第三十四話 再び
翌朝。
皇宮へ向かう回廊は、異様な静寂に包まれていた。
すれ違う宮廷魔導士のひとりが、突然立ち止まる。
こちらに視線を向けることもなく、空洞のような瞳で、小さく不規則な旋律を口ずさみ始めた。
少し離れた柱の陰では、侍従が頭を押さえたまま膝をついている。
焦点を結ばない瞳。浅い呼吸。
「……昨日とは、違うな」
俺は歩調を緩めることなく、謁見の間の扉を潜った。
◇
玉座の前に立っていたリオンの姿に、俺たちは息を呑んだ。
皇帝の絢爛な正装ではなく。
身体に沿う革鎧と金属装具で組み上げられた、古びた戦装束。
そして、その手には一本のフルートが握られていた。先日、俺たちの演奏に加わった、あの楽器だ。
「……そのフルートは」
「千年前、私が魔王と戦ったときに使っていたものだ」
リオンは静かにフルートを見つめ、それから俺たちへと視線を移した。
「帝都内部への侵食が始まった。魔導端末を介さずとも、あの音を聞いた者に症状が出ている。……もう、時間がない」
リオンの口調は静かだが、その声には一切の迷いがなかった。
「千年前、私は魔王を倒しきれず、音の迷宮の最下層へ封じた。このまま放置するわけにはいかぬ。……そなたたちに、頼みがある」
リオンはただ、まっすぐに俺たちを見つめていた。
「再び、あの魔王を討つために。そなたたちの力を貸してほしい」
謁見の間に、重い沈黙が落ちた。
リオンの持つフルートに視線を落とす。
音の迷宮。
レガートさん。
あの暗闇の奥で、最後に響いた断絶の音。
……また、あそこへ行くのか。
レガートさんを奪った場所。
魔王を倒すためには、最下層を目指すしかない。それは解っている。
だが、俺は視線を横へ滑らせた。
アルコ。
コルネ。
ミューズ。
言葉が出てこなかった。
喉の奥が固まり、視線が床へと落ちる。
「……ちょっと」
沈黙を破ったのはコルネの声だった。
眉をひそめ、腕を組んだ彼女が、まっすぐに俺を見据えている。
「何、そんなに黙り込んでんのよ」
俺が答えられずにいると、コルネは呆れたように小さく息を吐いた。
「……まさか、私たちを置いていくつもりじゃないでしょうね」
「……コルネ」
「私たち、コン・ブリオを倒したのよ? 魂魄の迷宮じゃ、あの骸竜だって追い返したじゃない。何をそんなに心配してんのよ」
コルネは自身の魔導管楽器を軽く叩き、不敵に笑った。
「私たちはヴィヴァーチェでしょ」
その言葉が、胸の奥に強く響いた。
続いて、アルコが静かに一歩前へ出た。
魔導弦楽器を抱きしめる指先に、ぎゅっと力が入る。
「……カノンさん。私たちは、もうカノンさんに守ってもらうだけの仲間じゃありません。……正直、私も怖いです。でも、カノンさんが一人で行くほうが……ずっと嫌です」
ミューズも喉元にそっと手を当てた。
「あの音が……私にも何かを伝えようとしているなら。私も、確かめたいです。一緒に行かせてください」
三人を見る。
その瞳に揺らぎはなかった。
……そうか。
俺はまた、一人で背負い込もうとしていたのか。
レガートさんのいた頃とは、違う。
今の俺の隣には、共鳴する音がある。
俺はゆっくりと息を吐き出し、リオンに向き直った。
「……俺たちも、行きます」
「そうか」
リオンは頷き、フルートを固く握り直した。
「ならば、行こう。千年前の決着をつけるために」
◇
皇宮を出ると、帝都の風に乗って、かすかにあの濁った旋律が混じり込んでいた。
リオンがフルートを背負ったケースへ収める。
アルコが魔導弦楽器の調弦を確認するように弦に触れる。
コルネが魔導管楽器を背中に担ぎ直す。
ミューズが喉元をさすり、息を整える。
そして俺も、背負った鍵盤の感触を掌で確かめた。
行こう。
今度こそ、あの場所へ。




