第19話 凪沙の焦燥
【浮島凪沙 視点】
生徒会室で葵に追い出されてから、数日が経った。
昼休み。私は瑛斗に呼び出されて校舎裏へと足を運んだ。
瑛斗はすでに壁に寄りかかって待っていた。
茶髪を派手にセットしたいつもの姿だが、今日は明らかに苛立った表情を浮かべている。
私は数歩手前で立ち止まり、静かに言った。
「……何か用?」
瑛斗は煙草をくわえたまま、面倒くさそうに吐き出した。
「用? お前、金はどうしたんだよ。今日中に5万用意しろ。ライブの機材代がマジでヤバい」
私は小さく舌打ちをした。
(チィ……顔と下半身だけのクセにエラそうに……)
瑛斗のバンド「Vortex」は、学園近くの小さなライブハウスを中心に活動している。
表向きはSNSで「熱いライブで人気上昇中!」と派手に宣伝しているが、実際はかなり杜撰だった。
ライブに出るたびに2〜3万円のノルマを自分で負担しなければならない。
チケットを売ってもほとんど利益が出ず、毎回「友達呼べ」「知り合いに回せ」と周囲に無理やり押し付ける。
機材の修理代やスタジオ代も全部自腹。
練習は週に2回程度で、瑛斗本人が遅刻やドタキャンが多い。
「今日は声が出ない」「昨日飲みすぎた」と言い訳して早めに切り上げるのも日常茶飯事。
本人は「俺たちは本気でプロを目指してる」と大口を叩くが、実際はライブ後の打ち上げで女を呼んで派手に飲むことの方が優先されている。
私はそんな裏側を、付き合って数ヶ月で嫌というほど知ることになった。
最初は「バンドマン」という華やかなイメージに惹かれた。
でも今はただの自分勝手で計算高い男にしか見えない。
貢ぎが少なくなればすぐに「使えねえ」と切り捨てる態度に、強い辟易を感じ始めていた。
それでも完全に切れないのは、「瑛斗に捨てられたら惨めな女になる」というプライドが邪魔をしているからだ。
終わる時は、こっちから切った時だけだ。
それに、その気になれば金を出すことはできる。
実は悠真から貢がれて転売したプレゼントの利益は、まだまだかなり手元に残っていた。
だけど、これはいずれ【あの家】から出て行くための大切な資金だ。
自分の為には使うけど、得にもならない瑛斗の為に使うつもりは、既にまったくなかった。
(あれは私が《《クソ親から独立するため》》の大切な金だ……もうこんな奴に使ってる場合じゃない)
私は冷静に彼の顔を見返した。
「だから、急にそんな大金、作れるわけないでしょ? 何度も言わせないで」
「は? お前、何やってんだよ。あのチビから金引っ張ってくるんじゃなかったのか」
「前は生徒会室で葵に追い出されてタイミング悪かったの」
「はぁ? なんだよそれ。お前、ほんと使えねえな」
(本当にうんざり……)
瑛斗の自分勝手な要求が、最近特に目につくようになっていた。
この三ヶ月間、悠真から引っ張った金で贅沢の味を覚えさせてからはエスカレートしている。
ギターを弾いている姿がかっこよかったのと、セックスが気持ち良かったから繋いでいたが、その他がクソ過ぎた。
……この所、どうしてだかこの男の粗が目立つようになってきた。
いや、気にならなかった粗が、気になって仕方なくなってきた。
何故だ……。
悠真と別れてから、小さな事が許せなくなってきた。
あれからコイツとは何度かセックスしたが、どうにも気持ち良くなれない。
「自分のライブなんだから自分で何とかしたら?」
「だからそれがデキねぇからお前がやれって言ってるんだよ。あんなチビのガキ、チョロいって言ってたじゃねぇか」
私は眉を寄せた。
何故だか悠真をチビガキ扱いされると腹が立つ。
悠真をバカにしていいのは私だけだ。
あいつが夢中になった私だけが、悠真を貶める権利があるんだ。
お前が勝手に見下すんじゃねぇよ。
「悠真は今、三姉妹に囲まれてて連絡も取れないし、ブロックもされてる」
「ふざけんなよ。
お前が捨てたんだろ? なんでブロックされてんだよ。
直接会いに行って泣き落とししてこい。お前ならすぐ落ちるだろ」
「もうやったっての」
自分でやると決めるのはいいが、こいつから指図されるのは気に入らない。
瑛斗の言葉は相変わらず自分勝手で、苛立ちが露骨だった。
「私はあなたの都合のいい女じゃないわ。
あなたが私に相応しくなくなってきたら……こっちから切ってもいいと思ってる」
瑛斗が一瞬、言葉を詰まらせた。しばらくして……。
「……は? お前、本気で言ってんのか?」
私は静かに、しかしはっきりと言葉を続けた。
「私、男に媚びて生きてるつもりはないから。最近、だんだん疑問に思ってきたの。あなたは私に何を返してくれてるの?」
瑛斗が鼻で笑った。
「返してやってるだろ。
俺と付き合ってるってだけで、箔が付くだろ」
私は小さく息を吐いた。
「そんなもの付くもんですか。最近、あなたのそういう所がイヤになってきてるのよ」
瑛斗の表情が一瞬、険しくなった。
「おい、凪沙……お前、本気で言ってんのか?
学園中で『貢ぎ捨てられた女』って笑い者にしてやるぞ」
私は静かに微笑んだ。
「笑い者?
それより、あなたが私なしでライブを続けられるかどうかの方が心配じゃない?」
「なんだと?」
「大体、この学園の中じゃ私の方が立場は上よ。
あんたは素行不良の爪弾き。私は優等生。世間がどっちの味方をするか、一目瞭然じゃない。はたしてどっちの言うことを周りは信じるかしら」
瑛斗が一歩近づいてきた。
「脅してんのか?」
「脅しじゃないわ。
ただ、現実を言ってるだけ」
「なあおい、凪沙……お前、急に何言ってんだよ。
お前が貢いでるのは俺の夢を支えるためだろ?」
私は小さく息を吐いた。
「夢? あなたが毎回ノルマを自腹で払って、練習サボって、打ち上げで女呼んで金使ってるだけじゃない。
私に貢がせてばかりで、何が夢よ」
「……ふざけんな。
お前が悠真を捨てたのは俺のためだろ?
だったら責任取れよ」
私は冷ややかに打ち込んだ。
「責任? はっ……面白いわね。
私、そろそろあなたが私に相応しいかどうか、本気で考え始めているところよ」
瑛斗の返事は短く、苛立ちが露わだった。
「金がないなら、本当に終わらせてやるぞ。役立たずは、俺には必要ねえ」
私はその言葉を聞きながら、胸の奥で冷たいものが広がるのを感じた。
瑛斗は苛立った様子でスマホをポケットに突っ込み、吐き捨てるように言った。
「それがイヤなら、ちゃんと動けよ。なんだったらヤラせてやれよ」
「それを決めるのはあんたじゃ無くて私よ」
勝手な事ばかりほざく瑛斗に苛立ちが募る。
「とにかく今日中に金、作っておけよ。作れなかったら、本当に終わりだからな」
瑛斗はそう言い残して、校舎裏から去っていった。
(人の話、全然聞いてないわね)
私はその背中を冷ややかに見送った。
胸の奥では苛立ちが渦巻いている。
でも、同時に、はっきりとした決意が生まれていた。
(私は、誰かに媚びて生きる女じゃない。瑛斗もそろそろ終わりだな……やっぱり便利な財布は自分の為にこそ使わないと)
私はスマホを握りしめ、ゆっくりとその場を離れた。
午後の授業が始まるチャイムが、遠くで鳴り響いていた。




