第6話 真なる恋の幕開け
【葵 視点】
「すぅ……すぅ……んぅ」
「ふふ、悠真くんの寝顔……可愛いなぁ」
夜も更けて皆が寝静まった頃、私は密かに目を開けてスヤスヤと眠る悠真くんの寝顔を眺めていた。
きっと疲れたんだろう。
お布団争奪戦は、結局全員引き下がることで別々の布団で寝ることになった。
私は物音を立てないように布団から這い出て、そっと悠真くんのそばに移動した。
「うう……う……うううっ……なぎ……さ」
「悠真くん」
苦しげに呻く悠真くんの髪を撫でる。
本当は抱きしめてあげたい衝動をグッとこらえて、彼の顔に頬を寄せる。
すると悪夢にうなされていた顔が安らいでいく。
自分がそれを成し遂げることができた事に、誇らしい気持ちになる。
私は白峰葵。
白峰三姉妹の長女で、生徒会長をしている18歳。
悠真くんとは、生まれた時からの幼馴染みだった。
家が隣同士で、両親同士も昔からとても仲が良かった。
物心ついた頃から、悠真くんは私たち三人にとって特別な存在だった。
幼い頃の思い出が、今でも鮮明に蘇る。
まだみんな小さかった頃、
庭で遊んでいた悠真くんが転んで膝を擦りむいたことがある。
三歳くらいの私たちは大慌てで駆け寄り、
長女である私はハンカチで傷を押さえ、
澪は無言で悠真くんの手を握り、
雛は大きな声で泣きながら「お医者さん呼んでー!」と叫んでいた。
悠真くんは涙を堪えて「大丈夫だよ……」と言ったけど、
その小さな肩が震えていたのを、今でもはっきり覚えている。
その時、私たちは三人で「悠真くんを守ろう」と心に決めた気がする。
それからずっと、
悠真くんが風邪を引けば三人で看病し、
学校でいじめられそうになれば三人で囲んで守り、
誕生日には三人で手作りのプレゼントを渡した。
弟みたいな存在。小っちゃくて、可愛くて、守ってあげたくなる男の子。
私はずっと、そう思っていた。
これは家族みたいな、親愛の情なんだと。
でも、それは間違いだった。
本当は、ずっと前から恋愛感情だった。
皮肉なことに、それに気がついたのは、悠真くんが浮島凪沙と付き合い始めたと知った後だった。
あの日、悠真くんが少し照れくさそうに「実は、付き合ってる子ができたんだ」と教えてくれた瞬間、
私の胸の奥が、ずきんと痛んだ。
その痛みが何なのか、最初はわからなかった。
ただ、なんだか息が苦しくて、笑顔を保つのも精一杯だった。
その夜、部屋に戻ってから、澪と雛と三人で話をした。
「……悠真くん、彼女ができたって」
私がそう切り出すと、澪が珍しく目を伏せて小さく頷いた。
「……ゆーま、彼女が」
雛も、いつもの元気な笑顔が消えていて、膝を抱えながら言った。
「雛ね……なんか、胸が苦しくて。
悠真が他の子と一緒にいるって思うと、すごく嫌な気持ちになる……」
三人とも、同時に同じ感情を抱いていた。
それは、家族への親愛なんかじゃなかった。
悠真くんを、男の子として、恋愛対象として見ていた気持ち。
ずっと抑え込んでいた、恋心だった。
気づいた時には、もう手遅れだった。
悠真くんは凪沙と付き合い始めて、毎日嬉しそうにその話をしていた。
私たちは幼馴染みとして、笑顔で「おめでとう」と言わなければならなかった。
本当は心の中で叫びたかったのに。
「どうして今まで気づかなかったんだろう……」
私はベッドに座り、膝に顔を埋めた。
胸が締め付けられるような、息ができないほどの絶望が押し寄せてきた。
澪は無言で私の隣に座り、雛は目に涙を浮かべて唇を噛んでいた。
三人とも、同じ気持ちだった。
幼い頃からずっと一緒にいたのに、
「家族みたい」だと思っていた気持ちが、実は恋だったなんて。
そして、気づいた時には、悠真くんはもう他の子のものになっていた。
あの優しい笑顔も、柔らかい黒髪も、本当は逞しい小さな背中も、
全部、私たちより先に他の女の子に取られてしまった。
「……遅すぎたね」
私が小さく呟くと、澪が静かに息を吐いた。
「……うん」
雛が震える声で言った。
「雛……悠真のこと、好きだったんだ……」
その夜、三人で抱き合って泣いた。
声を出さずに、ただ肩を震わせて。
でも、外ではいつも通り、優しい長女として、クールな次女として、元気な三女として振る舞わなければならなかった。
悠真くんの幸せを、笑顔で祝福しなければいけなかった。
それが、幼馴染みとしての、私たちにできる精一杯だったから。
それから3ヶ月。
悠真くんが凪沙にフラれたと知った今日、
私たちの胸に、再び激しい感情が渦巻いた。
今度こそ、遅れを取り戻したい。
悠真くんを、死ぬほど溺愛したい。
三姉妹で、一緒に。
それにしても……あの女。
悠真くんを泣かせた、あの女。
浮島凪沙……。
同級生の中で、人当たりもよくて、男子からも女子からも人気が高い。
笑顔が眩しくて、人懐っこい小っちゃくて可愛い女の子。
だけど、私は好きになれなかった。
あの笑顔の裏に、どうにもザラザラした嫌な感情がヘドロのように溜まっているような気がして、気持ち悪かった。
優しい言葉をかけているのに、目が笑っていない瞬間が何度かあった。
悠真くんが彼女の話をするとき、胸の奥がざわつく感覚がずっと消えなかった。
でも、それはきっと嫉妬だ。
私達が悠真くんの事が好きだから、彼の心を射止めた浮島さんに嫉妬してるんだ……。
そう思うようにしていた。
図らずも、その予感は真実である事が確定してしまった。
せめて彼女が本当に良い子で、悠真くんを幸せにしてくれる人なら、きっと友達になれた……。
ごめん、嘘だ。
きっと嫌な態度を取ってしまったに違いない。
心のどこかで、悠真くんを渡したくないという気持ちが、ずっと燻っていたから。
だけど、これはチャンスだと思った。
公園で泣いている悠真くんを見た時、直感的に浮島凪沙と何かあったのだと予感した。
案の定、それは事実だった。
私の胸に、暗い喜びと同時に、強い罪悪感が混じった。
悠真くんがあんなに傷ついているのに、私はどこかで「これでまた、私たちのところに戻ってきてくれる」と期待してしまった。
澪と雛も、同じ気持ちだったと思う。
澪は無言で拳を握りしめ、
雛は目に涙を浮かべながら「悠真を泣かせるなんて許せない……!」と何度も繰り返していた。
私たちは三人で顔を見合わせ、静かに頷いた。
もう、手遅れなんかじゃない。
今なら、悠真くんを独占できる。
幼馴染みとしてではなく、女の子として、恋する女として、
死ぬほど溺愛して、包み込んで、幸せにできる。
私達無しじゃ生きられない体にしたい。
悠真くんが傷ついた心を、三人で優しく癒やしてあげよう。
大きな胸で包み込んで、温かい体温で溶かして、
もう二度と他の女の子に目を向けられないくらい、
甘やかして、甘やかして、甘やかしてあげよう。
私は静かに息を吸い、決意を込めて言った。
「これからは……三人で、悠真くんを幸せにしようね」
澪が小さく頷き、
雛が力強く拳を握った。
やっぱり起きてたんだ、2人とも。
この夜から、私たちの本当の戦いが始まった。




