新車
午前3時、アスピオンの出現アラート鳴り響く。
春先と言えども外はまだ寒い。
慌ててスマホを確認すると現場は足立区の河川敷だった。愛夢は布団から飛び起きた。
引き続き鳴ったメッセージの通知音が愛夢の身支度を止めた。
漁火:私がお迎えに行きます。
おそらく各々は既に現場に向かっているのだろう。
だが自分はまだパルクールの特訓すらさせてもらっていない。
そして漁火に送迎をさせ彼の現場への到着を遅らせてしまっている。
その事が申し訳なく愛夢は唇を強く噛んだ。
アパートの前に黒のSUV車が停車し、運転席にいる漁火が助手席を指差す。愛夢は急ぎ車に乗り込む。
追弔の際に乗っている偽装車両とも公用車とも違うSUVからは新車特有の香りがした。
愛夢がシートベルトを付けるのを確認すると漁火は車を静かに発進させる。
「急いでいるのに迎えなんかに来させてしまって本当にすみません・・・」
「いいえ。辛くないですか?こんな時間なので現場に到着するまでは眠っていても構いませんよ?」
「平気です。今日はいつもと違う偽装車両なんですね」
「あっ、コレは私の自家用車です。ようやく昨日納車されたんですよ」
「えっ!?」
この席は自分なんかが座って良い場所ではない。せめて少しでも汚さぬようにと愛夢は腰を浮かせて空気椅子の姿勢を取る。
だが前を向いているはずの漁火に、そんな行動はお見通しだった。
「危険なのでしっかりと座ってください」
口調こそ優しいが力強い言葉に愛夢は観念してそっと腰を下ろした。だが少しでも自分が居た痕跡を残したくはない。だから絶対に背もたれに身体は預けない。
合流を抜けた漁火の車は軽やかなギアチェンジに従ってグングンと加速していく。
早朝だという事が幸いし道路は空いていた。
追弔アプリと連動したカーナビは、最短ルートだけでなく他の走行車との距離までを表示している。
「漁火さんの大切な車に、私なんかが乗ってしまって申し訳無いです」
面積だけでも減らそうと愛夢は身を縮こまる。
「構いませんよ。むしろ最初に助手席に西宮さんに乗って頂けるなんて嬉しいです」
漁火がこちらを見ていない事が幸いした。その笑顔に頬がじんわりと熱くなり口元も緩んでしまったから。そんな弛んだ自分に喝を入れる為に愛夢は手の甲を強くつねった。
「ですがお帰りは皆さんと同じ車両でお願いします。私事で今日と明日は休みを貰っていますので」
「はい」
本来ならば漁火は今日は休暇であった。
フロウティス部隊が休みを返上で働くのは日常であり、愛夢も入隊前から何度も説明されていた。
この後の予定の為なのか横目に見える後部座席には沢山の荷物が積まれている。
「すみません。気になってしまいますよね?キャンプの道具ですよ」
「漁火さん、キャンプに行く予定だったんですか?」
「はい。久しぶりの休みなので趣味を楽しみます。無論、追弔中は浮かれないように努めますから」
ハンドルを握って前を向く漁火を愛夢は何度も見ている。だが今日の彼はいつも以上に活気に満ち、本当に嬉しそうだった。
足立区 河川敷
走行中の車中でデコイを解除してから時間はかなり経っている。だが愛夢たちが現場に着いた時、追弔はまだ終わっていなかった。
橋梁工事に扮した車両の周囲には先に着いていた美剣達と自衛隊員が集まっている。
「何かあったようですね」
漁火の声から緊張が伝わる。
簡易テントにある作戦会議室には怒鳴り合う美剣と自衛隊員、それを諌める溝呂木がいた。
そこからかなり距離を取った場所にいるアスピオンに愛夢は息を呑む。
それは遠目に見ても亀だと分かる程に巨大なアスピオンだった。その周囲には無数の氷塊散ばっている。
「すみません。遅くなりました」
合流した愛夢と漁火を自衛隊員の村岡と伊藤は舌打ちで迎えた。子供の時から何度も自分に向けられていた嫌悪や敵意、それを愛夢は久々に肌で感じ取る。
俯き皆に小さく朝の挨拶をすると頭の上から美剣の声が降り注いだ。
「西宮愛夢〜!急に呼び出されて眠いだろ?終わったら朝ラー行こうぜ!」
「朝・・・ラー?」
「朝にラーメンを食べる事です。つまり美剣さんからの朝食のお誘いですね」
この誘いを断る理由は何も無い。愛夢は嬉しさのあまりに何度も頷く。
「追弔を終えてもいないのに朝食なんか行ける訳ないだろ」ガッツポーズで喜ぶ美剣の膝に溝呂木の蹴りが決まった。
「お気楽だな」
「仕事もロクにしていないくせに」
そう吐き捨てたのはLETの自衛隊員の隊長で指揮をとっている伊藤2等陸尉と、曹長である村岡1等陸曹だった。
「だから仕事する為に!今っ!此処でっ!テメェらにっ!銃火器使用許可の申請してんだろうが!」
「この時間帯にそんな音が出る物の使用の許可は絶対に下りない」
「美剣、言い争っていても埒が明かない。僕が四月一日さんに直接連絡して動いてもらうから、待て」
愛夢は何が起こっているのか分からず漁火と顔を見合わせる。
「状況を説明していただけますか?」
漁火の質問によって諍いは中断された。答えをくれたのは疲れた顔をしている溝呂木だった。
「アスピオンが頭部が隠して動かなくなってしまったんだ。攻撃すらしてこない」
もう一度アスピオンの方へ目を向けると確かに亀のアスピオンは甲羅に閉じこもっていた。その隣では旭夏が大きな氷柱を作り出しては攻撃を試みている。
「亀だから硬ぇんだよ!溝呂木の蹴りでもダメだった。なら破砕機か銃火器で地道に穴開けてトドメ刺すしかないだろ」
「とりあえず旭夏君には甲羅の隙間から頭部への攻撃を続けてもらっているけど結果は思わしくないね」
亀のアスピオンは目視でも7メートル程あった。それ程に巨大になってしまったのは美剣たちが頭部に攻撃が出来ず手詰まりしていたからであった。
時間が経つほど凶暴化し巨大化するアスピオン。その弱点は頭部にあるアスピオスである。
それがよりにもよって警戒心が強く強固な甲羅を持つ亀がアスピオンになってしまった。
この最悪の巡り合わせが、この場所にいる全員の頭を悩ませていた。
愛夢は生態調査のバイトで同じ種類の亀を捕獲した時の事を思い出していた。
「・・・ひっくり返すのはどうでしょう?」
自身の発言を後悔しても遅かった。愛夢に全員の視線が集まる。
「どういう事ですか?」
溝呂木がスマホを操作する手を止め愛夢を見た。
「あの・・・亀は反転させると元に戻ろうとして頭を出すので、そうなれば追弔できるかなって・・・」
可哀想だが捕獲した亀は逆さまにしてケースに入れておく。そうしなければ脱走を試みてしまうからだ。これは子供の頃に春日に教えられた知識だった。
「アスピオンを反転させるにしても道具は必要です」
疲れ切った顔をした溝呂木はスマホを操作しながらその場を後にする。
そこでようやく愛夢は自身の愚かさに気付く。
あの巨体を裏返すには相応の重機が必要となる。
そんな物をこんな時間に使う事になれば何かしらの騒ぎになる事は明白だった。
それは、いち早く静かに事を終える事を追弔において良い選択とは言えない。
静まり返る早朝の河川敷に押し殺した嘲笑が響く。
発生源は村岡と伊藤だった。周囲に待機している新田を含む隊員達は口どころか眉一つ動いていない。
「出番ですよ!頭と手と足と引っ込めているアスピオンに、手も足も出せない美剣隊長」
「あの巨大なアスピオンをひっくり返してやれよ!可愛い新人ちゃんのお願いだぞ!」
二人の囃し立てるような嗤い声に呼応して愛夢の中で過去の様々な嗤い声がフラッシュバックしていく。
その記憶は愛夢の血を凍えさせ身体を震わせた。
「あっ・・・すみません・・・私なんかが何も考えずに簡単に口出しをしてしまって・・・」
涙が出ないようにするだけで精一杯で、隣で励ましてくれる漁火と新田の声は愛夢の耳には届かない。
だが項垂れていた頭を大きな手が優しく撫でた。
「お前は本当に天才だ!そのアイデアを採用する!」
アスピオンになった亀に生体であった時の特性が通用するのかも分からない。だが美剣は愛夢を微塵も疑ってはいなかった。そしていつもと変わらぬ笑顔で「何のラーメン食べたいか考えとけよ!」と言って伊藤の方へと向かって行った。
一直線に歩み寄ってくる美剣に伊藤と村岡の二人はたじろぎ一歩また一歩と後ろへと下がっていく。
溝呂木も漁火も他の自衛隊員たちにも緊張が伝わり場の空気が張り詰める。
凄む美剣の手が伊藤の肩に触れた瞬間、全員が身構えた。
「今からオレらはオレらの仕事をする。お片付けはお前らの仕事だ。しっかりやれよ?」
それだけ呟き美剣は河川敷を登り堤防に駐車されている車両へと歩みを進めていく。
「おい美剣!何をするつもりだ!?」
美剣は溝呂木の質問を無視し漁火の車の横で足を止めた。
ガラスの割れる音が響くと同時に愛夢の隣にいる漁火の身体がビクリと大きく跳ねた。
「こうするんだよっ!!!」
運転席のガラスを叩き割り車体を持ち上げた美剣はアスピオンのいる場所の延長線上へと移動していく。
美剣の破天荒な行動とSUV車を持ち上げる腕力に愛夢の目は釘付けになった。
それはこの場所にいる皆も同じだった。
横に寝かせられた車の底部分に炎の拳を打ち込まれても誰も何も言葉を発さない。
「旭夏!危ねぇから少し離れてろ!!」
旭夏は美剣の声が響き渡る前にアスピオンから距離を取り周囲の隊員達に避難を促す。
「おねんねの時間だ!おらぁ!!!」
全員の退避を確認した美剣は車を蹴り飛ばした。
炎と煙に包まれた車が堤防を転げ落ちいく。
隣から息を呑む音が聞こえた。薄目で見た漁火の眼鏡にはアスピオンに衝突し爆発する車が写っていた。
しかし大型のSUV車の爆発は巨大なアスピオンをひっくり返すには火力不足であった。
浮き上がった甲羅は重力に従い元の位置へと戻ろうとする。
だが旭夏が作り出した氷柱がそれをさせない。
溝呂木もスマホを愛夢に預け全力で駆け出す。
斜めに傾いたままで固定されたアスピオンは溝呂木の蹴りによって逆さまにひっくり返った。
愛夢は作戦の成功を強く祈る。
アスピオンの甲羅からヌルリと手と足が出てくる様子を全員が固唾を飲んで見守る。
そして祈りは通じ作戦は成功した。
反り返った亀頭は地面へと降りる。アスピオンは身体を戻そうと踠く。その瞬間を美剣は見逃さない。
紅炎の拳は亀のアスピオンを即座に還した。
追弔が完了し全員が胸を撫で下ろす。だが後処理に追われる中、漁火だけが微動だにしていなかった。呼吸すらもしていないように見え、声をかける事すら躊躇われ愛夢も固まる。
漁火の視線の先にいたのは美剣だった。「はいっ!撤収〜!」と手を叩きながら此方へと向かってくる美剣に彼を咎める溝呂木が続いた。
「この馬鹿っ!なるべく痕跡は残すなって言われているのを忘れたのか!?あの車どうするんだ!?対応するのは僕なんだぞ!?」
「上手くいったから良いだろ!こんな立ち入り禁止区域に車を停めるからだよ。良い教訓って事にしとけ」
美剣の言葉にも漁火は何の反応もしない。時間が止まってしまったかのような漁火の代わりに、愛夢は美剣の元へ駆け寄る。
「さっきの車・・・漁火さんの車です」
一触即発手前の美剣と溝呂木は愛夢の言葉に動きを止めた。
「漁火・・・マジ?」
「漁火君、今の話は本当かい?」
自身を心配する声に漁火が答える事は無かった。愛夢はこの日、人間は頭から倒れる事を初めて知った。




