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ーNo titleー  作者: 一ニ三
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枷

 橋梁工事現場での爆発は事故として処理された。

 本部へ戻る車両には美剣、溝呂木、旭夏、そしてストレッチャーに横たわる漁火が乗っていた。

「あっ〜!やっちまったぁー!別の車にしとけば良かった」

 車の走行音と漁火の規則正しい寝息の音だけの車内に突如、美剣の声が響く。

「車の所有者の問題じゃない。お前は自分の行いを悔いろ。この脳筋ゴリラめ!猿でも反省出するぞ」

 溝呂木に冷たく言われた美剣は何も言い返せせずに項垂れた。

「西宮愛夢・・・すまんが朝ラーは今度にしてくれ」

「はい」

 美剣は申し訳なさそうに愛夢に手を合わせる。

 それどころではない事は、ちゃんと分かっていた。そして自分には美剣を励ます資格が無い。だから少しの寂しさは殺す。

「お前は気にせず朝飯を食えよ。昼も姐さんの所にちゃんと行け」

「・・・はい」

 こんな時ですら美剣は愛夢を気遣う。それが愛夢の中の罪悪感を強く刺激した。

 作戦を決行したのは美剣だが、言い出したのは愛夢だ。だから原因は愛夢にある。

 同じ叱責を受けねばならないのに、愛夢はいつまでも蚊帳の外で、美剣だけが皆に責められている。

 

 離れた場所に座る旭夏は淡々とタブレットを操作しており目すら合わない。

 そうして重たい空気のまま車両は本部へと到着した。


 LET本部にあるミーティングルームルームで、溝呂木に車中での漁火の様子を事細かく聞かれ知り得る全てを話した。

 それを聞いた溝呂木の眉間には深い皺が刻まれ、美剣の表情はさらに暗く曇った。

 そうして最終的に出された結論は、美剣が漁火に誠心誠意の謝罪をするだった。

 だが目を覚ました漁火は誰に顔を見せる事もなく帰宅してしまい、2人はさらに頭を抱えていた。


 今日のようなイレギュラーな事態が起きようとも皆の仕事は変わらずだった。

 愛夢にとっての良き相談相手は漁火だが、その彼がいない今、話を聞いてくれそうな心当たりは一つしかない。

 愛夢の足は自然とシミュレーションルームへと向かっていた。


 シミュレーションルームに誰もいない事を確認し愛夢は叫ぶ。

「アイ!大変!大変なの!」

 アイは常に愛夢の呼び掛けには、すぐに応えてくれていた。だが今のアイは、瞳の記号が˘になっている。

 これはメンテナンス中を示す眠りの表情であった。

「私の所為で漁火さんと美剣さんが大変なの!起きて!どうしたら良いのか教えてよ!アイ!」

 静寂した空間の中で愛夢のため息だけが響く。だが膝を抱えしゃがみこんだ刹那、頭上から待ち侘びた機械音声が響いた。

『アナタノ 所為デハ アリマセンヨ』

 いつの間にかアイの瞳の記号は起動時を表すㆁに変わっていた。

「遅いよ〜!」

 愛夢はアイを撫で回した。

『アレハ 全員ガ 出来得ル全テノ事ヲ 完遂シタ結果デス。アナタハ 何モ悪クアリマセン』

 アイは全てを知っていた。機械の冷たい熱と優しい言葉は愛夢にはもう不可欠なものになってしまった。これはもう依存といっても良いほどであった。

「漁火さん・・・倒れちゃったの」

『過度ノ ストレスニヨル 一時的ナ失神ダソウデス。目ヲ覚マサレテカラハ ゴ自分デ 歩イテ帰ッテイカレマシタ。デスカラ 心配スル事ハアリマセン』

 だが誰とも会わずに帰った漁火の行動が愛夢には無言の意思表示に思えた。

「きっと怒ってるよね?」

『ソレハ 分カリマセン。怒ルナ ト言ウ方ガ 無理デスヨ』

「漁火さんは毎日アスピオンの索敵とデコイへの誘導をしてくれてる。今日の事で嫌気がさして全部を辞めてしまったら、どうしよう?」

 追弔の要である漁火に抜けられる事は絶対に避けねばならない。だが、それよりも愛夢が最も恐れているのは、彼がLETからいなくなってしまう事であった。

『アナタハ 漁火サンノ事ヲ 何モ分カッテイマセン』

「えっ?」

 首を傾げる愛夢にアイは説明を続ける。

『コレマデニ 今日ヨリモ 酷イ事ヤ辛イ事ガ 何度モアリマシタ。ソレデモ 漁火サンハ コノ道ヲ 選ビ 進ンデキタンデス』

 言葉の通り、アイは愛夢の知らない日々の漁火を知っていた。買ったばかりの新車を破壊されるよりも辛い事を何度も経験したのだと思うと胸が痛む。

『漁火サンハ 一度決メタラ 絶対ニ揺ルギマセン。戦ウ事ヲ選ンダ アノ人ハ 絶対ニ此処カラ逃ゲル事ハナイ。優シイダケデハナク トテモ強イ人ダカラ』

 二度も絶対という言葉を使いアイは断言した。

 いつも通りの抑揚の無い機械音声であるにも関わらず、漁火の事を話すアイの声は力強く感じられた。

『ツマリ 漁火サンハ コンナ事デ 職務ヲ放棄シタリハ シマセン』

「アイは、漁火さんの事が大好きなんだね」

『何故 ソンナ結論ニ 至ッタノデスカ?』

 返答までの少しの間が照れているように思えて愛夢は顔が綻んでしまう。

「だって自分を作った人の事は嫌っていて悪く言うのに、漁火さんの事は信頼してて褒めるんだもん」

 少しの間の後、アイから『尊敬スベキ 素晴ラシイ人ダトハ 思ッテイマス』と音声が発される。

 素直に好意を認めない照れ隠しのようなセリフに愛夢は吹き出した。

『コノ話ハ終ワリデス。トレーニングヲ シナイノナラ システムヲ シャットダウンサセマス』

「待って!ちゃんとトレーニングする!するから!」

『ナラバ 今日ハ5秒ハ 粘ッテホシイモノデス』

「も〜急にイジワルになるんだから〜!」

 アイが人間であったなら面倒な性格だと言われただろう。そして友達にはなれなかった。

 だから、アイが機械で良かったと愛夢は心から思った。


 次の日、幸いにもアスピオンは出現せず平和に仕事は終わった。

「西宮君、少し良いか?」

 帰宅途中の愛夢を丸山が呼び止めた。


 敷地内にある低いブロック塀に腰を下ろし、雑談を交わしていると丸山は漁火の話題を持ち出してきた。

「漁火君の事だから問題無いとは思うんだが、彼は自衛隊の連中とうまくやれているだろうか?」

 丸山が何故そんな事を聞くのか理解ができなかった。漁火が誰かと調和がとれない事など有り得ないからだ。

 だが愛夢から見ても伊藤も村岡のフロウティス部隊への当たりは強い。その事を憂いているのだとしても漁火の名を出した理由は分からなかった。

 愛夢は昨日あった出来事の全てを丸山に話した。

 美剣と漁火、そしてアイからも、丸山は善導してくれるとお墨付きを貰っていたからだ。


「そうか、やはり今だに一致団結とはいかないか。双方の良い所を知っている分、歯痒いよ」

 初夏の木漏れ日に照らされた丸山の横顔は沈んでいた。だが深いため息の後には、またいつものパン屋さんのような笑顔を愛夢に向けてくれた。

「今は漁火君と美剣君の事の方が心配だ。わだかまりが残らんと良いな」

「美剣さんが昨日、謝罪の連絡をしたんです。けど心此処に在らずな返答で切られたそうで・・・」

「こればかりは時間が解決してくれるのを待つしかないだろうな」

「私は2人にスカウトされたから此処に来たんです。その2人が仲違いなんてしたら悲しいです」

 吹き抜ける初夏の風が木漏れ日を揺らす。心地良い空気と丸山の人柄の成せる技に本音が漏れた。


 丸山は胸ポケットから低糖質と表記された菓子を取り出して愛夢に渡す。

「何か私に出来る事があれば良いのに・・・」

 クッキーの優しい甘さに元気づけられ、気持ちは少しだけ上向きになっていく。だが丸山の言葉は菓子のよう甘くはなかった。

「仲裁に入るのは、やめた方が良い」

「どうしてですか?」

「漁火君が君の為に美剣君を許さなければならなくなるからだ。彼は、そうしてしまう子だ」

「じゃあ何もしない方が良いって事ですね」

 結局は何もしない事が最良だった。愛夢は折り畳んだ包装フィルムを結びならがら、そう結論付ける。

「それは違うぞ。お嬢さんはいつも通りに漁火君に接すれば良い。赦免を促さないでやってほしいんだ」

「私なんか、漁火さんに何もしてあげられません」

 丸山は胸ポケットから次々と新しい菓子を出し口に放り込んでいく。同時に愛夢の掌にも菓子が積まれていった。

 世に、これ程の健康を意識している菓子がある事を愛夢は知らなかった。

「こういうので良いと思うぞ」

「こういうの?」

「こんな風に菓子を食べたり他愛のない話をする。そうやっていくうちに、悲しみに慣れ薄れていくさ」

「じゃあきっと大丈夫です。漁火さんの周りには支えてくれる人たちが大勢いますから」

 愛夢の知る人間で漁火の事を悪く言う人間はいない。彼の人柄があってこそだと納得もできた。

「君も、その一員だろ?」

「えっ?」

 何も知らずに真っ直ぐにこちらを見つめくる丸山の瞳に胸が鈍く痛んだ。

 丸山がこうして世話をやいてくれるのは、愛夢の出自を知らないからだ。今のこの状況は彼を騙しているのと同じであった。


 だから意を決し、自身の生い立ちの全てを丸山に話した。


 これまでの人生の中で真実を知って離れた人間は少なくなかった。だが、それは仕方の無い事であった。

 優しい人は犯罪を犯す人間の娘の事など許せない。


 愛夢は膝の上で山になっている菓子をまとめて掬い上げ、返す準備をする。

 正義感の強い丸山に愛想を尽かされたとしても、受け入れる覚悟はできていた。

 

「どうして、その話を俺にしてくれたんだ?」

 愛夢は丸山の顔を見られなかった。

「・・・申し訳がないからです。私は、丸山さんの好意を受けるに値しない人間だから・・・」

 鼻を啜る音で丸山が涙ぐんでいるのだと気付く。

「分からないな。君は優しく礼儀正しく仕事に対しても真面目だ。うちのも褒めていたくらいだ」

 丸山の妻もまた真実は知らない。知られれば、きっと以前と同じとはいかなくなる。

「それは当たり前の事です。優しくしてもらう理由になりません」

「当たり前になるまで相当な頑張りがあっただろう。俺はそれがどんなに大変なのか知っているし、それを成し得なかった連中を見てきたから分かる」

「当然なんです。私みたいな人間が世の中に受け入れてもらう為には、まだ足りないくらいです」

 丸山の眉は極限まで下がっていく。

「理由が必要か?君は好意と言うが、俺にとっても当たり前だ。お節介かもしれんが、こんなに良い子が危険な仕事に携わっていたら、心配にもなるし構いたくなるってもんだ」

「知らないよりも、知っていた方が良いです。離れる理由には充分過ぎますから」

「離れる・・・?もしかして俺はウザかったか?すまん!!これは菓子ハラか!?」

 丸山の目は輪郭と同じように丸くなっていた。

「かしはら?」

 知らない単語に愛夢の目も丸くなる。

「お菓子ハラスメントだ。こんな風に菓子を渡して食べさせようとする俺を迷惑だと思ったんじゃないか?だから拒絶してるのか?」

 丸山は座りながらジリジリと物理的に距離を取る。

「違います!私は丸山さんに後悔をしてほしくないんです」

「後悔?さっきから会話が噛み合わんなぁ」

「今は平気でも、いつか丸山さんを失望させてしまうかもしれません。その時に、やっぱりなとか、無駄な事をしたって、後悔させたくないんですっ・・・」

「・・・過去に何かあったんだな?そんな風に酷い言葉を投げかけられる事が」

 何もしなくても陰口を言われ、些細な事で糾弾される。そして最終的には住む場所を追われた。そんな過去の様々な記憶が呼び起こされる。

 言葉を発してしまうと堪えている涙が落ちてしまいそうで、愛夢は黙って頷く。

 仲良くしてくれていた近所の人間や学校の関係者、行きつけだったパン屋のおじさんに、突然敵意を向けられる。それは今も心に沢山の消えない傷となって残っていた。

「これまで、私の生い立ちを後から知った人は失望して離れていきました。・・・そこから陰口や嫌がらせをされるようになって色んな場所を転々としました」

「だから君はそうやって壁を作るようになったのか。君が今の君になった理由が分かったよ」

「美剣さんは、この事を知っています。他の方は分かりません」

「彼は人の傷を吹聴する事はしない」

 出自の事だけは向井の暴露によって漁火にも知られてしまっていた。彼もまた美剣と同様に他人に吹聴する事など有り得ない。

 だからこそ此処は、愛夢にとって過ごしやすい場所になれているのだ。

「見えない枷をはめられて、これまで生きてきたんだ。そして今は自分で枷をはめている。そんな悲しい事は今日で終わりにしなさい」

 生立ちによるしがらみは愛夢を縛り苦しめてきた。

 もしこの枷が外れたならば、外す事ができたのなら大嫌いな自分を少しだけ好きになれるかもしれない。

「できる・・・でしょうか?」

「できなくても、そうして欲しい。見返りを求めて優しくする者ばかりではない。その事を理解できるようになるまで毎日少しずつ頑張ってみてくれ」

 丸山が言う他愛の無い日々が悲しみが薄れさせる。

 学校という地獄から解放された今、大好きな人がいるこの場所なら、それができるかもしれないと愛夢の胸は熱くなる。

 これから訪れる素晴らしく幸せな時間。それは自分が美剣とマリアの為にこの生命を使う日までの、ご褒美なのかもしれない。

「そうなりたいです。そして早く皆さんの優しさに応えられる人間になって恩返しをしたい」

 丸山は微笑み愛夢の前に屈んだ。

「言っておくが君が望んでいる君になれなくとも、恩返しできなかったとしても、失望なんかは絶対にしない。どんな君でも俺たちは味方でいるからな」

 そう言う丸山の声には少しだけ悲壮感が混じっているように感じられた。

 まるで愛夢を通して違う誰かに語りかけているような気がした。


「美剣君の役目を奪ったようで申し訳ないな」

 大口を開けて笑う丸山の笑顔は出会った時と変わらない。愛夢の生立ちを知ろうとも侮蔑も偏見も感じられない。

 どっしりと構え見守ってくれている丸山の安心感は、美剣のものとはまた違う。

 それでも心から安心できる場所が一つ増えた事に変わりはなかった。


「ところで、そんなに沢山のお菓子を食べている事を奥様はご存知ですか?」

 愛夢は、この事がずっと気になっていた。

 返ってきた丸山の苦々しい表情と狼狽する姿が、問いの答えだった。

「内緒にしておいてくれないか?」

 丸山は先程までと同じ人物だとは思えぬほどに情けない声を絞り出す。だが入隊日に見た彼の妻の泣き顔が思い出され愛夢は首を横に振った。

「奥様は丸山さんの事をとても心配されていましたよ」

「それは分かっている!だが、この菓子は俺の小遣いで買った物だ!ちゃんと健康を意識して減塩や砂糖不使用を選んでいる!」

 最もらしい言い訳と気迫に愛夢は戸惑う。そこを丸山は畳み掛けてきた。

「甘味は俺の唯一の楽しみなんだ・・・。頼むっ!」

 詰め寄ってくる丸山の背後に立つ人物に愛夢は目が釘付けになった。

 その様子と発せられた怒りの気配を察した丸山の表情は、みるみる青ざめていった。

「ふーん、唯一の楽しみ?家では「お前の作った晩飯を食うのが1番の楽しみだ」って言ってくれてるのにねぇ・・・」

 愛夢は生まれて初めて、顔は笑っているのに笑っていない人間をこの目で見た。

 仁王立ちしている丸山の妻は、夫を無視して愛夢の側へと駆け寄る。

 彼女も仕事を終えたのだろう。いつものエプロンは着けていなかった。

「今から一緒にご飯に行かない?この人の奢りよ」

 突然の誘いに狼狽する人間がもう1人増える。

「えっ!?そんなのダメです!」

「ダメじゃないのよ。何でも好きな物を好きなだけ食べて良いのよ。この人の財布を空にしないと、また同じ事になるから・・・ね?」

 凄む丸山の妻の気迫に負け愛夢は黙って頷いた。

「悪かった!頼むから許してくれ〜!」

 妻の恐ろしさは、クリスマスの日に倒した暴漢に勝るのだろう。丸山の今日1番の情けない声を背に愛夢は苦笑いした。

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