第四話 二人で奏でる音
朝日が宿の木壁を柔らかく照らし出す中、俺たちは街の東門を目指して歩いていた。
石畳を叩く二つの足音。
アルコは背中に背負った魔導弦楽器の重みを確認するように肩紐を一度整え、それから隣を歩く俺を見上げた。
「カノンさん! 今日も音の迷宮に行くんですか?」
「君は死にに行きたいのかい?」
「えっ……!?」
俺は足を止め、アルコの方を見る。
目を見開いてその場に固まっていた。
「で、でも……昨日もカノンさん、一人で音の迷宮に来てましたよね?」
「昨日は一人だったからな。今日は違う」
俺は再び歩き出す。後ろからアルコが追いかける足音が聞こえる。
「……あそこは本来、君が行くような場所じゃない。今日は別のダンジョンへ行こう。翠の洞窟なんてどうだ?」
「翠の洞窟……初級のダンジョンですよね? 魔物もそこまで強くないって聞きましたけど……」
「魔物を討伐するのが目的じゃないよ」
俺は前方に視線を向けたまま言った。
「アンサンブルの練習」
「アンサンブル……?」
「複数の演奏家がそれぞれの音を聴きながら一つの音楽を作る。今日はそれをやろう」
アルコは小さな口を幾度か動かし、背中のケースをぎゅっと抱え直した。
◇
洞窟の中は音の迷宮とは対極的だった。
天井が高く、適度な湿り気を含んだ岩肌が不快な反響を吸収している。
開けた空洞に辿り着くと俺は魔導鍵盤を展開した。空中に浮かぶ円形鍵盤が淡く青白い光を帯びて揺れる。
「じゃあ、始めようか」
アルコも慌てて魔導弦楽器を構えた。弓を弦に当て、緊張で肩を小さくすくませている。
「……は、はい! よろしくお願いします!」
鍵盤に指を滑らせる。
和音が洞窟内に広がり、同時にアルコが弓を引いた。
細く震える旋律が洞窟の中へ伸びていく。
アルコは必死だった。俺の発する鍵盤のテンポに遅れまいと、強弱の波に追いつこうと、目まぐるしく指先を動かしている。俺が音を高く上げれば彼女の旋律も跳ね上がり、俺が音を抑えれば彼女の音も消え入りそうに小さくなる。
必死に追従するあまり、アルコ自身の音が消えていた。
俺は指を止め、鍵盤の光を収めた。
「……違うな」
「す、すみません……っ! 私、やっぱりテンポについていけなくて……もっと練習して、カノンさんの音に合わせられるように——」
「謝らなくていい」
俺は首を振り、言葉を投げかける。
「俺に合わせなくていいんだ」
「え……?」
「君は、君の音を出せばいいんだよ」
立ち尽くすアルコを見つめ、言葉を重ねる。
「その音を俺が聴く」
アルコは一瞬、息をのんだ。
深く一息をつき、震える指先でしっかりと弓を握り直す。
「……私の、音……」
今度はアルコから音が始まった。
低く、どこか切なさを帯びた旋律。揺らぐことない彼女だけのまっすぐな音色。
俺はその音を耳で、皮膚で受け止めた。
アルコの音が下がる。俺は鍵盤の低音部を厚く叩き、彼女のベースを支える。
アルコが一音、強く弦を弾く。俺はその強弱を拾い、装飾音を絡めて旋律を受け渡す。
アルコがそれに応えるように、さらに旋律を上に伸ばす——俺は和音の響きを滑らかに変え、その音の広がりを保持した。
音と音の会話。
聴き。
返し。
また聴いて。
返す。
まだ僅かなズレはある。だが、一人で弾いていた時にはなかった熱が確実にそこにある。
(……面白いな)
指先を通して伝わる感触に胸が高鳴る。
その時。
洞窟の奥から爪が岩を掻く音が響いた。
姿を現したのは素早い四足歩行の魔物、カミソリウルフの群れ。五匹。俺たちを包囲するように散開して迫ってくる。
「カノンさん……!」
「演奏をやめるな、アルコ」
俺は鍵盤から手を離さないまま続ける。
「このまま試そう」
先頭のウルフが右側から地を蹴った。
アルコが咄嗟に音色を変える。低く鋭い重音を響かせ、右側の空気を激しく振動させた。
音波を受けたウルフが僅かに体勢を崩す。
俺はその音の変化と敵の軌道修正を瞬時に聴き取り、鍵盤を滑らせた。
加速
行動速度が一段跳ね上がる。青白い旋律を纏って懐へ踏み込み、高められた音圧を刃へと変えて解き放つ。鋭い斬撃波がウルフの胴体を一瞬で断ち切った。
間髪入れず、残りのウルフが背後から同時に跳躍する。
「カノンさん、後ろ——」
叫ぶよりも早く、アルコは弓を滑らせていた。
自分の判断で高音のスタッカートを刻む。鋭く尖った音波が空間を切り裂き、跳躍した魔物の脚を直接打ち据えて撃ち落とした。
(……ほう)
もう、自分の音をどう使うべきか分かり始めている。
俺は振り向きざまに鍵盤を強く叩いた。
強化
アルコの残した音波の余韻を俺の重低音が拾う。
二つの音が重なった瞬間、衝撃波が一気に膨れ上がった。旋律の波が洞窟の壁に魔物たちをまとめて吹き飛ばす。
ずんと重い音を立て、魔物たちが倒れ伏した。
「ハァ……ハァ……」
アルコは手にした魔導弦楽器を見つめ、それから己の指先を凝視している。
俺の横顔を見やり、アルコはポツリと漏らした。
「……楽しかった」
声は小さかったが、そこにははっきりと熱が宿っていた。
「自分の音を出して、カノンさんの音が聞こえて……私、こんな風に演奏できたの、初めてです。すっごく、楽しかった……!」
少女の顔に本当の意味で生気が戻っていた。
「そうか」
俺は短く答え、魔導鍵盤を背に戻す。
「……俺も、楽しかったよ」
「……っ!」
アルコが嬉しそうに目元を緩める。
洞窟の出口へ向かって歩き出しながら、俺は己の手のひらを一度握り込んだ。
二人で重ねた音の余韻が、まだ指先に微かに残っている。
(二人で、これだけの音になる……)
俺はふと考えた。
ここに、別の音が加わったらどうなる?
まだ知らない音がある。まだ聴いたことのない演奏がある。
そう思うと、妙に試してみたくなった。




