第八話 音楽は人を傷つけるためにあるんじゃない
窓から差し込む眩しい朝日が木製のテーブルを白く照らしていた。
湯気の立つスープをスプーンですくい、口へ運ぶ。
「……ねえ」
向かいに座るコルネがパンをちぎる手を止めてこちらを見つめていた。
「なんだ?」
「あんたたち、なんで同じ二人部屋に泊まってるのよ?」
横でスープを飲んでいたアルコが、小さく肩を跳ねさせる。
「普通、男女で同じ部屋って気にするでしょ! アルコは嫌じゃないの?」
「えっ!? あ、私は別に気にしてませんよ! カノンさんなら大丈夫ですし……」
「私が気にしてるのはあんたたちの距離感! 嫌なら私の部屋に来てもいいのよ?」
眉を寄せるコルネに、俺は答える。
「別にやましいことはしてないぞ」
「真顔で言わないでよ! そういう問題じゃなくて……」
「コルネは一人で寂しいのか?」
「べ、別にそんなわけないでしょ!!」
身を乗り出して否定するコルネの顔がほんのり赤く染まる。
「もういいわ! あんたに聞いた私がバカだった!」
プイッと顔を背けて勢いよく肉にかぶりつくコルネの横でアルコが楽しそうにクスッと笑った。
朝の食堂に、軽やかな空気が流れる。
食事を終え、俺は羊皮紙のメモと革袋をテーブルに置いた。
「今日の予定だが」
「なにかあるの?」
「素材を拾うだけじゃなく、ギルドで正式な依頼を受けようと思う」
昨日素材を売り、まとまった金は手に入った。
だが、宿代に三人分の食費、特にコルネの食べる量を考えれば、行き当たりばったりの素材回収だけでは安定しない。
「三人でやっていくなら、確実に稼げる手段を作っておいたほうがいい」
「そうね。私達、これからも食べていかなきゃいけないし」
コルネは素直に頷いた。
「よし、ギルドへ行こう」
冒険者ギルドの扉を押して中へ入る。
喧騒が響く広い場内に足を踏み入れ、進んでいくと、すれ違う者たちの視線がチラチラとこちらへ注がれた。
「……あれ」
「もしかして、あいつ……」
「Sランクの……」
「追放されたって奴か……?」
ひそひそとした囁き声がかすかに聞こえる。
「おいおいおい! お前、スケルツァンドを追放されたバカノンじゃあねえか」
掲示板へ向かおうとした俺たちの前に、立ち塞がる影があった。
品性のない笑みを浮かべた粗暴な男だ。
腰には大剣を下げている。
「あ、いまはスケルツァンドじゃなくてノヴァだったか? 前の名前はクソださすぎて笑えたぜ」
拳の隙間から、赤く粘り気のある滴がひとしずく、床へと落ちる。
「なんだぁ? 言い返せねえのか?」
男は鼻で笑うと、視線を俺の背後へと向けた。
「へっ、それで? 女侍らせておままごとか? いいご身分だぜ」
周囲にいた数人の男たちが、面白そうにこちらへ近づいてくる。
「こんな雑魚演奏家ほっといて、俺たちと楽しいことしないか?」
男の一人が、アルコへ向けて不躾に手を伸ばした。
「ヒッ……!」
アルコが小さく身をすくめ、俺の背中に隠れるようにして服の袖をぎゅっと掴む。
「……私たちも演奏家なんだけど」
コルネが前に出た。憤りを隠そうともせず、男たちを睨みつける。
「……は?」
男は一瞬ポカンとし、次の瞬間、大声をあげて吹き出した。
「ぷっはー! 演奏家! 演奏家だってよ! 無能同士でパーティー組んでるのか! そりゃお似合いだな!」
男たちの下品な笑い声が周囲に響く。
アルコは怯えながら俺の服を固く握り締め、コルネは悔しそうに唇を噛み締めていた。
「……そうか」
俺はそう呟いた。
怯えるアルコを、
刃のような視線を向けるコルネを、
そして目の前の男たちを見つめる。
「ふざけないで……!」
コルネが激昂し、背中から管楽器を構えた。金色の管が眩しい光を帯び、今にも音波の弾丸を解き放とうとする。
「待て、コルネ」
俺はコルネの肩に手を置いた。
「でも、カノン! こいつら……!」
憤るコルネを見つめながら、脳裏に言葉が蘇る。
『カノン。音楽は人を傷つけるためにあるんじゃない』
「君の音を、人を攻撃するために使わないでくれ。楽器が悲しむ」
「え……」
コルネの手が止まる。
俺は背負い紐から手を離し、ただ、一歩を踏み出す。
「てめえ……すましやがって! 腹が立つんだよ!」
男が怒りに顔を歪め、俺の顔面めがけて大振りな拳を突き出してきた。
俺は突き出された男の拳を、右手で受け止める。
——ポタリ。
静かな音とともに、床に鮮血が落ちる。
「あ……?」
男の動きが止まる。
「な、なんだお前……気色悪ぃな……!」
男は引きつった顔でじりじりと後ずさった。
「ちっ……行こうぜ!」
捨てゼリフを吐き、男たちは逃げるように人混みの奥へと消えていく。
「カノンさん! 手、怪我してます……!」
アルコが駆け寄り、蒼白な顔で俺の手を覗き込んできた。
「大丈夫だ。これくらい平気だ」
俺は傷口を軽く布で拭い、何事もなかったように掲示板へ向かった。
用件を果たすのが先だ。
「依頼を見にいこう」
そう言ってカウンターへ向かったが、受付の中に人の姿がない。
「……受付の人は?」
周囲を見回していると、奥の扉が勢いよく開いた。
「おい、どっちだ! どこで騒ぎがあったんだ!?」
ドタドタと重い足音を響かせて現れたのは、熊のように大柄な男だった。立派な髭を蓄えた気さくそうな顔立ち。この冒険者ギルドのギルドマスター、グスタフだ。
その横で、恐々とした様子の受付嬢がこちらを指さす。
「あ、こちらの方です……!」
グスタフはこちらへ視線を向けると、目を見開いた。
「おお、坊主じゃねえか!」
「……グスタフさん」
「で、何があったんだ?」
「俺は少し殴られただけですよ」
淡々と答える俺に、グスタフの視線が俺の手元へ落ちた。
「おいおい、血が出てるじゃねえか!」
「すみません。後で掃除しておきます」
「そういう意味じゃねえよ!」
グスタフの豪快な声がギルド内に響く。
「まったく……お前、相変わらずだな」
グスタフは呆れたように息を吐くと、遠巻きにこちらを見ていたさっきの男たちへ鋭い視線を向けた。
「おい、そこのお前ら」
「ヒッ……! ギ、ギルマス……!」
「冒険者同士の揉め事起こすな言ってるだろうが」
グスタフは男たちの元へ歩み寄ると、大男の頭を両手でガッシリと挟み込んだ。
「あだだだだ! すみません! すみませんでした!!」
「まあ、こいつらには俺からきつく言っておく。それと……パーティの件、災難だったな」
頭をぐりぐりと力任せに締め上げながら、グスタフは俺へ向けて苦笑いを浮かべた。
悲鳴を上げる男を見て、コルネがふんと鼻を鳴らす。
「……ふん、いい気味ね」
「さて」
騒ぎが収まったのを確認し、俺は再び受付嬢へと向き直った。
「依頼を見せてくれないか」




