第26話 突然の接触
放課後、俺は三姉妹と一緒に校門を出て、いつもの道を歩いていた。
雛が右腕に絡みつき、葵が左側で優しく微笑み、澪が少し後ろから静かに荷物を持ってくれている。この穏やかな時間が、最近はとても心地よかった。
「悠真、今日のおやつは何がいい? 雛、気合い入れて作るよ!」
雛が元気よく顔を上げて聞いてくる。俺は軽く笑って答えた。
「雛の作るものは全部美味しいからなぁ。あ、ホットケーキとかどうだ?」
「いいね! ホットプレート出して、みんなでホットケーキパーティーしようよ!」
葵がくすくすと笑いながら言った。
「悠真くん、最近明るい表情が増えたね……嬉しいよ」
「皆のおかげだよ」
澪は無言のまま、俺の肩に軽く胸を預けてきた。その静かな仕草が、言葉以上に温かかった。
そんな帰り道の途中で、突然声がかけられた。
「よお、高見沢」
振り返ると、派手な茶髪の男——朝倉瑛斗が立っていた。凪沙の本命だった男だ。彼はニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「久しぶりだな。元気か?」
俺は体を固くした。三姉妹も動きを止め、俺の両側と後ろから瑛斗をじっと見つめている。
「……何の用だ?」
瑛斗は肩をすくめた。
「用? まあ、用はあるよ。お前、凪沙のことはもう完全に切ったんだろ?」
その名前が出た瞬間、胸がざわついた。俺は冷静を装って答えた。
「ああ、もう関わらない。それが何か?」
瑛斗は低く笑い、スマホを取り出して画面を見せた。
「実はよ、凪沙が今、下須川ってワルに目をつけられてる。動画とか危ないものを持たれてるらしい。お前はお人好しだから、黙って見過ごせないだろ? ちょっと協力してくれよ。下須川に『凪沙はもう俺のものだ』って言って、手を引かせてくれればいい」
俺は瑛斗の目に、はっきりとした悪意を見た。彼は凪沙を「商品」として扱おうとしている。
(なるほど……嘘から出た実って奴か)
俺ははっきりと言った。
「俺は凪沙のことはもう関わらないって決めた。不幸になれと思ってるわけじゃないが……お前が自分で何とかしろ」
瑛斗の笑みが凍りついた。
「は? お前、本気で言ってんのか? あの人は女を平気で壊す男だぞ。放っておいたら凪沙の人生がぐちゃぐちゃになる」
「それでも、俺は関わらない。凪沙が本当に困ってるなら、自分で警察に行けと言ってある。俺が首を突っ込む筋合いはない」
その時、雛が俺の右腕を強く握った。
「悠真、行こう。こんな人の話、聞く必要ないよ」
葵が優しく、でもはっきりと言った。
「悠真くん、ちゃんと自分の気持ちを伝えてるね……えらいよ」
澪は無言のまま、俺の左腕をそっと抱きしめてくれた。
三姉妹の存在が、俺の背中を強く押してくれた。俺は瑛斗に一瞥をくれ、静かに歩き出した。
背後で瑛斗が何かを叫んだ気がしたが、振り向かなかった。
(凪沙……もうお前を守るのは俺の役割じゃない。これからは、自分の大切な人を守る。それが俺の新しい役割だ)
◇◇◇
週末の午後、俺は近所の公園のベンチで一人で本を読んでいた。
三姉妹はそれぞれ用事があり、今日は珍しく一人だった。
木漏れ日がページに落ち、風がページを軽くめくる。
静かな時間が心地よく、最近の忙しい日常から少し離れられた気がした。
「ふぅ……たまにはこういう時間も悪くないな……」
この所は三姉妹との生活でわちゃわちゃしていた事もあって、こういう落ち着いた時間は本当に久しぶりに感じる。
一章を読み終え、次のページに指を置いた瞬間、遠くの噴水広場の方から騒がしい声が聞こえてきた。
何事かと顔を上げると、数人の男たちが一人の女性を取り囲んでいるのが見えた。
男たちの中心にいるのは、派手な茶髪の男——朝倉瑛斗だった。
俺は本を閉じ、目を細めた。
女性の姿がはっきり見えた——凪沙だ。
彼女は腕を掴まれ、顔を強張らせていた。瑛斗が肩を押さえ、低く何かを言い聞かせている。
(……関係ないはずなのに)
そう思ったのに、足が勝手に動き出していた。腕を掴まれて引っ張られてる凪沙が、瑛斗に腹パンされているのを見て、我慢ができなくなった。
「チィ……俺って本当に大馬鹿野郎だ」
俺は男たちの近くまで歩み寄った。
例え恨み骨髄に徹す相手だろうと、目の前で暴力を振られている奴を見過ごすことはできなかった。
そんなかっこ悪い男には、なりたくないんだ。
いや違う。そんな事で「ざまぁ見ろ」なんて考える、程度の低い男になりたくなかったんだ。
「……何をしている?」
瑛斗が驚いた顔で振り返った。
「高見沢……?」
凪沙の目が大きく見開かれた。
「ゆ、悠真……」
俺は冷静な声で続けた。
「彼女が嫌がっているのが見えないのか? 放してやれ」
瑛斗の顔が引きつった。凪沙は腹を押さえながら顔を青ざめている。
どうやら本気で暴力を振るわれていたようだ。
「関係ねえだろ。お前はもう凪沙とは切れたはずだ」
「関係ないかもしれない。でも、目の前でこんな状況を見たら、放っておけない」
周囲の視線が集まり、男たちの動きが止まった。
瑛斗は低く笑った。
「へえ……お前、やっぱりお人好しなんだな。いいぜ。今日はここまでだ」
彼は凪沙の腕を離し、男たちに目配せしてその場を去っていった。
凪沙は俺の前で立ち尽くし、唇を震わせていた。
「大丈夫か?」
凪沙は一瞬、悔しそうに俺を睨みつけた。しかし次の瞬間、いつもの清楚な笑顔に切り替わった。
「ありがとう、悠真。やっぱり悠真は、私の王子様なんだね」
「は?」
気持ち悪いセリフに、間の抜けた声が出てしまった。
「何言ってるのお前?」
凪沙は目を細め、甘ったるい声で続けた。
「なんだかんだで私の事心配だったんでしょ? 私が悪い男達にもてあそばれる運命だったところを、あなたが助けてくれた……やっぱり運命だと思うな」
俺は背筋が凍るのを感じた。
(怖い怖い怖い! 何言ってるんだよ、このメルヘン女は)
「ふふ、私が困ってると、すぐに助けてくれる。三姉妹に囲まれてる今でも、私のことを気にかけてくれるなんて……やっぱり運命だと思うな」
その言葉が耳に残り、俺の胃が重くなった。
彼女の笑顔は完璧なのに、どこか歪んで見える。
俺は思わず一歩後ずさった。
心底気持ち悪い。
俺は今、この女を助けたことを猛烈に後悔していた。笑顔は完璧なのに、どこか計算された光があってぞっとする。
「勘違いするな。俺はお前を助けたわけじゃない。ただ、放って置くのが気持ち悪かっただけだ。もう関わらないって決めたんだから、これ以上近づくな」
凪沙の笑顔が一瞬凍りついたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「ふふっ、照れちゃって可愛い。でも、悠真がそう言うなら……今日はこれで許してあげるね」
彼女はそう言い残し、ゆっくりと去っていった。
俺は彼女の背中を見送りながら、胸の奥で強い違和感を覚えた。
(あいつ……本当に何を考えているんだ?)
先日の瑛斗の接触と今日の出来事で、凪沙と瑛斗が結託しているのはほぼ確定した。あの気持ち悪い態度の真意はわからないが、今後一切関わらないと、改めて心に刻んだ。
元カノが転落していくのを見て喜ぶ趣味はない。ただ、胸クソ悪い結末になるのは御免だ。
さっきまでの穏やかな午後が、急に重苦しいものに変わった気がした。




