第六話 それが君の音を否定する理由にはならない
朝日が射し込む宿屋の食堂は焼きたてのパンと香ばしい干し肉の匂いに包まれている。
テーブルで俺とアルコは朝食を取っていた。
ぐうう、と食堂の隅から腹の虫を派手に鳴らす音が聞こえた。
視線を向けると食堂の端のテーブルに少女が一人。
目前にはおよそ一人分とは思えない量の料理が積み上がっている。
大皿に盛られた肉料理、重ねられたパンの山、並べられたスープの器。
少女は必死な手つきでそれらを次々と口へ運んでいた。
テンポの速い即興曲のように、無駄のない手つきで料理が消えていく。
力強いフォルテッシモのような喰らいつきだった。
「あの人……すごい食べますね……」
アルコが目を丸くして呟いた。
俺は少女の横に立て掛けられた、使い込まれた黒い皮ケースに視線を留めた。
大皿を空にしながらも、少女の左指はテーブルの縁で規則的なリズムを刻み続けている。息を吸うタイミング、腕の引き方、そのすべてに拍節が宿っていた。
「……演奏家だな」
「えっ? どうして分かるんですか?」
「指が休んでいないんだ」
俺は短く答え、茶を一口飲んだ。
その視線に気づいたのか少女がもぐもぐと口を動かしたまま、ツンとした視線をこちらに向けた。
「……何よ。人の顔、じろじろ見て」
アルコが慌てて両手を振る。
「す、すみません! あまりにもたくさん食べていたので……っ」
「悪かったわね。大食いで」
むっと眉をひそめる少女に俺は告げた。
「別に悪いことじゃない。食うのはいいことだ」
「……意味わかんない」
少女はそっぽを向いてしまった。
「そのケースは?」
俺の問いに少女は一瞬口を止め、自慢げに小さく胸を張った。
「魔導管楽器よ」
彼女がケースの留め具を外すと、金属の鈍光が放たれた。
渦を巻くように何重にも太い管が絡み合い、先端には巨大なベル状の開口部が開いている。少女の背丈ほどもある。
「私の演奏はね、自分の魔力を音に変換して、味方に分け与えられるの」
「魔力を……分け与える?」
アルコが身を乗り出すと、少女は少し得意気に言った。
「そうよ、私の魔力を使って回復するの。……だから、演奏するとすっごくお腹が減るの!」
積まれた空皿の山を指差し、少女はフンと鼻を鳴らした。
「なるほどな」
「何よ、その納得したような顔!」
「……で、どうして一人なんだ?」
少女は一転して言いづらそうに口元をすぼめた。
「……追い出されたのよ」
「追い出された……?」
「魔力を補充するための食費が、他の奴らの何倍もかかるからって……!」
少女は半ばヤケクソ気味に叫んだ。
「仕方ないでしょ! 魔力を使えばお腹が減るんだから! 私だって好きでこんなに食べてるわけじゃないわよ!」
「……だから、もう私みたいな演奏家、誰も必要としてくれないのよ」
投げやりに呟く少女に俺は言った。
「どうして?」
「どうしてって……食費が」
「食べればいいだろ」
少女はポカンと口を開けた。
「……は?」
「魔力を使ったなら、食って補充すればいい」
「そんな簡単な話じゃ……っ」
「必要なものなんだろう?」
俺はまっすぐに彼女を見据えた。
「演奏に必要なコストなら、払えばいいだけだ。それが君の音を否定する理由にはならない」
「……っ」
少女は言葉を詰まらせ、言葉を探すように口を幾度か開閉させた。
「一曲、聴かせてもらえないか?」
「……今?」
「君の音を聴いてみたい」
驚く少女の横で、アルコが嬉しそうに頷いている。
少女は少し迷う素振りを見せた。
やがて腹を括ったように魔導管楽器を持ち上げる。
小さな体にそぐわない金属の塊を両腕で抱え込む。
息を深く吸い込み、マウスピースに唇を当てた。
——ズン、と。
巨大なベルから放たれたのは、低く、太く、腹の底を揺さぶる重低音。
宿屋の空気そのものが微細に震える。
単なる大音量ではない。
音そのものに濃厚な魔力が凝縮されている。
音が空気を伝うと同時に、胸の奥で減っていた魔力がぐんぐんと満たされていく感覚が走る。
アルコも自分の手元を見つめている。
一曲を吹き切り、少女は肩を大きく上下させて息を整えた。
「……これが、私の音よ」
「面白い」
「……何がよ」
(この低音にアルコの旋律を重ねたら……)
「君、名前は?」
「コルネだけど……」
「よし、コルネ。さっそく合わせてみよう」
「ちょっ!? 合わせるって何よ?」
戸惑うコルネの声を背に受けながら、ドアを押し開けて宿の外へと足を踏み出す。
朝日が石畳の隙間を金色に染め上げている。
街道の端にある開けた広場に立ち、俺は魔導鍵盤を展開した。
「ここでやるの!?」
後を追ってきたコルネが目を丸くして足を止めた。
「朝の空気は澄んでいる。音の輪郭が一番よく聞こえる場所だ」
鍵盤の上に指を配置する。
空気の振動が皮膚を通して指先へと伝わってきた。
構える三人。
「始めよう」
俺が鍵盤を叩く。
和音が広がる。
アルコの弦の旋律が重なる。
だが、そこにコルネの太い重低音が割って入ると、一瞬だけ全体のバランスが崩れ、音が濁った。
「コルネ、今の音は少し抑えれないか。アルコの旋律を包み込むように」
「なっ……私に指図する気!?」
「アルコはもう少し音を伸ばして低音を受け止めてくれ」
「は、はいっ!」
「……そうだ」
俺が全体のテンポを制御し、指先で音の引き算と足し算を行っていく。
濁っていた音が散り、次第に三つの音が互いの隙間を埋め合い始めた。
鍵盤が骨組みを作り、弦が肌を紡ぎ、管の低音が血液のように魔力を循環させる。
不揃いだった振動が重なり合い、一つの巨大なうねりとなる。
コルネは己の楽器を見つめ、ぽつりと漏らした。
「……これ、楽しいかも」




