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恋人に浮気されて意気消沈した俺はお隣に住むデカすぎる美人三姉妹に死ぬほど溺愛される  作者: かくろう
第1部

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第36話 遅すぎた気付き……本当に大切だったもの

【浮島凪沙 視点】


病院での検査を終えて帰宅した私が玄関のドアを開けた瞬間、冷たく淀んだ空気が肺にまとわりついた。


リビングのソファに父が座っていた。

テレビの音量はほとんどゼロ。

ただ、父の存在だけで部屋全体が重く圧し潰されているような気がした。


私は靴を脱ぐ手すら震えながら、できるだけ音を立てないように自分の部屋へ向かおうとした。


「凪沙」


父の低い、腹の底に響く声が背中に突き刺さった。


足が止まる。

喉が一瞬で干上がる。


「……何?」


振り返ると、父はリモコンを握ったまま、冷たい目で私を睨んでいた。

母は台所で夕飯の準備をしているふりをしながら、明らかに父の機嫌を窺うように肩を縮めている。


娘が病院に運ばれたと知っても、迎えにすらこなかった。


父はゆっくりと立ち上がり、近づいてきた。


「学校から電話があった。

退学処分が決定したそうだな」


その一言で、胸の奥がぐちゃりとねじれた。


私は唇を強く噛み、精一杯の強がりで答えた。


「……そう。

もう学校には行かないわ」


父の目が細くなる。

その視線だけで、昔から染みついた恐怖が全身を駆け巡った。


「女は男の役に立つものだと言ったはずだ。

顔と愛想だけが取り柄のくせに……

学校を退学になるような真似をしやがって」


父の声が低く、ゆっくりと響く。

一つ一つの言葉が、ナイフのように胸を抉る。


「飲酒、喫煙、ラブホテル……挙げ句の果てに暴行未遂だと?

お前は本当に、うちの恥を晒すために生まれてきたのか?」


私は拳を握りしめ、指の爪が掌に食い込む痛みを感じながら、必死に声を絞り出した。


「父さんの言う通りよ……

私は顔と愛想だけが取り柄の、役立たずの娘よ……

満足した?」


父の顔が歪み、次の瞬間、強い力で私の肩を掴まれた。

壁に押しつけられ、背中が痛む。


「その態度は何だ。

まだ反省の色が見えないな」


父の息が顔にかかる。

酒の臭いと、長年染みついた怒りの匂いが混じり、吐き気がこみ上げた。


母が台所から小さく、怯えた声を出した。


「あなた……凪沙ももう十分反省してるわよ……」


「黙れ」


父の一言で、母はすぐに口を閉ざした。

いつもの、惨めな光景。

私はこの家でずっと、この繰り返しを見て育ってきた。


私は父の手を振り払い、精一杯のプライドで言い返した。


「もういいわ。私、明日からこの家を出る。もう二度と迷惑かけないから」


父は鼻で笑った。

その笑い声が、胸に突き刺さる。


「出ていく? どうやって生きていけると思っている。顔と愛想だけが取り柄の女がな」


その言葉が、胸の奥深くに深く突き刺さった。


私は何も言い返せず、ただ自分の部屋に駆け込んだ。

ドアを閉め、鍵をかけた瞬間、膝から崩れ落ちた。


暗い部屋の隅で、膝を抱えて顔を埋めた。

喉の奥から、声にならない嗚咽が漏れ出す。


(……全部、終わった……)


学校での仮面も、瑛斗という最後の逃げ道も、悠真という最後の金づるも——

全て失った。


この家は、私にとってずっと牢獄だった。

父の支配と軽蔑、母の無関心と怯え……

ここにいる限り、私は永遠に「父の言う通りの役立たずの娘」でしかない。


スマホの画面には、瑛斗からの最後のメッセージがまだ残っていた。


【お前、もう用済み。動画も全部下須川さんに渡したからな。勝手に死ねよ、役立たず】


私はスマホを床に叩きつけ、声を殺して泣き続けた。


毒親の家庭で育ち、毒親の家庭で壊れ、

結局、自分も毒を撒き散らして全てを失った。


惨めで、汚くて、救いようのない現実が、

暗い部屋の中で私をゆっくりと飲み込んでいった。


「うああああああ!! あーーーあーあーあーあああああああああ!!!!!」


悔しくて、悔しくて、胸が張り裂けそうだった。

私はベッドの上のクッションを掴み、壁に思い切り投げつけた。

次に枕を、鏡の前に置いてあった化粧ポーチを、床に散らばっていた服を——

手当たり次第に掴んでは投げ、床に叩きつけた。


「くそ……くそっ……! なんで……なんでこんなことに……!」


息が荒くなり、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになる。

部屋の中が荒れ果てていくのに、怒りは一向に収まらない。

むしろ、暴れれば暴れるほど、胸の奥の空虚さが広がっていく。


その時、部屋の片隅に転がっているひとつの小箱が目に入った。


……指輪。


悠真が付き合い始めたばかりの頃に、初めてプレゼントしてくれたシルバーのシンプルな指輪。

普段ならすぐに転売するようなものだったのに、「初めてのプレゼントを大切にする彼女」を演出する為にと、しばらく身につけていた。


そのうちどうでもよくなって、いつしか部屋の隅に忘れ去られていた。


私は震える手でその指輪の箱を拾い上げ、中のリングを取り出した。


冷たい金属の感触が、指先に染みる。


「はっ……なんでこんなもの……」


ふと、包装されていた箱の裏に、小さなメモが挟まっていることに気がつく。


指輪以外どうでもよかったので、今まで気にも留めなかったが……。


「これ……手紙?」


それは小さなレターセットだった。手の平サイズの、シンプルなデザイン。


中から紙を取り出し、そこに書いてある文字を見て、私は固まった。


――『凪沙へ……。俺の彼女になってくれて、ありがとう。きっと幸せにします。この指輪は、その誓いです』


その瞬間、これまで悠真が私に向けていた、あまりにも純粋で温かい視線が、走馬灯のように蘇ってきた。


「は……ハハ……なんだこれ……馬鹿馬鹿しい……中学生かっつーの……くせぇ事しちゃってさ」


何故だか、心が熱くなる。涙がジワジワと溢れて出てくる。


悠真は優しかった。

悠真はいつも気遣ってくれた。

悠真はどんなに忙しくても、メールにすぐに返信してくれた。

私が欲しがっているものを、いち早く察知して、先回りして準備してくれた。


瑛斗にゴミのように捨てられた今になって、

あの3ヶ月が、どれだけ満たされた時間だったのかを、ようやく思い知った。


「……悠真は……温かかった……

あなたは、いつでも優しかった……

私は、自分で捨ててしまったんだ……ゴミみたいに捨ててしまった……」


声が震える。

指輪を握る手に力がこもり、指の関節が白くなる。


今になってようやく分かった。


どうして三姉妹と一緒にいる悠真を見ると、あんなにイライラしたんだろう。

どうして私と一緒にいないのに、あんなに幸せそうに笑っているのが許せないと感じたんだろう。


(そうか……そうだったんだ……)


「私……悠真のこと……好きだったんだ……」


そうだ。


いつもは適当に扱って、貢ぎ物だけさせてきた歴代の彼氏たち。

でも悠真とだけは、ちゃんとデートに行った。


悠真からもらったものは、ちゃんと一度は身につけた。

転売したお金で新しいブランド品を買っても、なぜか虚しくなって、すぐにまた手放して……。


悠真からもらえるものが、とても愛おしく感じていたんだ。自分でも気がつかないうちに……。


「あは……あはは……あはははは……

バカだ……バカだなぁ私……。

なんだよこれ……ダッセェ……。

これじゃまるで、純愛みたいじゃんか! 中学生の初恋かっつーの……」


私は床に座り込んだまま、指輪を胸に強く押し当てた。

涙が止まらない。

嗚咽が喉の奥から漏れ、肩が激しく震える。


悠真と過ごしていた時間が、自分でも気がつかないうちに、

掛け替えのないものに変わっていたんだ。


「悠真からもらえる言葉が嬉しかった……

お弁当を作った時の、喜ぶ顔が……私も嬉しかったんだ……

なんでだよ……なんで今になって気がついちゃうんだよぉ……

こんなこと、一生気がつかない方が幸せだったのに……あはは、あはははは!」


笑いながら泣いている自分が、たまらなく惨めだった。


後悔が、熱い鉄の塊のように胸の奥で燃え続けている。

悠真の優しい笑顔が、頭の中で何度も何度も再生される。

照れくさそうに指輪を渡してくれた時の、あの少し赤くなった耳。


私が「これ可愛いね」と言っただけで、嬉しそうに目を細めてくれた顔。


私が少し疲れた様子を見せただけで、すぐに「お茶でも飲もうか?」と気遣ってくれた声。

全部、全部、今になって胸を抉る。


(私は……自分で一番大切なものを、手放してしまった……)


悠真は私を「好き」だった。

ただの財布じゃなく、媚びることもなく、体目的でもなく、本気で私を大切に想ってくれていた。


それなのに私は、あの純粋な想いを、ゴミのように踏みにじって捨てた。

「お前はサイフだ」と笑いながら、悠真の心を踏み潰した。


今、ようやくわかる。


あの時、悠真が私を見てくれていた目は、

親が向けているそれとは、全く違う温度だった。


瑛斗を始めとして、今までの男はみんな私の体が目当てだった。

私も金や貢ぎ物が目的だったから、同じ穴のムジナだ。


でも悠真は違う。


悠真の目は、温かかった。

優しかった。

私を「一人の女の子」として、ちゃんと見てくれていた。


肉穴じゃなくて、心をもった1人の人間として、ちゃんと愛してくれていたんだ……。


私がずっとずっと欲しかったものを、ちゃんと、最初から、与えてくれていたんだ。


親の愛に恵まれず、誰かの愛を欲した私が、ずっとずっと欲しかったものを……。


それなのに私は——


「あ……ううっ……ぐすっ……ううっ、ううぅう……あぁあ、ぁああああっ」


嗚咽が止まらない。

指輪を握る手が痛いほどに震える。

指の隙間から涙が滴り落ち、指輪の表面を濡らす。


「悠真、悠真ぁ! ……ごめん……ごめんなさい……

私は……バカだった……本当にバカだった……

あなたがどれだけ優しくて、どれだけ大切だったか……

今になって……今更になってやっと……」


声が途切れ途切れになる。

後悔が、波のように何度も何度も押し寄せて、息をするのも苦しい。

胸が締め付けられ、胃がねじれるような痛みすら感じる。


もし、あの時、悠真を捨てなければ——

もし、瑛斗なんか選ばなければ——

もし、最初から彼の想いにちゃんと向き合っていれば――


今頃、私はまだ悠真の隣にいられたかもしれない。

あの温かい視線を、毎日浴びていられたかもしれない。

汚かった私の過去を、洗い流してくれたかもしれない。


きっと彼は、私の本性を知っても、心で向き合えば分かってくれた。


私が素直に苦しみを吐露して、彼の心と向き合えば、きっと一緒に歩んでくれた。


そのくらい優しい人だったことに、やっと……気がついた。

気がついて……しまった。


なのに、私は自分で全てを壊した。

一番大切なものを、自分の手で嘲りながら壊してしまった。


「あは……あはは……

本当に……最低だ……私……

悠真……あなたのこと、好きだったのに……

好きだったのに……なんで今まで気づけなかったんだよ……

バカだ……私、バカすぎる……」


指輪を握ったまま、私は床にうずくまった。


「うううっ、ううっ、うああっ、あ、ああ、あああああああっ!!!」


ダンッ! ダンッ!


拳を何度も床に叩き付ける。

遠くに聞こえる父親の怒鳴り声も、既に耳には入ってこなかった。


毒親の家の中で、

私はようやく、自分が本当に失ったものが何だったのかを、

痛いほどに、遅すぎるほどに、思い知らされていた。


「あああああああああああああああっ!!!!」


この後悔は、もう一生消えないだろう。


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