第28話 教室のざわめき
昼休みが終わり、古語の授業が始まっていた。
俺は教科書を立てて、ぼんやりと黒板を見つめていた。
頭の中はまだ凪沙の突然の態度でいっぱいだった。
昨日まではあんなに必死で俺にすがりついてきたのに、今日は突然甘ったるい笑顔で弁当を差し出してくる。
「王子様」「運命」——あの言葉が耳に残って離れない。
退屈な授業中にそんなことを考えていると、不意にサイレント中のスマホのランプに気がついた。
俺は教科書を少し立ててスマホを隠し、グループチャットを確認した。
――葵『悠真くん、今日、浮島凪沙と話したんだって?』
俺は少し驚きながら返信した。
――悠『どうして知ってるの?』
――葵『噂になってるよ。凪沙が悠真に弁当を持ってきて、一緒に食べようって誘ってたって』
すると、今度は澪が会話に入ってきた。
――澪『ゆーま、困ってた?』
――悠『正直、気持ち悪かった。数日前はあんなに必死だったのに、今日は急に甘ったるい態度で……何を考えてるのか分からない』
――葵『私たち、三人で話したの。
悠真くんがもう関わりたくないって言ってるのに、凪沙が自分から近づいてくるのは……許せないよね』
追従するように雛も参加してきた。
――雛『そうだよー! 悠真を泣かせて捨てたくせに、今更王子様とか運命とか。絶対許せない!』
俺は思わずスマホを握りしめた。
――悠『なんでそんな詳しく知ってるの? ついさっきだぞ?』
――葵『ふふふのふ~♪ 白峰三姉妹って学園内で凄く人気が高いんだよー♪』
――澪『我らの信奉者、すぐ近くに』
――雛『壁に耳あり障子にメリーさん♪』
「怖いわ! 怪談話かよっ!」
思わず声を上げてしまい、クラス中の注目が俺に集まった。
黒板をチョークで叩いていた古語の教師が、すんげぇ形相で俺を睨んでいた。
「たーかーみーざーわー……枕草子は怪談話じゃないわよー♪ アタシの授業はそんなにつまんないかしら~♡」
美人だけど怒らせると怖い独身34歳教諭に怒られてしまい、俺はすごすごと座って小さくなるしかなかった。
「とりあえずあとで職員室にきなさーい♡ あとスマホ仕舞え」
「あ、先生違うんですよ……」
「し・ま・え♡」
「はい、しゅみません」
俺は小さく肩を落とし、スマホをそっとしまった。
授業が再開されても、頭の中は三姉妹のメッセージでいっぱいだった。
どうやってこんなに早く情報が回っているのか……白峰三姉妹の情報網の広さに、改めて戦慄した。
昼休みの出来事が、俺の胸に不気味な影を落としていた。
ちなみに職員室ではありがたいお小言をたっぷりと頂戴することになった。
◇◇◇
その後も凪沙の猛攻は止まらなかった。
休み時間になる度に、彼女は俺の席に近づいてきては話しかけてくる。
三姉妹の誰かがやってくると、彼女はそそくさと離れていく。
まるで計算された動きだった。
ヒット&アウェイされてるみたいで気持ちが悪い。
俺が凪沙にフラれてから、まだ2週間程度しか経っていない。
積極的に言いふらしてはいないものの、なんとなく俺達が別れたことはクラス内に広まっていたはずだ。
にも関わらず、今日になって突然のあの態度だ。
痴話ゲンカしているのだな、くらいの認識しかされていないのが、やりにくくて仕方なかった。
放課後のチャイムが鳴った瞬間、俺はいつものように荷物をまとめようとした。
しかし、教室の入り口から聞き覚えのある声が響いた。
「悠真♡ 一緒帰ろ♡」
凪沙が明るい笑顔で近づいてきた。
彼女は俺の机に手を置き、甘えるように体を傾ける。
俺は我慢仕切れず、思わず声を上げてしまった。
「離してくれ凪沙。俺達はもう終わっただろ。どうして今になってそんなにすり寄ってこようとするんだ」
周りはザワッと俺達に注目している。
良い機会だ。周りの皆にも聞いてもらおう。
「君は俺を振った。朝倉瑛斗に貢ぐために俺を利用していた。それを俺に知らしめることで終わりにしたはずだ。君が終わらせたんだ」
教室の中はみるみるうちにざわめきが大きくなってきた。
凪沙は一瞬、目を伏せたが、すぐに声を張り上げた。
「そんな冷たいこと言わないで。誤解があったのは謝るから。私はあなたへの気持ちはまだ変わっていない。お願いだから『私を捨てないで!』」
そのセリフを一際大きく言い放った瞬間、教室の空気が一変した。
(しまった……これは凪沙の作戦なんだ)
俺は自分の迂闊さに舌打ちをした。
こいつは自分のクラス人気を盾にとって、『俺が誤解の末にフッた』ことにするつもりらしい。
教室の中はみるみるうちに凪沙を支持する声が伝播していき、『高見沢~、いい加減許してやれよー』などと野次を飛ばす連中まで出始めた。
(こいつの狡猾さを甘く見てた……ここまでするなんて……いや、ひょっとしたら、それだけ必死なのか?)
俺は拳を握りしめ、クラスメートの視線を感じながら、必死に言葉を探した。
その時、教室の後ろのドアが開く音がした。
三姉妹が揃って入ってきた。
雛が真っ先に俺の姿を見つけ、駆け寄ろうとする。
葵と澪もその後ろから続いている。
俺は慌てて手を挙げ、三姉妹を制した。
「これは自分でなんとかするべき問題だ。
皆、待っててくれ」
雛が心配そうに足を止めた。
葵が優しく頷き、澪が無言で俺を見つめる。
俺はクラスメートの視線を一身に受けながら、凪沙に向き直った。
「誤解を解くよ。俺は君を振ったんじゃない。
君が俺を利用して捨てたんだ。それを今更、甘い言葉で覆い隠そうとしても無駄だ」
教室が静まり返った。
凪沙の笑顔が、わずかに引きつった。
俺は深く息を吸い、はっきりと言った。
「もう二度と、俺に近づかないでくれ」
その言葉が教室に響き渡った瞬間、俺は三姉妹の視線を感じた。
これは俺が自分で解決しなければならない問題だった。
だが、相手は男を騙す為に生まれてきたような性悪。そう簡単にはいかなかった。
「ひぐっ……うえぇえん……酷い、酷いよ悠真……。朝倉君とはなんでもないの。どうして信じてくれないの?」
こいつ……、泣き始めやがった。しかも心配で寄り添ってきた女子生徒に顔を埋めて悲劇のヒロインを演じきっている。
マズい……完全に凪沙の流れになってしまっている。
これじゃあ俺がいくら誤解を解こうとしても、信じる者がいるかどうか……。
でも、ここで怯んではダメだ。それじゃ前の俺と何も変わらない。
葵も澪も雛も、心配そうに俺を見てくれている。
ここで彼女達に助けてもらったら、強くなると誓った約束を果たせなくなる。
「いくら泣いても俺の意見は変わらない。誰も信じてくれなくて構わない。俺と凪沙の交際関係は、既に終わっている。俺には、もう大切にしたい相手がいるんだ」
言葉だけ切り取ると、俺が浮気の末に別の女に乗り換えたように受け取る奴もいるかもしれない。
だがそれでも構わない。周りがどういう認識であろうと、俺の中の真実を曲げるつもりはないんだ。
その時、教室の後ろから三姉妹が静かに近づいてきた。
彼らは俺の後ろに並び、背中を支えるように立った。
前に出ることはせず、ただ俺の後ろで寄り添うように。
雛が小さく俺の背中に触れ、葵が優しく息を吐き、澪が無言で俺の肩に軽く手を置いた。
その温もりが、俺の背中を強く押してくれた。
教室のざわめきが、徐々に大きくなっていく中、俺は三姉妹の存在を感じながら、静かに息を整えた。
背後に三姉妹がいることが、俺に小さな勇気を与えていた。




