第61話 波乱の始まり
胡桃ちゃんには早めにお断りの話をしておかないとな。
帰り道、俺は早めに話をするために彼女と2人で歩くことにした。
胡桃はピンクのツインテールを軽く揺らしながら、俺の隣に座った。
「悠真ちゃん、どうしたの? 二人きりで話したいことって……」
彼女の大きな瞳が、期待と少しの不安を浮かべて俺を見つめている。
俺は深く息を吸い、できるだけ優しく、しかしはっきりと言った。
「胡桃ちゃん……突然キスされた時は本当にびっくりしたよ。
13年ぶりに会えて嬉しいのは本当だけど……俺は今、三姉妹とちゃんと約束してるんだ。
お嫁さんになるっていうのは……ちょっと難しいと思う」
胡桃は一瞬、瞳を伏せた。
しかしすぐにいつもの明るい笑顔に戻り、俺の袖を軽く指でつまんだ。
「うん……分かってる。
胡桃、急ぎすぎちゃったよね。
でも、胡桃の本気の気持ちは変わらないよ。
悠真ちゃんのこと、ずっと好きだったんだもん」
その声は明るいが、どこか切なさが混じっていた。
俺は彼女の小さな手をそっと握り返した。
「胡桃ちゃんの気持ちは嬉しいよ。
でも、俺は三姉妹を傷つけたくない。
胡桃ちゃんとも、昔みたいに友達として仲良くしたいと思ってる」
胡桃は俺の手を握り返し、ふふっと小さく笑った。
「分かった……
胡桃、頑張るね。
悠真ちゃんの気持ちが変わるまで、待ってるから」
その笑顔は無邪気で、でも瞳の奥に強い決意が光っていた。
ダメだ。気持ちが強すぎて諦めてくれない。
その時、後ろから三姉妹の姿が見えた。
葵が優しい笑顔のまま、しかし瞳に鋭い光を宿して近づいてくる。
「悠真くん……胡桃ちゃんとお話?」
雛が俺の右側に素早く移動し、腕をぎゅっと抱きしめた。
「胡桃ちゃん、悠真に何を言ってるの?」
澪は無言で俺の左側に立ち、静かに胡桃を睨みつける。
胡桃は三姉妹を見て、くすくすと笑った。
「えへへ、ごめんね。
胡桃、悠真ちゃんに気持ちを伝えてただけだよ。
雛ちゃんたちも、悠真ちゃんのこと大好きなんだよね?」
三姉妹の空気が、一瞬でピリッと張りつめた。
葵が優しく、しかしはっきりと言った。
「ええ、私達は悠真くんを心から愛しているわ。
胡桃ちゃんの気持ちは分かるけど……悠真くんは、私達の大切な人よ」
胡桃は少し寂しそうに微笑みながら、俺の顔をもう一度見た。
「うん……分かった。
胡桃、焦らないよ。
でも、悠真ちゃんのこと、諦めないからね」
彼女はそう言い残し、軽やかな足取りで去っていった。
三姉妹が俺を囲むように近づいてくる。
葵が俺の左手を優しく握り、穏やかな声で言った。
「悠真くん……胡桃ちゃんの気持ち、どう思う?」
俺は三人の視線を感じながら、静かに答えた。
「なんだろうな。全然人の話聞いてくれないから、どうしたものか。俺にとって大切なのはお前達だ。彼女の気持ちには応えられない」
三姉妹の表情が、少し柔らかくなった。
しかし、葵の瞳の奥には、まだ小さな不安の影が残っていた。
「そう……ならいいの。
でも、胡桃ちゃんがまた何かするかもしれないわね……」
雛が俺の腕をぎゅっと抱きしめながら、悔しそうに言った。
「雛、負けないもん……!」
その日から、胡桃ちゃんの積極的なアプローチが始まった。
学校では、休み時間になると必ず俺の席にやってきて、
「悠真ちゃん、一緒にお弁当食べよ!」と笑顔で誘ってくる。
放課後には「一緒に帰ろうよ」と自然に隣に並ぶ。
隙あらば二人きりになろうとする彼女の行動は、日に日に大胆になっていった。
俺は三姉妹の視線を感じながら、できるだけ距離を取るようにした。
「胡桃ちゃん、ごめん。今日は三姉妹と約束があるんだ」
「胡桃ちゃん、俺は今忙しいから……」
そんな風に、なるべく二人きりにならないように気をつけた。
胡桃は最初は笑顔で引き下がっていたが、
俺が距離を取るようになると、徐々に表情に焦りが混じり始めた。
「悠真ちゃん……どうして避けるの?
胡桃、ただ悠真ちゃんに会いたいだけなのに……」
彼女の瞳には、明るさを保とうとする努力と、
少しずつ溢れ出す必死さが、静かに浮かんでいた。
三姉妹の警戒心も、日を追うごとに強くなっていく。
「胡桃ちゃん、どうして分かってくれないの。俺は君と結婚することはできないって、何度も言ってるのに」
「だって、好きなんだもん」
「それはとても嬉しいよ。でも、俺には白峰の三姉妹と一緒にいるって決めてる。恋人や結婚相手にはなれないんだ」
「それじゃ困るのっ! お願い悠真ちゃん、嘘でもいいっ。一年間限定でいいから、胡桃のお婿さんになってほしいの」
そこまで言われて、何か普通ではない事情があるんだと直感的に思った。
「なるほど……そっちが本音なんだね」
「あ……」
その表情で、やはり確信を深めた。
「胡桃ちゃん、君の目的は俺が好きで結婚することじゃなく、結婚によって何らかの目的を果たしたいことなんだね」
「ち、違うっ、悠真ちゃんが好きなのは本当なの! 胡桃は……」
そこまで言いかけた時、怒号に近い声が鳴り響く。
「胡桃っ!!」
人を威嚇するような雷のような声に振り向くと、全身ブランド服に身を固めた大柄な男がこちらを睨み付けていた。
「あ……」
怯えるような表情を見せる胡桃ちゃんを思わず庇うように引き寄せてしまった。
「あれ? あの人は……」
よく見るとそれは知っている人物だった。
「桃峰のおじさん?」
「おお、君は高見沢の倅か。久しぶりだな!」
「胡桃ちゃんのお父さんじゃないですか」
桃峰胡桃の父親、桃峰 隆司は、威圧的な体躯を揺らしながら近づいてきた。
彼は胡桃の腕を乱暴に掴み、引き寄せようとした。
「胡桃、勝手な真似をするんじゃない。
黒峰の御曹司との顔合わせをまた先延ばしにしていると聞いたぞ。
お前はもう、黒峰家の婚約者だという自覚を持て」
胡桃の顔が青ざめた。
彼女は父親の手を振りほどこうとしながら、小さな声で抗議した。
「いやっ、痛いっ! お父さん……お願い、もう少しだけ……
高校生活だけは、自分の好きにさせてほしいって、何度も言ったのに……」
隆司は苛立った様子で胡桃の腕を強く握りしめた。
「好きにさせる?
お前は桃峰家の娘だ。
黒峰との政略結婚が決まっている以上、そんな甘いことは許さん。
今日中にでも黒峰の息子と顔を合わせろ」
胡桃の瞳に、恐怖と絶望が浮かんだ。
俺は思わず一歩前に出て、胡桃の腕を父親の手から引き離した。
「桃峰のおじさん、ちょっと待ってください。
胡桃ちゃんは今、すごく動揺しています。
話を落ち着いて聞かせてください」
隆司は俺を睨みつけ、鼻で笑った。
「お前が胡桃をそそのかしているんだろう?
うちの娘を巻き込むな。
これは桃峰家と黒峰家の問題だ」
その言葉に、三姉妹が一斉に俺の周りに集まってきた。
葵が優しい笑顔を崩さず、しかし声に強い意志を込めて言った。
「桃峰さん……胡桃ちゃんはまだ高校生です。
無理強いは、彼女を傷つけるだけですよ」
雛が俺の右腕をぎゅっと抱きしめ、悔しそうに睨んだ。
「胡桃ちゃんを無理やり連れて行くなんて、ひどいよ!」
澪は無言で俺の左側に立ち、静かに隆司を睨みつけた。
隆司は三姉妹の視線を受け止め、苛立った様子で舌打ちした。
「白峰の娘たちか……
まあいい。胡桃、今日はこれで帰る。
だが、逃げ続けることは許さんぞ」
彼は胡桃を一瞥し、踵を返して去っていった。
胡桃は震える体で俺の袖を掴み、掠れた声で言った。
「ごめんね、悠真ちゃん……
お父さんが来るなんて……
胡桃、本当に……黒峰との結婚なんて、絶対に嫌なの……」
彼女の瞳には、13年間の想いと、政略結婚の恐怖、そして父親の圧力に苦しむ葛藤が、はっきりと浮かんでいた。
三姉妹の視線が、俺と胡桃の間に静かに集中した。
「なるほど。あれが胡桃ちゃんが俺に言い寄っていた理由か」
「うん……お願い、助けて悠真ちゃん……私、好きでもない人と結婚するなんてイヤっ! せめて、結婚する人は自分で選びたい」
これは非常に高度な問題だ。
俺達子供にどうにかできる話じゃないな。
「よし、父さんと母さんに相談してみよう」




