第82話 純粋な気持ちと、黒い過去への葛藤
【凪沙 視点】
大忙しだったその日のバイトも、ようやくピークが終わって落ち着きを取り戻した。
「ありがとうございました。今後ともご贔屓に」
「ごちそうさまでした。浮島さんも、お仕事の邪魔しちゃってすみません」
「い、いえいえ。そんなことは全然。私も嬉しかったです」
「凪沙ちゃんはこっちでも一生懸命働いてくれるんですよ。うちも大助かりです」
「ええ、分かります。浮島さんの働きには皆感謝してるんです」
居酒屋の大将と副店長がそんな談義をしている。
私は照れくさくて顔が熱くなる。
「わ、私なんて全然。ただシフトに入る時間が長いだけですから」
「あらあら。もしかして副店長さんと良い感じなの~?」
女将さんが佐藤さんと同じような顔でニヤニヤし始めた。
「そ、そういうんじゃないですってば」
「そうですよ。ボクなんかが浮島さんと釣り合うわけありません。浮島さんに迷惑がかかっちゃいますから」
「い、いえ、副店長は素敵だと思います。むしろ釣り合わないのは私の方で……って、私、何言ってるんだろ」
思わずそんな言葉が出てしまって慌てて手を振った。
だけどそんな私達を見て、周りはもうお祭りムードになってしまう。
「凪沙ちゃん。今日はもう上がっていいよ。疲れたでしょ」
「い、いえいえ。大丈夫です。まだ片付けが残ってますから」
「気にしなくていいのよ。明日は定休日だし、旦那と二人でやっておくから。スーパーの皆さんから聞いたわ。昼間も凄く働いてるんでしょ?」
「そうそう。凪沙ちゃんの働きぶり、みんな褒めてたぞ。だけどちょっと根を詰め過ぎだってな。確かに最近は疲れ気味の顔してるし、あんまり無茶はするんじゃねぇぞ」
「大将……女将さん……。すみません」
お二人に気を遣わせてしまって申し訳なくなる。
だけど正直助かったかもしれない。
少しだけ体のだるさが重たくなってきていたからだ。
「そうだわー。副店長! 凪沙ちゃんを家まで送ってあげなさいな」
「え!?」
閉店間際になって、お会計を終えた佐藤さんがそんなことを言ってきた。
「あらあら。それがいいわね! ちょっとヒョロっとしてるけど、真面目そうな人ですし」
女将さんも嬉しそうにそれに乗っかる。
「い、いえいえ、大丈夫ですから。副店長にもご迷惑ですし」
「遠慮しなくていいのよ。いつも思ってるけど、家はそんなに近くないんでしょ? 夜の一人歩きは危ないわよ」
佐藤さんと女将さんが結託して空気を盛り上げてしまう。
「副店長も何か言って下さい」
「い、いえ。その……浮島さんさえ迷惑じゃなければ……ボクももう少しお話ししたいですし」
その言葉を受けた周りは大盛り上がりだった。
結局、断り切れずに副店長の車で家まで送ってもらうことになった。
◇◇◇
副店長の車に乗り込み、助手席に座った私はハンドルを握る彼に申し訳なく頭を下げる。
「すみません副店長……わざわざ送ってもらって」
「いいんです。むしろ助かりましたよ」
「え?」
「あのままだとパートさん全員を家まで送らないといけないところだったので」
「え、そ、そうなんですか?」
「そうなんですよー。いい人達なんですけど人使いが荒くて」
「ぷっ……あはは。副店長、都合良く使われ過ぎですよ。ちゃんと断らないと」
「あはは。そうは思っているんですけど、あの人達の圧力が強くて断りきれなくて」
「駄目ですよー。もっとしっかりしないと」
私は笑った。こんな風に誰かと話して笑うなんて、多分初めての事だった。
悠真といる時は、確かに癒やされてたけど、心が突っ張ってそれどころじゃなかったし……。
(って私、なんで悠真と副店長を比べてるのよ!)
「浮島さん…」
「え、は、はい」
考え事をしている所に声を掛けられて上擦ってしまう。
「その、いつもありがとうございます」
「え、な、何がですか?」
「浮島さんがいつも頑張ってくれて、頼りないボクをフォローしてくれる事です」
「そ、そんな。新人の私がフォローできることなんてありませんよ。それに頼りないなんてことはありません。みんな副店長を信頼してます」
「ありがとうございます……。浮島さんも、みんな一生懸命なあなたを信頼してますよ。もちろんボクも……」
「ありがとうございます……」
嬉しかった。
こんな風に褒められたことは、久しくなかったから……。
――【凪沙はいつも笑顔が素敵だね】
その時、かつて向けられた笑顔が脳裏をよぎる。
「浮島さん、どうかなさいましたか?」
「え、あ……な、なんでもないです」
(まただ……また悠真のこと思い出しちゃった)
副店長と関わっていると、フとした時に悠真のことを思い出してしまうことが多々あった。
どうしてだろう……。
そんな答えは分かりきってる。
胸につけっぱなしになっている銀のリングが、それを証明していた。
「やっぱり似てる……」
「え? 何がです?」
「あ、なんでもないんです」
思わず声に出してしまった。
やっぱりおかしくなってる。
(似てるんだ……悠真と副店長が)
優しいところ。純朴で柔和なところ。
見た目に反して時に頼りがいのあるところ。
仕事もしっかりしていて、優秀で、周りから信頼されている。
持っている雰囲気が、あまりにも悠真にそっくりだった。
(バカ……失礼だろ、そんなの)
誰かに重ねるなんてしてはいけない。
「着きましたよ」
「あ、は、はい。ありがとうございました」
押し黙って気まずい沈黙に耐えていると、いつの間にかアパートに到着していた。
シートベルトを外す指がもたつく。
まったく冷静じゃなかった。
「あ、あの、浮島さん」
「な、なんでしょうか」
「その……あまり無茶はしないでくださいね。何か事情があってこの町にやってきたことはなんとなく察してます。事情は聞きませんから、どうか無理だけはしないでください」
「……」
それはかつて、私が胡桃ちゃんに向けた言葉と同じだった。
心が温かくなって、とても嬉しく……救われた気持ちになる。
「す、すみません。出過ぎたことをいいました」
違う……嬉しかった。そんな風に気遣ってもらえることが、本当に嬉しい。
だけど、同時に申し訳ない。
私の過去を知ったら、この人や佐藤さん、パートさんや居酒屋のお二人はどんな顔をするだろうか。
今になって、急に自分の過去を知られるのが怖くなってきた。
「あ、あの。よかったら明日のお休みに、息抜きにどこかにでかけませんか」
「え?」
何を言われているのか分からず、思わず聞き返してしまう。
「その、お疲れのようですし、どこかリラックスできるところへ……ボクは、浮島さんに元気でいてほしいから」
ドキっと心臓が高鳴った。
真っ直ぐな瞳で見つめる副店長の顔は、全体を真っ赤にして真剣な表情。
私は知ってる。男の人がこういう時、どういう気持ちでいるのか……。
唇の端が震えて、顔が真っ赤だ。
きっと女性慣れしていない彼が、一生懸命に勇気を出して誘ってくれたのだろう。
過去の私は、そんな男の人を鼻で笑い、利用して使い捨てのように愚かな行為を繰り返した。
思い出すと罪悪感で胸が痛くなる。
私が黙っていると、彼は再び口を開く。
「年甲斐もなく舞い上がっている自覚はあります。でも、浮島さんの一生懸命に働く姿を見ていると、いつも勇気が湧いてくるんです。だから、あなたには元気でいてほしい……ボクの自己満足のお礼です」
そんな純粋な視線を向けられたら、自分の黒い部分に痛みが走るのが分かる。
「ありがとうございます……。でも、すみません。今は、そういう事に意識を向けている余裕がなくて……」
「あ、そ、そうですよね。すみません。ボクなんかじゃ迷惑ですよね」
「ち、違うんです! お気持ちは凄く嬉しいです。だけど、まだ心の整理が付かなくて」
「いいんです。出過ぎたことを言ってすみません。気にしないでください」
「でも、お気持ちはとても嬉しかったです」
「こちらこそ。ともかく、ゆっくり休んでください。明日は店休日ですから」
「はい、ありがとうございます……」
私はそのまま車から降りる。そうだった。明日は店休日でお店はお休み。
居酒屋もお休みだったっけ……。
そんな事を考える余裕もなくなってたのか。
カラオケ店は……入れてなかったから、休めそうだ。
一瞬だけ、副店長の申し出を受けたいという気持ちが湧いてきた。
でも直ぐに引っ込める。
「それじゃあ、また月曜日に」
「ええ……。あの、さっきボクが言ったことは気にしないでください」
「その、とても嬉しかったです。それじゃ、また月曜日に」
「はい、お疲れ様でした」
副店長とは気まずい空気のまま別れてしまった。
だけど最後まで柔らかい笑顔を崩さない彼は、本当に心の強い人だと思った。
(優しいな……本当に優しくて、純粋で……)
「悠真に似てる」
最低だ……。私は、副店長と悠真を重ねている。
「こんな理由で好きになっちゃ、いけない……」
副店長に気持ちを向けられて、純粋に嬉しくなっている自分に気がつく。
それと同時に、その理由が悠真との比較であることが、申し訳ない。
彼を、悠真の代わりにしようとしているんだ……。
自分で捨てて空いてしまった心の隙間を、似てるからって別の人で埋めようとするなんて……。
そんな事が許される筈がない。
私は……汚い。純粋な好意が、怖い。
今になって、自分の過去が憎かった。




