしてくる人もいて、その日のうちにパートさん全員に私と副店長が事務室でイチャついているという話が出回ってしまったのだった。
誤解を解いて回ったのは言うまでもない。
だけど……なんだかそれも心地良かった。




