第70話 胡桃の行方
――胡桃が攫われた直後……。
「くそっ……胡桃ちゃんが攫われた。ここ現代日本だぞ! 誘拐とか気は確かかよっ!」
俺は校門の前で息を荒げながら、走り去った黒い車の後ろ姿を睨みつけた。
心臓が激しく鳴り、頭の中が真っ白になりかけていた。
葵がすぐに俺の腕を掴み、冷静な声で言った。
「とにかく悠真くん、警察に連絡を」
「多分無駄だ。ああいう手合いは警察に手を回して金を握らせるから動かないだろう。父さんに連絡しよう」
俺はスマホを握りしめ、すぐに父親の番号を呼び出した。
呼び出し音が数回鳴った後、父さんの快活な声が聞こえた。
「悠真、どうした?」
「父さん、緊急だ。胡桃ちゃんが黒峰の連中に連れ去られた。
今、校門の近くで……車で拉致された!」
電話の向こうで、父さんの声が一瞬だけ固くなった。
「……分かった。すぐに調査チームを動かす。
お前は三姉妹と一緒に安全な場所にいてくれ。
詳しいことは後で連絡する」
通話を切った後、俺は三姉妹の顔を見た。
葵の表情は穏やかさを保とうとしていたが、瞳の奥に強い怒りが宿っている。
澪は無言で拳を強く握り、唇を一文字に結んでいた。
雛は俺の腕をぎゅっと掴み、悔しそうに歯を食いしばっている。
「悠真くん……胡桃ちゃんを、絶対に取り戻しましょう」
葵の声は静かだったが、底に強い決意が込められていた。
澪が低く、短く言った。
「……絶対に、許さない」
雛が俺の腕を強く引きながら、涙目で叫んだ。
「胡桃ちゃん、絶対に助けるよ!
悠真も一緒に、絶対に!」
俺は三人の顔を順番に見て、深く息を吸った。
「そうだな……絶対に取り戻す。
胡桃ちゃんを、絶対に守る」
電話を切った直後、俺の胸はまだ激しく鳴っていた。
父さんの「すぐに動く」という言葉が、唯一の頼りだった。
でも、時間が勝負だということは、俺にも分かっていた。
葵が俺の肩にそっと手を置き、落ち着いた声で言った。
「悠真くん、まずは落ち着いて。
私たちも全力で胡桃ちゃんを探すわ」
澪は無言でスマホを取り出し、何かを素早く操作し始めた。
彼女の指の動きはいつもより速く、目が鋭く光っている。
雛が俺の腕を強く握りながら、悔しそうに歯を食いしばった。
「絶対に許さない……胡桃ちゃんを連れ去るなんて……!
悠真、一緒に探そう!」
俺は三人の顔を見て、深く息を吸った。
「そうだな……まずは胡桃ちゃんのスマホの位置を……」
その時、葵のスマホが震えた。
生徒会ネットワークを通じて得た情報らしい。
「黒峰グループの車が、駅方面に向かったという目撃情報が入ったわ。
急ぎましょう」
俺たちは即座に動き出した。
学校の近くのタクシーに乗り込み、駅方面へ向かう。
車内では誰も言葉を発さなかった。
ただ、窓の外を流れる街の灯りを睨みながら、それぞれが心の中で胡桃ちゃんの無事を祈っていた。
タクシーが駅に近づくにつれ、俺の胸の鼓動はさらに速くなった。
胡桃ちゃん……今、どこにいる?
俺は心の中で強く呼びかけた。
そしてその日1日、胡桃ちゃんの行方は掴めなかった。
◇◇◇
【胡桃視点】
「私の服で悪いけど、寝間着に使って」
「何から何まで、ありがとうございます」
食事が終わり、彼女は私に何も聞かずにもてなしてくれた。
何か辛い過去がありそうな彼女は、自分を救いたくて私に手を差し伸べたという。
事情を知らない私からすれば、それはとても有り難い事で、救われる思いだった。
私は布団に横になったまま、天井の暗がりをじっと見つめていた。
部屋の明かりはすでに落とされ、街灯の淡い光だけがカーテンの端から細く差し込んでいる。
体は温かいのに、指先がまだ冷たくて、微かな震えが止まらない。
お姉さんは少し離れた場所に自分の布団を敷き、静かに横になっていた。
私は小さく息を吐き、勇気を出して声をかけた。
「……お姉さん」
「ん?」
「どうして……私みたいな見知らぬ人間を、ここに連れてきてくれたんですか?」
お姉さんは少しの間、沈黙した。
やがて、穏やかだがどこか遠い響きのある声が返ってきた。
「寒い夜に、一人で震えている子を見たら……放っておけなかっただけよ。
それに……私も、昔は誰かに助けてもらいたかった時期があったからかもね」
その言葉は優しかったが、声の端に、言いようのない寂しさが混じっていた。
私は布団の中で体を丸めながら、続けた。
「私は……家に帰れないんです。
帰ったら、また同じことが繰り返される。
もう、どこにも行けなくて……」
お姉さんは静かに息を吐き、柔らかい声で言った。
「今夜はここにいなさい。
無理に話さなくていいから、ゆっくり休んで」
彼女はもう一度、私を安心させる言葉をくれた。
私は小さく頷いたが、胸の奥はざわついたままだった。
この人は、私の事情を何も聞かずに温かい部屋と食事をくれた。
でも、その優しさの裏に、彼女自身が抱えている何かが、静かに息づいているように感じた。
私は目を閉じながら、そっと指を握りしめた。
悠真ちゃん……
今頃、私を探してくれてるかな?
それとも、胡桃の事なんかどうでもいいのかな……。
ああ、ダメ。ネガティブな事ばかり考えてしまう。
「悠真ちゃん……」
この部屋は温かいのに、心はまだ冷えたままだった。
私の小さな呟く声に、隣で寝るお姉さんが一瞬反応した事には、私は気がついていなかった。
※後書き※
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