第62話 親への相談
「よし、父さんと母さんに相談してみよう」
その言葉を聞いた胡桃ちゃんの表情が、少し明るくなった。
三姉妹も静かに頷いたが、葵の瞳にはまだ警戒の色が残っていた。
政略結婚なんて大人の問題に、俺達子供だけで対処をするのは不可能だ。
俺は単なる高校生。できる事には限界がある。
翌日の午後、俺は三姉妹と胡桃ちゃんを連れて、父の会社に向かった。
受付で声をかけると、いつもの明るい声が返ってきた。
「あらーんっ♡ 悠真くんじゃなーい! 今日はどうしたの? お姉さんの求婚受け入れてくれる気になった?」
この人は塚原亮子さん。父さんの会社の受付嬢で、以前に父さんが粉を掛けていると母さんに誤解されたOLさんだ。
美人でおっぱいが大きくて、性格も明るいお姉さんなのだが、たまに顔を見せるとこの通りの反応で、ちょっと苦手な人だった。
悪い人ではないんだけどね……。
俺が亮子さんに抱きしめられてると、後ろから凄まじい殺気が4つほど迸っている。
いわずもがな、三姉妹と胡桃ちゃんであった。
「いいえ、全然違います。父さん……社長にアポを取りたいので取り次いでもらえますか?
あと普通に未成年略取になるのでやめてください」
「いやーん♡ 相変わらず辛辣~」
亮子さんは笑いながら電話を取り、すぐに父の秘書につないでくれた。
いい人なんだけど、如何せん性格がアレ過ぎてちょっと苦手だ。
少し待つと、父の声が受話器越しに聞こえてきた。
――「おう、悠真! 珍しいな、会社に来るなんて。
どうした? 何か用か?」
「父さん、ちょっと大事な話があるんだ。
今、時間ある?」
――「時間作るよ。すぐ来い」
受付で亮子さんに軽く抱きしめられながら、俺たちは社長室へと向かった。
三姉妹の反応が怖いのでやめてほしい。
胡桃ちゃんと三姉妹を伴って社長室のドアを開けると、父さんと母さんがほぼ同時に顔を上げた。
「おおっ、悠真!」
父さんがデスクから勢いよく立ち上がり、満面の笑みで両手を広げた。
「珍しいな、仕事中にわざわざ来てくれるなんて! どうした、父さんに会いたくなったか?」
母さんも書類から顔を上げ、優しい笑顔を浮かべながら立ち上がる。
「悠真、よく来てくれたわね。今日は学校は? 何か用事?」
二人がまず俺に視線を集中させ、嬉しそうに迎えてくれた。
その直後——
父さんの視線が、俺のすぐ後ろと横に並ぶ三人の姿を捉えた。
「……ん?」
一瞬、父さんの笑顔が固まる。
母さんも、俺の後ろにいる小さな影に気づき、目を細めた。
「……胡桃……ちゃん?」
母さんの声が、驚きと懐かしさで少し震えた。
「まさか……桃峰の胡桃ちゃん? 13年ぶり……よね?」
父さんも目を丸くして、胡桃ちゃんをまじまじと見つめる。
「おお……! 本当だ! あの小さかった胡桃ちゃんか!?
海外に引っ越したって聞いたきりだったのに……随分と可愛くなったな!」
胡桃ちゃんは少し緊張した様子で、しかし丁寧に頭を下げた。
「こんにちは……お久しぶりです。
桃峰胡桃です。
悠真ちゃんにご迷惑をおかけしてしまって……本当に申し訳ありません」
彼女の声は小さく、でもはっきりしていた。
母さんが柔らかく微笑みながら、優しく言った。
「迷惑だなんて……久しぶりに会えて嬉しいわ。
本当に、ずいぶん立派になったのね……」
父さんはまだ驚きが冷めない様子で、豪快に笑った。
「ははっ、懐かしいな!
桃峰が日本に帰ってきたとは聞いていたが、もう悠真と合流していたとはな!」
胡桃ちゃんは頰を少し赤らめながら、俺の袖をそっと指でつまんだまま、
小さく微笑んで答えた。
俺は胡桃ちゃんを前に出し、簡単に事情を説明した。
胡桃ちゃんが黒峰グループの政略結婚から逃げてきたこと、
父親に無理やり結婚を迫られていること、
そして胡桃ちゃんが俺に助けを求めてきたことを、簡潔に伝えた。
父は腕を組み、興味深そうに聞いた。
「ほう……黒峰の御曹司との結婚か。
桃峰家も随分と苦しい立場にいるようだな」
母は胡桃ちゃんの顔をじっと見てから、静かに言った。
「胡桃ちゃん……あなた、本当にその結婚が嫌なの?」
胡桃ちゃんは小さく頷き、震える声で答えた。
「はい……好きでもない人と、一生を一緒に過ごすなんて……
絶対に嫌です」
母は軽く息を吐き、父と視線を交わした。
父が明るく、しかし真剣な声で言った。
「分かった。
とりあえず、桃峰の親父さんに連絡を取ってみよう。
うちと白峰家で話す価値はあるかもしれないな」
母が少し微笑みながら、俺たちを見た。
「悠真、胡桃ちゃんを連れてきてくれてありがとう。
あとは私たちに任せなさい」
三姉妹も静かに頷いていた。
胡桃ちゃんは少しほっとした表情で、俺の袖を軽く握った。
この一件は、思った以上に大きな問題になりそうだった。
◇◇◇
会社を後にした俺たちは、夕方の柔らかな陽射しの中を白峰家へと向かった。
胡桃ちゃんは俺の右側を歩きながら、時々小さく息を吐いていた。
三姉妹は自然と俺の周りを囲むように歩いているが、いつもより少し距離が開いている気がした。特に葵の視線が、胡桃ちゃんに向けられるたびに静かに鋭くなる。
白峰家のリビングに入ると、いつもの温かい空間が俺たちを迎えた。
使用人の人がお茶を用意してくれたが、今日は誰も手をつけようとしなかった。
「座って、胡桃ちゃん」
俺がソファを勧めると、胡桃ちゃんは小さく頷いて腰を下ろした。
三姉妹は俺の両側と正面に自然と陣取り、胡桃ちゃんを囲む形になる。
少しの沈黙の後、葵が静かに口を開いた。
「胡桃ちゃん……先ほどのお父様の話、本当なの?」
胡桃ちゃんは膝の上で小さな手をぎゅっと握りしめ、ゆっくりと頷いた。
「……うん。本当だよ。
お父さんは、黒峰グループの御曹司と私を結婚させようとしてる。
政略結婚……ってやつ」
その言葉に、三姉妹の空気がわずかに変わった。
澪の指が俺の袖を軽く掴み、雛の眉が少し寄せられる。
俺はできるだけ落ち着いた声で聞いた。
「理由は? ただの家同士のつながりだけじゃないんだろう?」
胡桃ちゃんは視線を少し落として、ぽつぽつと話し始めた。
「黒峰グループは、最近うちの会社が扱ってる新しい素材の技術に目をつけているみたい。
お父さんは……その技術を黒峰に渡す代わりに、もっと大きな資本とコネクションを手に入れたいんだと思う。
私を、取引材料にしようとしてる……」
彼女の声は小さく、でもはっきりしていた。
「胡桃は……好きでもない人と結婚するなんて、絶対に嫌。
だから、日本に帰ってきたとき、悠真ちゃんのことを思い出して……
『もし悠真ちゃんのお嫁さんになれたら、黒峰との話も流れてくれるかも』って、考えてしまったの」
そこまで言って、胡桃ちゃんは初めて俺の目を見た。
「ごめんね、悠真ちゃん。本当は黒峰との結婚が嫌で、悠真ちゃんを利用しようとしてた」
リビングに重い沈黙が落ちた。
三姉妹の視線が、胡桃ちゃんに集中している。
まだ警戒心が強いのは明らかだった。特に葵の表情は穏やかだが、瞳の奥に強い光が宿っている。
俺は深く息を吸い、ゆっくりと言った。
「胡桃ちゃん……正直に話してくれてありがとう。
でも、俺は三姉妹とちゃんと約束してる。
君の気持ちは嬉しいけど、結婚とか、そういうことは……今は考えられない」
胡桃ちゃんは少し寂しそうに微笑んだが、すぐに小さく頷いた。
「うん……分かってる。
急にこんな話をして、ごめんね。
でも、悠真ちゃんにだけは、本当のことを伝えたかった」
その時、葵が静かに、しかしはっきりとした声で言った。
「胡桃ちゃん。私たちも、悠真くんを傷つけたくないと思ってる。
あなたが本当に困っているなら……助けたいとは思う。
でも、それは悠真くんの気持ちを最優先にしてのことよ」
澪が低く、短く続けた。
「……ゆーまを、取らないで」
雛は俺の腕を抱きしめながら、悔しそうに、でも少しだけ優しい声で言った。
「胡桃ちゃんが困ってるのは……かわいそうだと思うよ。
でも、悠真は……もう、私たちの悠真なんだから」
胡桃ちゃんは三姉妹の言葉を一つ一つ聞いて、静かに目を伏せた。
「……ありがとう。
みんなが悠真ちゃんを大切に思ってるの、ちゃんと伝わってきた。
胡桃の入りこむ隙間なんて、もう残ってないんだね」
「ごめんね。気持ちは本当に嬉しかった。今日はもう遅いし、まずは落ち着こう。政略結婚のことは父さん達が桃峰のおじさんに話をしてくれる。あとは父さん達に任せよう」
ああ見えても父さんは大企業のまとめ役。
海千山千の猛者だ。俺達子供では想像も付かないやり取りができる人だ。
いざと言う時は本当に頼りになる尊敬できる人だ。
その日の4人会議は、そこまでで終わった。
まだ誰も完全には心を開いていない。
三姉妹の警戒心は強く、胡桃ちゃんの表情にも複雑な影が残っていた。
それでも——
今日が、初めての「4人だけの本音の時間」になったことは、確かだった。




