第60話 胡桃の計算
朝食の席に移動すると、三姉妹の雰囲気は一変していた。
キスとハグを繰り返す事で機嫌は直り、登校中もいつものようにくっ付いて離れなかった。
HRの時間になり、先生が教室に入ってきた。
「みなさん、今日から新しい転校生が来ます。
みんな、仲良くしてあげてくださいね」
先生の言葉に、俺の胸に何か予感が走った。
なんだろう、このざわめきは。
胡桃ちゃんの明るい笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
「ま、まさか……」
教室のドアが開き、先生が明るく紹介した。
「みなさーん! ないすとぅーみーちゅー! アメリカから転校してきた桃峰胡桃でーす♪ よろしくねー!」
胡桃が元気いっぱいに手を振りながら入ってきた。
まさかの同じ高校だった。
これからの学園生活……波乱の予感しかしなかった。
◇◇◇
まさかの転入を果たした胡桃ちゃん。
俺の隣の席に座る彼女は、毎日明るく笑いながら話しかけてくる。
「ゆ・う・ま・ちゃーん♡ えへへ、お隣さんだね♡」
その声は無邪気で、甘く、教室の空気を一瞬で柔らかくする。
周りから嫉妬と羨望、あるいは呪詛のような、怨嗟のような声がヒソヒソと聞こえてくる。
――「あの野郎……白峰三姉妹だけじゃ飽き足らず、転校生まで口説いてやがるのか」
――「見直して損したぞ。やはりキサマは男の敵だ」
――「リア充モゲろ」
四方八方から突き刺さる視線に、俺は居心地が悪くなる。
なんだって俺がこんな目に……。自分じゃ何もしてないだけに反論したくて溜まらなかった。
胡桃ちゃんはそんな周囲の声を全く気にせず、女子たちに囲まれながら明るく笑っている。
「胡桃ちゃん可愛い~。ねえ、ハーフなの?」
「ううん。純度100%の日本人だよー。帰国子女って奴?」
女子に囲まれた胡桃ちゃんはピースサインをしながら自信満々に答える。
「やっぱり英語ペラペラなの?」
「一応ね。英語とドイツ語・フランス語・イタリア語が喋れるよ」
「すごーい!」
胡桃ちゃんは明るく笑いながら、まるで舞台の上のアイドルのように手を振り、
周囲の女子たちをあっという間に味方につけていく。
その笑顔は無邪気で、天真爛漫。
でも、俺には微かにわかる——あの笑顔の裏に、ほんの少しだけ計算された可愛らしさが潜んでいることに。
俺は隣の席で、ただ静かに座っているしかなかった。
胡桃ちゃんは昔から小さくて可愛かった。
でも、今の彼女は13年間の海外生活で磨かれた、もっと洗練された可愛らしさを持っている。
ピンクがかった髪が軽やかに揺れ、大きな瞳がキラキラと輝くたび、教室の空気が少しずつ彼女中心に回り始めている気がした。
ふと、胡桃ちゃんの明るい笑顔を見た瞬間、幼い頃の記憶が鮮やかに蘇ってきた。
新体操の練習場。
まだ小さかった頃、俺は三姉妹と一緒に胡桃ちゃんの練習を見に行ったことがあった。
白峰家と桃峰家が親戚同士で、よく合同で遊びや練習を見学していたのだ。
あの頃の胡桃ちゃんは、本当に小さくて華奢だった。
144cmという今とほとんど変わらない身長で、リボンをつけたツインテールがくるくる回るたび、
俺は「すごいな……」と目を輝かせて見ていた。
胡桃ちゃんの演技は、軽やかで華麗だった。
小柄さを活かした空中技や、柔軟な体を最大限に使った回転。
音楽に合わせて体を優雅に動かす姿は、まるで人形が生きているようだった。
隣で雛が興奮して飛び跳ねていたのを覚えている。
雛は当時から明るく元気で、ジャンプ力と表現力が抜群だった。
胡桃ちゃんは「雛ちゃんみたいに元気に演技したい!」と笑いながら、
二人はいつも練習後に一緒にアイスクリームを食べながら競い合っていた。
無邪気なライバル関係が、二人の絆を強くしていた。
俺はただ、二人の演技を応援しながら、微笑んで見守っていた。
あの頃の俺にとって、新体操は「女の子たちのキラキラした世界」だった。
胡桃ちゃんは俺のことを「悠真ちゃん」と呼び、
練習が終わると必ず俺のところに駆け寄ってきて、
「胡桃の演技、悠真ちゃんに一番に見てほしかったの!」と笑顔で聞いてきた。
その笑顔が、とても可愛くて、俺はいつも頭を撫でてあげていた。
今、胡桃ちゃんが転校生として現れたことで、
あの頃の記憶が一気に蘇り、胸の奥が温かく疼いた。
胡桃ちゃんは今も変わらず小さくて可愛らしい。
13年の海外生活は、彼女をどう変えたのだろうか?
あるいは全く変わっていないのか。
胡桃ちゃんは「もう一人の幼馴染み」として、確かに大切な存在だ。
でも、今の俺にとって一番深い絆を感じるのは、三姉妹との関係。
あの幼い頃の純粋な友情とは、少し違う、もっと熱くて、甘い想い。
ぼんやりと昔のことを思い出していると、胡桃ちゃんがとんでもない爆弾を放り投げた。
教室の空気が一瞬で凍りつき、次の瞬間、激しい波紋が広がっていく。
「ねえ、胡桃ちゃんと高見沢君はどういう関係なの?」
女子の一人が好奇心たっぷりに尋ねた瞬間、胡桃ちゃんは明るく笑いながら、迷いなく答えた。
「うん、実はね、胡桃、悠真ちゃんのお嫁さんになるの!」
ザワッ……
教室全体が一気にざわめいた。
男子たちの顔が青ざめ、女子たちの目が大きく見開かれる。
一瞬の静寂の後、教室は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「は? お嫁さん!? 何言ってんだよ!」
「マジかよ……高見沢の野郎、白峰三姉妹だけじゃ足りねえのか!」
「転校初日にいきなりお嫁さん宣言とか……ふざけんなよ!」
男子たちが次々と声を荒げ、机を叩く音や椅子を蹴る音が教室中に響き渡る。
一部の男子は頭を抱え、絶望的な叫びを上げていた。
「リア充爆発しろ……!」
「高見沢、死ね! 死ね! 死ね!」
「俺たちに残されたのは絶望だけだ……」
女子たちもざわつき、胡桃ちゃんを囲んで興奮気味に質問を浴びせ始める。
「え、胡桃ちゃん本気? 高見沢君とどういう関係なの!?」
「幼馴染みって本当? いつからそんなことになってたの!?」
胡桃ちゃんはそんな周囲の反応をものともせず、
ピンクの髪を軽く揺らしながら、にこにこと笑顔を崩さない。
俺は隣の席で、ただ呆然とその光景を見つめていた。
心臓が激しく鳴り、頭の中が真っ白になる。
胡桃ちゃんの明るい笑顔と、幼い頃の記憶が重なり、胸の奥が熱く疼いた。
でも、今の教室は完全に阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
男子たちの怨嗟の声が四方から俺に突き刺さり、
女子たちの好奇の視線が胡桃ちゃんに集中している。
胡桃ちゃんはそんな騒ぎを浴びながらも、
俺の方を向いて、大きな瞳を輝かせて言った。
「悠真ちゃん、よろしくね♡」
その瞬間、教室の喧騒がさらに大きくなった。
俺はただ、静かに息を飲み込みながら、
この突然の波乱に、どう対応すればいいのか、頭をフル回転させていた。
「胡桃ちゃん、今日は一緒に帰ろう」
「うん♪」
胡桃ちゃんには早めにお断りの話をしておかないとな。
※後書き※
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