EP 2
教会での『アヒルの玩具事件』から数時間後。
鍵田家の食卓は、いつになく重苦しい空気に包まれていた。
「……で、父さん。その『ちきゅう』の『あひる』っていうのは、結局何の効果がある魔道具なんだ?」
俺は、食卓の中央に鎮座する黄色いアヒルを指差しながら、おそるおそる尋ねた。
父さんは、エール酒のジョッキをあおり、深くため息をついた。
「効果、ねぇ……。強いて言えば、風呂に入っている時に、心を和ませる効果があるな」
「心を和ませる……? それだけ?」
「ああ、それだけだ。攻撃力も防御力も、魔力増幅も一切ねぇ。ただの、子供用のおもちゃだ」
父さんの言葉に、俺はガクッと肩を落とした。
女神様から授かった、何百万人に一人と言われるユニークスキル【ランダムボックス】。
その正体は、父さんの故郷である『地球』という異世界の、戦闘には一切役に立たないガラクタを呼び出すだけのスキルだったのだ。
「ぷきゅっ」
俺が思わずアヒルを握りしめると、また間の抜けた音が鳴り、余計に虚しさが募った。
「まぁまぁ、アレン。剣術と魔法の適性はS級だったんだし、スキルなんておまけみたいなものよ」
母さんが、俺の好きなお肉料理を皿に盛りながら、優しくフォローしてくれた。
「……そう、だね。母さん」
俺は、努めて明るく振る舞いながら、肉を口に運んだ。
確かに、剣術と魔法の修行は続けてきた。人並み以上には戦える自信はある。
でも、どこかで期待していたんだ。父さんの『銃口剣』のように、自分だけの特別な力が手に入ることを。
夕食が終わり、食器を片付けた後。
俺は、意を決して、椅子から立ち上がった。
「父さん。母さん。……話があるんだ」
俺の声のトーンが変わったことに気づき、父さんと母さんは、真剣な眼差しを俺に向けた。
「俺……冒険者になりたい」
「……」
父さんは、ジョッキをテーブルに置き、黙って俺を見つめた。
母さんは、驚きに目を見開き、少し心配そうな表情を浮かべた。
「俺、幼い頃から、父さんと母さんの冒険譚を聞いて育ってきた。世界を救った最強の英雄と、聖女。二人は、俺の憧れだった」
俺は、両拳を強く握り締め、自分の想いを言葉に乗せた。
「自分だけの特別なスキルは手に入らなかった。でも、俺には、二人が鍛えてくれた体と、教えてくれた魔法がある。これを使って、俺も、父さんたちみたいに、困っている人を助けられる、本物の勇者になりたいんだ!」
俺の決意の言葉が、部屋に響き渡った。
静寂が訪れる。
数秒の後、父さんがゆっくりと口を開いた。
「アレン。お前の目は、本気か?」
父さんの声は、いつもの明るい父さんのものではなかった。
かつて戦場を駆け抜けた、元勇者としての、厳しく、重みのある声だった。
「冒険者の世界は、お前の想像以上に厳しく、残酷だ。一度街を出れば、女神の加護も、教会の保護も届かない。そこにあるのは、生きるか死ぬかの、弱肉強食の現実だけだ。二度と、この家に帰ってこられないかもしれない」
父さんは、椅子から立ち上がり、俺の目の前に歩み寄った。
そして、俺の目を、射抜くような鋭い眼差しで見つめた。
「それでも、お前は行くか? 英雄の息子という『看板』に潰されず、己の力だけで、未来を切り開く覚悟はあるか?」
父さんのプレッシャーに、俺の足が震えた。
でも、俺は逃げなかった。父さんの目を真っ直ぐに見返し、力強く頷いた。
「本気だよ。父さん」
俺の言葉に、父さんは一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐにフッと笑みをこぼした。
「……いい目だ。俺の息子なら、そう言うと信じていたよ」
父さんは、俺の肩をポンと叩き、いつもの明るい笑顔に戻った。
「セーラ。お前は、どうだ?」
父さんに話を振られ、母さんは、少し困ったように眉を下げた。
「そうねぇ……。アレンが、自分の意志で選んだ道だもの。母親としては、心配で仕方がないけれど……止める権利はないわね」
母さんは、俺に歩み寄り、優しく抱きしめた。
母さんの温かさに、俺の心が和らいだ。
「アレン。あなたが、どこで何をしていようと、私は、あなたの無事を祈り続けているわ。いつでも、この家に帰ってきていいからね」
「……ありがとう。母さん」
こうして、俺の冒険者への旅立ちが決まった。
その夜。
俺は、自分の部屋で、旅支度を整えていた。
バックパックに、数日分の食料と水、予備の服、そして剣と盾。
そして、忘れずに、あの黄色いアヒルも、ポケットに滑り込ませた。
戦闘には役に立たないけれど、父さんの言う通り、心を和ませてくれるかもしれない。
「アレン。入るぞ」
扉が開き、父さんが入ってきた。
父さんの手には、一本の剣が握られていた。
「これは……?」
「俺が冒険者になったばかりの頃に、使っていた剣だ。名付けて『黒鋼の剣』。お前に譲る」
父さんは、俺に剣を差し出した。
俺は、震える手で、その剣を受け取った。
ずっしりと重く、黒く光る刃は、父さんのこれまでの冒険を物語っているようだった。
「そして、これはお前にしか扱えない、特別な『武器』だ」
父さんは、俺の耳元で、ニヤリと笑いながら囁いた。
「アレン。お前のユニークスキル【ランダムボックス】。今はガラクタしか出なくても、諦めるな。お前には、俺の『地球の知識』が、血として受け継がれている。そのガラクタを、どう使うかは、お前次第だ」
「……父さん」
「いつか、そのアヒルが、世界を救う日が来るかもしれないぜ」
父さんの言葉に、俺はハッとした。
そうか。スキル自体が弱いんじゃない。俺が、そのスキルの使い方を知らないだけなんだ。
父さんの故郷の品物なら、父さんの知恵を借りれば、新しい戦い方ができるかもしれない。
「――よし! 行ってこい、アレン! 俺たちの、最高の息子!」
「行ってらっしゃい、アレン! 私たちの、宝物!」
翌朝。
俺は、リュウとセーラの、最高の笑顔に見送られながら、住み慣れた鍵田家を後にした。
俺の、勇者への、冒険者としての第一歩。
受け継がれる意志(剣)と、前代未聞のスキル(アヒル)を胸に、俺は、無限の可能性が広がる異世界へと、駆け出した。




