↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/5

第二話 暗殺者の首領、今日も幼なじみに勝てない。

柳紫苑(リウ・ズーユエン)は、人生で三つのものを信用していない。


皇族の善意。商人の無償奉仕。そして、沈夜黎(シェン・イエリー)の「大丈夫」。


最後のひとつに至っては、信用した結果、過去に七度ほど死にかけた。


「阿黎(アーリー)(愛称)。あんた、今度は何を拾ったの?」


自由都市・燈華(ドンホワ)の裏通り。薬舗・春彩堂(チュンツァイタン)の屋根に腰掛けた沈夜黎(シェン・イエリー)は、焼き栗を頬張りながら首を傾げた。


「栗」


「事件の話よ!」


黒地に金糸の刺繍を施した長衣は、深いスリットから白い脚を覗かせている。風に乱れる短い黒髪、眠たげな金の瞳。首筋の蛇の刺青まで、夕陽に照らされて妙に艶めかしい。


柳紫苑(リウ・ズーユエン)は思わず舌打ちした。

本人が無自覚なのだから始末が悪い。


「阿福(アーフー)の姉、阿蘭(アーラン)を探すんでしょ。遊んでないで降りなさい」


「紫苑(ズーユエン)、怒ると眉間に皺できるよ」


「誰のせいだと!」


沈夜黎(シェン・イエリー)は笑いながら屋根を滑り降りた。着地した拍子に衣の裾が翻り、柳紫苑(リウ・ズーユエン)が反射的に目を逸らす。


「……その服、どうにかならない?」


「似合わない?」


「似合いすぎるのが問題なのよ!」


春彩堂(チュンツァイタン)の裏口には、乾いた薬草の匂いが漂っていた。


柳紫苑(リウ・ズーユエン)は錠前を一瞥し、細い針で難なく開ける。

暗殺組織《夜鴉(イエヤー)》の首領にとって、これしきの侵入は散歩に等しい。


だが、帳簿を開いた瞬間、その表情が凍った。


「……この筆跡」


「知り合い?」


「元部下よ。韓子明(ハン・ズーミン)。三年前に組織を抜けた男」


沈夜黎(シェン・イエリー)は黙って続きを待った。


「妹が病気でね。治療費を稼ぐために辞めた。……まさか誘拐に手を染めるとは」


柳紫苑(リウ・ズーユエン)の指が短剣の柄を撫でる。

《夜鴉(イエヤー)》には掟がある。組織の名を利用して無辜の者を傷つけた者は、首領自ら裁く。


「見つけたら、私が始末する」


「んー」


「何よ」


「その人の妹、まだ生きてる?」


その問いに、柳紫苑(リウ・ズーユエン)は言葉を失った。


沈夜黎(シェン・イエリー)は帳簿の一行を指差す。


「白霊草(バイリンツァオ/解熱に使う霊草)の仕入れが急に増えてる。でもこれ、病人に使われてない。黒凝香(ヘイニンシャン/霊力を封じる香)の材料に混ぜられてる」


「……つまり?」


「妹の薬と引き換えに、誰かに働かされてるんじゃないかな」


そのとき、背後で床板が軋んだ。


「動くな」


低い声とともに、刃が沈夜黎(シェン・イエリー)の喉元へ突きつけられる。


柳紫苑(リウ・ズーユエン)が振り返るより早く、沈夜黎(シェン・イエリー)は相手の手首を軽く捻った。


乾いた音。

短剣が床へ落ちる。


「痛っ……!」


「ごめん。反射で」


「謝るくらいなら捻るな!」


現れたのは、痩せた青年だった。

韓子明(ハン・ズーミン)。

柳紫苑(リウ・ズーユエン)の目が冷たく細まる。


「子明(ズーミン)。説明しなさい」


「……首領」


「無関係な娘を攫ったの?」


韓子明(ハン・ズーミン)は唇を噛んだ。


「妹が……薬を飲まなきゃ死ぬんです。摂政王府(ショージョンワンフー)の使いが、仕事をすれば薬を渡すと……!」


「だから他人の姉を奪った?」


柳紫苑(リウ・ズーユエン)の声は静かだった。


静かすぎて、沈夜黎(シェン・イエリー)ですら口を挟まなかった。


「妹を救いたい気持ちは分かる。でも、阿蘭(アーラン)にも帰りを待つ弟がいるのよ」


韓子明(ハン・ズーミン)は崩れ落ちた。

柳紫苑(リウ・ズーユエン)は短剣を抜く。


その刃を、沈夜黎(シェン・イエリー)が指先でそっと押し下げた。


「紫苑(ズーユエン)。妹の居場所、聞いてからにしよ」


「……甘いわね」


「そう?」


「昔から、あんたはそう」


血の匂いがする路地裏。


まだ幼かった柳紫苑(リウ・ズーユエン)が倒れていたとき、沈夜黎(シェン・イエリー)は何も尋ねず、傷口に布を巻いてくれた。


『助けたら、何かくれるの?』


そう聞いた自分に、少年は不思議そうに答えた。


『別に。痛そうだったから』


あの言葉を、今でも忘れられない。


「……本当に、腹が立つ」


柳紫苑(リウ・ズーユエン)は刃を収めた。


「子明(ズーミン)。妹は助ける。でも、あなたの罪は消えない。逃げずに償いなさい」


韓子明(ハン・ズーミン)が嗚咽を漏らす。


沈夜黎(シェン・イエリー)はその肩を軽く叩いた。


「で、妹はどこ?」


「……南門の療養院です」


「じゃ、行こっか」


「軽いわね、あんた!」


※


療養院には、すでに万宝商会(ワンバオシャンフイ)の薬師が待っていた。


「沈雲舟(シェン・ユンジョウ)からの伝言です。『費用は貸付金に加算します』と」


沈夜黎(シェン・イエリー)は首を傾げた。


「おれ、頼んでないけど」


「『どうせ頼まれるので先に手配した』とも」


柳紫苑(リウ・ズーユエン)は思わず笑った。

この男の周囲には、どうしてこうも世話焼きが集まるのだろう。


病室では、韓子明(ハン・ズーミン)の妹が静かに眠っていた。

薬師によれば適切な治療を続ければ回復が見込めるという。


柳紫苑(リウ・ズーユエン)は窓辺に立ち、夜風に髪を揺らした。


「阿黎(アーリー)」


「ん?」


「……ありがと」


「何が?」


「本当に、あんたって男は」


柳紫苑(リウ・ズーユエン)は苦笑し、その額を指先で弾いた。

そのとき、韓子明(ハン・ズーミン)が懐から密書を取り出した。


「首領。これを……摂政王府(ショージョンワンフー)の使いが持っていました」


紙面には奇妙な術式が描かれていた。


九つの円環。

中央には、蛇の紋章。

そして一行の文字。


《九魂還天陣(ジウフンホワンティエンジェン)(九つの魂を用いて天の理を覆す禁術)》


沈夜黎(シェン・イエリー)の首筋で、蛇の刺青が微かに熱を帯びた。

柳紫苑(リウ・ズーユエン)は、それを見逃さなかった。


「……阿黎(アーリー)。その首、どうしたの?」


「んー。なんか熱い」


「見せなさい」


彼女が襟元を開くと、蛇の紋様が淡い金色に光っていた。

その美しい首筋に指を添えたまま、柳紫苑(リウ・ズーユエン)は息を呑む。


これは、ただの刺青ではない。


「……厄介なことになったわね」


沈夜黎(シェン・イエリー)は眠たげに瞬いた。


「そう? じゃあ帰って寝よ」


「寝るな!!」


自由都市・燈華(ドンホワ)の夜空に、暗殺組織首領の怒号が響き渡る。


※


一方、黒蛇楼(ヘイシェーロウ)。


「楼主(ロウジュー)がまた借金を増やしたぁぁぁ!!」


林小鈴(リン・シャオリン)の悲鳴が、帳簿の山を震わせていた。


天下泰平は、今日も遠い。




第二話・了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。