シミュレーション
シミュレーションルームに突如現れた美剣はいつもとは違っていた。
整えられた顎髭は無精髭に変わっており億劫そうにタバコを吹かしている瞳は愛夢を全く映していない。
「美剣さん?」
大好きな美剣が自分の知らない人になってしまったようで愛夢は恐る恐る名を呼ぶ。
だが返事が返ってくる事はない。
『混乱サレルノモ 無理ハアリマセン。ソレハ 半年以上前ノ美剣サンノ映像デス』
アイの言う通りならば目の前の美剣は愛夢を迎えに来る前の美剣とだという事になる。
出会う前の美剣は近付く者を拒絶するかのような鋭い眼光を放っていた。
もしこの美剣に勧誘されたていたならば心を開くのは難しかっただろう。
「映像?」
半信半疑に目の前の美剣の腕を突くと愛夢の指は美剣をすり抜ける。
そこで初めて周囲の景色までもが変わっている事に気付いた。
「さっきまで真っ白な部屋だったのに!?」
『現在ノフィールドハ 地下下水道デス』
入った事もなければ見た事もない地下下水道は、見るからに不潔で暗かった。
「でも何で昔の美剣さんが此処に?」
『前方ヲ見テクダサイ』
アイの言葉に従い目線を美剣より更に前方へ向けた瞬間、愛夢は息を呑んだ。
真っ黒の瘴気をまとわりつかせたアスピオンがそこにいた。
「アスピオン!?」
距離は100メートルはある。それでも怒気に近い殺意が首の後ろをヒリつかせる。
『落チ着イテクダサイ。アレモ映像デス』
アイの言葉に緊張は少し和らぐ。
愛夢の胸元程度まで巨大化しているアスピオンは一心不乱に漁火のデコイを襲っていた。
アライグマの形をしてはいたが体躯は小動物とは言い難い大きさをしている。
隣にいる美剣が深く紫炎を吐きタバコをフィルターごと燃やす。いつの間にか側には溝呂木と旭夏も待機しておりアスピオンを睨んでいた。
「二人は全然変わらないね!」
『ソウソウ短期間デ 人ハ変ワルモノデハアリマセン』
「私は今の美剣さんが好きだな」
『ソレハ良カッタデス。アナタヲ 怖ガラセナイヨウニ イメチェンシタノダト 聞イテイマス』
「そうなんだ」
その美剣の優しさがむず痒かった。照れ笑う間もなくアイの声が愛夢を現実に引き戻す。
『始マリマスヨ』
以前の美剣の映像とアスピオンが何故ここに突然現れたのか。
その答えが目の前にあった。
先程まで隣にいた美剣たちは気が付けば駆け出しアスピオンのすぐ目の前に降り立つ。
そこからは瞬く間だった。
セオリー通り、溝呂木がアスピオンを翻弄し隙を作る。そして旭夏が氷による拘束で動きを止めた所を美剣の渾身の拳でアスピオンの脳天を砕く。
彼らの動きは狭い下水道であるにも関わらず変わらず連携が取れていた。
愛夢が追いつき越さねばならない背中は遠かった。
「凄い・・・!凄いよ!旭夏さんが凍らせた下水を足場にして狭い場所でも効果的に自由に戦ってた!」
言葉が出てこず愛夢は子供のように身振り手振りででアイに感動を伝えた。
『ソンナニ驚クホドデスカ?追弔ハ 何度モ見テイルジャナイデスカ』
「それはそうなんだけど!こんなに近くで見たのは初めてなんだもん!もっと見たい!見せて!」
『落チ着イテクダサイ』
先程まで落ち込んでいたのが嘘のように愛夢は昂揚した。今のようにアイに追弔の映像を見せてもらえるのなら後方待機でも何も憂う事は無い。落ち着けと言う方が無理だった。
「美剣さんと初めて会った時の追弔がもう一度見たいの!お願いアイ!」
『残念デスガ ソレハ無理デス』
「えっ〜!何で!?」
『追弔ノ際ニ身ニツケル バトルスーツニハ トラッキング機能 並ビニ ボディカメラガ内蔵サレテイルンデス。コノシミュレーションシステムハ ソノ情報ヲ元ニ 作成サレテイマス』
お決まりの秘密だと言われるのだと思っていたがアイの説明に愛夢は納得した。
あの日の美剣は普通の背広を着ていた。勧誘の途中にアスピオンが現れ、そのまま追弔現場へ赴く事になった。だから当然バトルスーツに着替える暇は無かった。
「つまりバトルスーツで戦わないと、今みたいな映像が作れないんだね。じゃあ今日の追弔は?」
『ソレモマダ無理デス。データノ収集ト作成ニハ カナリノ時間ヲ要シマス。追弔ノ頻度ガ多スギルノデ 今日ノ追弔ニ到達スルマデ 数ヶ月カカリマス』
追弔は少なくとも週に二度。
たとえ同種のアスピオンであっても現場が違えば当然戦闘のスタイルも変わる。だから追弔の数だけデータも膨大になってしまうのだろう。
『聞イテイタヨリモ 聞キ分ケガ良イノデスネ』
「何の事を言っているのかは分からないけど、これでまた追弔を見学できる!ありがとうアイ!」
『コノシミュレーターノ本来ノ用途ハ 追弔ノ映像再現ダケデハアリマセン』
アイの言葉に首を傾げていると、いつの間にか三人の映像は消えていた。残されたのは先程と同じ場所にいるアスピオンだけだった。
「あれ?さっきのアライグマのアスピオンじゃない」
『追弔デ最モ多イノハ ネズミ、猫、犬デス。ソノ中デ アナタノトレーニングニ 最適ナ アスピオンヲ 選ビマシタ』
漁火が初めて会った時に話していたネズミのアスピオンを見る事が叶うとは思っていなかった。
だが先程の首の後ろをヒリつかせる殺意は全く感じられない。
『コノシミュレーターハ アスピオントノ模擬戦闘ヲ行ウ事ガ出来マス』
模擬戦闘という言葉に胸が高鳴り熱い血液が全身を駆け巡っていく。
「アスピオンと戦える・・・。私が模擬戦闘をしてもいいの?」
『ハイ。コノ場所ハ ソノ為ニ作ラレマシタ。デスガ 先程モ言ッタ通リ 己ノ身ヲ守ル為ノ訓練ノ為デス。ソノ事ヲ 忘レナイデクダサイ』
「それでもいいよ!本当に凄いよ!ありがとう!」
愛夢は溢れる感動を抑え切れずアイを抱きしめた。
『何故ソンナニ喜ブノデスカ?普通ハ怖ガルノデハ?』
アイの問いへの答えは決まっていた。
「ごめん。私、普通じゃないから分からないの」
自分が普通でない事など子供の時から弁えている。だが流石のAIも返答に困るのかアイは黙ってしまっう。だがそんな事を気にしている暇は無かった。
「ねぇアイ、ちょっとだけ模擬戦闘に挑戦してみたいんだけど・・・ダメ?」
『一度ダケナラ。デスガ 身体ニ無理ノ無イ範囲ニシテクダサイ』
愛夢の体調を気遣ってかアイの返事には少しだけ間があった。
愛夢は意気揚々とアスピオンに向かって行くが、対する相手は微動だにしてくれない。
「・・・壊れた?」
『予想外ノ行動ヲスレバ 対象ハ動キヲ止メル様ニ 設定シテイマス』
「予想外の動きって?」
『今ノ最終目標ハ アスピオンカラノ攻撃ノ回避シ 安全地帯ヘ退避スル事デス。敵対行動ヲ 感知シタ場合 トレーニングハ 中止サレマス』
アイの説明に自らの聴力を疑ってしまう。
「聞き間違いかな?それって追弔と真逆じゃないの?」
『先程ノ話ヲ シッカリト聞イテイマシタカ?コレハ 己ノ身ヲ守ル為ノ訓練ダト言ッタ筈デスヨ』
親密の証なのかアイの返答には丁寧なトゲが含まれている。
『トニカク一度挑戦サレテミテハ?話ハ ソレカラニシテクダサイ』
愛夢の中に苛立ちに近い反発心が生まれた。
ネズミのアスピオンは他のアスピオンに比べて体躯が小さい。だから動きも大きくないだろう。
まだ出した事がない本気で走り、目標地点まで攻撃を躱わし続ければ良いだけ。
完璧にやり遂げてみせたならばアイも納得して模擬戦闘を許してくれるだろう。
そんな傲りが愛夢の中にはあった。
フィールドの映像が芝生に変わりゴールである退避地点に目印が浮き出る。
愛夢は軽い柔軟体操の後に深呼吸をしてスタートの合図を構えて待つ。
全力で疾走する準備は完璧だった。
首の後ろに鋭い殺意を感じた瞬間、アスピオンはもう目の前まで来ていた。
異常に発達した前歯と爪が認識できた。
それを避けようと思考し筋肉に電気信号が伝わる刹那、大きく開いたネズミの口の中が瞳に映る。
一歩後ろに退がるのと終了を告げる効果音が鳴るのは同時だった。
『話ニ ナリマセンネ』
何が起こったのかアイの言葉でようやく理解した。
愛夢はアスピオンの攻撃を躱わせなかった。
文字通り手も足も出せなかったのだ。
「待って!今のは練習!もう一回だけやらせて!」
『ダメデス。一度ダケダト 言イマシタヨネ?』
「だってズルい!スタートの合図が無かったもん!」
往生際が悪い事は分かっていたが、どうしても納得がいかなかった。
『アル訳無イデショウ。ソンナ 丁寧ナアスピオンハ コレマデモ コレカラモ 永遠ニ現レマセン』
「でもアスピオンがしてくれなくても普段の追弔の時は漁火さんがデコイの解除を宣言する!それって開始の合図と同じじゃない!?」
『デスカラ コレハ 追弔デハナク 回避ト退避ノトレーニングデス。今日ノヨウナ事態デ 即座ニ対応出来ルヨウニナラナケレバ 前線ハオロカ 見学スラサセテモラエマセンヨ』
「攻撃って最大の防御って言うもん」
『アスピオンノ動キニ ツイテイケテスライナイジャナイデスカ。攻撃防御以前ノ問題デス』
「アイのイジワル!!」
完璧に言い負かされた愛夢はアイの前にへたり込む。
思っていた以上に何も出来なかった。
だが、こうも何も出来ないと落ち込むを通り越して笑えてきた。
ちょっと足の速い同級生よりも早く走れる。
恐れられる見た目をした男の攻撃を躱せる。
自分に出来るのはそれだけなのだ。
トレーニングに最適とされた最弱のアスピオンにすら手も足も出ない。
『落チ着イテクダサイ。最初ハ コンナモノデス。今日ノアナタハ 体調ガ万全デハアリマセンデシタ』
突然笑い出した愛夢をアイは気遣う。ショックで気が触れたとシステムが判断したのか、先程までとは別のAIになったようだった。
その様子も何だか可笑しく尚も笑いは止まらない。
「ねぇアイ、この追弔のシミュレーションを作った人ってアナタを作った人なの?」
『ハイ』
「やっぱり!凄いよ!その人は天才だよー!!」
愛夢の変化に対応処理が追いつかないのか、アイは沈黙してしまう。
「えっと・・・伝わっていない?」
『コンナ物ハ アミューズメントパークニアル 娯楽ノ延長デシカアリマセン』
「全然違うよ!このシミュレーターがあれば、追弔を実際に見学も体験もできる。私みたいな人も、そうじゃない人にも危険性を安全に学ばせてあげられる!優しい人が考えた凄い場所だよ!」
『凄クモ 優シクモ アリマセン』
「アイを此処に置いてくれた。だから優しい人なの」
『ソレハ シミュレーターヲ マタ壊サレタラ 面倒ダトイウ理由デス。ソレダケデスヨ』
「でも説明書を置くとか使用禁止にする方法もあったよ。それをしないでアイと出会わせてくれたから、私は嬉しいの」
『ヤハリ アナタハ 変ワッテイマスネ』
「私の感謝とか感動なんて、その人にしたら何の意味も価値も無いんだろうけど言いたかったの」
この会話は、その人に伝わるのかは分からない。
伝われば良いと思いつつも少しだけ恥ずかしさはある。
『コレヲ作ッタ人間ハ ソンナ素晴ラシイ奴デハアリマセン。アナタニ言葉ヲ カケテモラウ価値モ無イ』
アイの機械音声には声色も抑揚も無い。だが口調からシミュレーターを作った人物を嫌悪している事は明らかだった。
「・・・アイは、その人の事が嫌いなの?」
『大嫌イデス』
自分を作った人間を大嫌いだとアイは言う。
それは自分で作ったAIに自分自身を嫌うよう設定しているという事だ。
どうしてそんな哀しい事をしたのか、愛夢には理由が分かっていた。
アイとシミュレーターを作ってくれた人も愛夢と同様に自分の事が許せない程に大嫌いなのだ。
理由を聞いても答えは返ってこない事は分かっていた。だから愛夢はアイを撫でる。
「アナタを作ってくれた人に伝えて」
あの日の美剣のように心を救う事は出来なくとも、アイの向こうにいる"その人"に少しでも伝わる事を願って。
「見学もトレーニングもできない私は、アナタのシミュレーターに救われました」
アイからの返答は無い。
だが愛夢は言葉を止めない。
「誰が何と言おうと私はアナタに感謝したい。アナタが繋げてくれた"これから"を絶対に無駄にしません」
『ヤッパリ 変ワッテイル』
伝えるとは絶対に言ってくれない。
作った人間の性格が反映されているのか皮肉めいたアイの答えは照れ隠しのように思えた。
「私、絶対に強くなってアナタを作った人の優しさに応えてみせるから!」
『期待シナイデ 待ッテイマス』
アイらしい思っていた通りの返答に愛夢は笑ってしまう。
「よ〜し!そうとなったら特訓だー!もう一回ね!」
『駄目デス。一回ダケダト言ッタ筈デスヨ。雰囲気デ 押シ切キロウト シナイデクダサイ』
「えー!?アイのイジワルっ!!」
マリアや美剣と話をしている時と同じような穏やかな時間が流れていく。アイは愛夢が他愛の無い会話が出来る数少ない相手となった。
そんな筈はないとは分かっているが、アイも笑ってくれている気がした。
『美剣サンガ 戻ッテキマシタヨ。先程カラ アナタヲ 探シ回ッテイマス』
楽しい時間の終わりは必ず来る。
大好きな美剣が帰ってきてくれて嬉しい。だが愛夢は素直に喜べなかった。
ずっとアイと一緒にいたい。
いつまでも話をしていたい。
そんな事を考え動けずにいると、アイは『早ク行ッテアゲテクダサイ』急かしてくる。
「ねぇアイ、明日も此処に来ても良い?」
この場所は愛夢の中の拠り所になっていた。
『好キニシテクダサイ。声ヲ カケテクレレバ ワタシハ 起動シマス。シナケレバ メンテナンス中ダト デモ思ッテクダサイ』
少しイジワルなアイの答えに安心すら覚える。
「うん!じゃあ、また明日ね!」
愛夢は手を振ってシミュレーションルームを出る。だが別れの挨拶は返ってこなかった。
それでもアイは愛夢だけの為に、明日も此処で待っていてくれる。
その事実が足取りを軽くしてくれた。
美剣は愛夢の名前を叫びながらソファの裏やゴミ箱の中までをも見て回っていた。
「まさか・・・可愛すぎて誘拐されたのか!?」
本気で心配をしている姿に胸が締め付けられる。
美剣の思いやりを知ってしまった今、居ても立っても居られなかった。
「ここです」
そう言い美剣の腕にしがみつくと、大きな掌が髪を撫でてくれた。
「トレーニングルームにいたのか。何してたんだ?」
「えっと・・・イメージトレーニングを・・・」
アイとの約束と美剣の毛根を守る為に愛夢は嘘をついた。
「そうか。ならいい」
美剣が撫でるのを止めても愛夢は離れない。掌が名残惜しく、しがみつく力を強める。
「私、これから皆さんの負担を少しでも減らせるように頑張ります」
「どうした?何かあったのか?」
愛夢は大きく首を振る。
「迷惑をかけてしまって、本当にすみませんでした」
「謝るのはオレの方だ。完璧に油断した挙句、お前を危険な目に合わせちまった。すまない」
静かに早く痕跡をも残さずに追弔を終える。そして自らの身と仲間の安全も守らなければならない。
美剣に課せられた責任の重さは愛夢がどうにか出来るものではない。
「平気です。もし今日みたいに途中でアスピオンの気が逸れたら追弔し易くなりますか?」
「逆だ。お前に何かあったらって思うと気が気じゃなくなる。だからそんな事は言わないでくれ」
「・・・はい」
アスピオンはより強いメテウスに惹かれる。だから追弔の際は漁火のデコイよりもフロウティスを纏った美剣たちへと標的が移ると教わっていた。
蛙のアスピオンが愛夢を狙った理由は分からないが、それを逆手に取れば優位に事を進められる。
だが美剣はそれを望んではくれない。
「西宮愛夢、たこ焼きは好きか?」
唐突で無関心な質問に愛夢は戸惑う。
「え?・・・はい。好きです」
「じゃあ一緒に食おうぜ。オレもお前も昼メシ食い損ねただろ?」
ほんのりとソースの良い香りが漂う袋が愛夢の前に差し出される。
慌ただしさで忘れてしまっていた空腹が一気に押し寄せ、愛夢の腹を鳴らした。
それを見た美剣は優しく微笑む。
たこ焼きは戻る途中に見かけたキッチンカーで買った物らしく、大量のチーズやマヨネーズが乗ったラインナップは実に美剣らしかった。
揚げ焼きにされた外側は香ばしく中はトロリと柔らかい。
ソースの濃厚な旨味を引き立てる最高のグルメに舌鼓を打っているとミーティングルームの扉が開く。
「只今戻りました」
こちらへ歩いてくる漁火の手には美剣と同じ袋が握られている。
「お二人共、たこ焼きってお好きですか?戻る途中で見かけて、よろしければ・・・って」
漁火は机に置かれている食べかけのたこ焼きを見て固まった。
それを見た美剣と愛夢は声を出して笑う。
釣られて漁火も照れながら笑った。
「お前もかよ!しかも同じ店かー!!」
「美剣さんが買った物と違う味なのが幸いです」
机の上には漁火が買ってきた王道のたこ焼きが並べられる。
久しぶりの三人での食事は、たこ焼きパーティーになった。
二人は愛夢の失敗を責める事すらしない。
それどころか、己を責めて詫びてくる。
早く二人の優しさに報いたい。その思いは焦りとなって愛夢の中へと募っていった。




