第十四話 途切れた配信
「さて、明日に備えてもう休むか」
宿の食堂で宴の余韻に浸っていた俺は、料理の皿が空になったのを見届けて立ち上がった。
「そうですね。今日はたくさん食べて、たくさん笑いました!」
アルコが満足そうにお腹をさすり、コルネも小さく息を吐いて椅子から腰を浮かせる。
「あ、あの!」
それまで大人しく座っていたミューズが、慌てて声を張り上げた。
「私、忘れ物があるので一度家に取りに帰ります! 明日の朝までには戻りますね!」
「……ちゃんと戻ってきなさいよね」
コルネの口元は緩んでいる。
「も、戻ってきます! 絶対に朝食の時間までに戻りますから!」
「ああ。気をつけてな」
「はい! おやすみなさい!」
深々と頭を下げると、ミューズは弾むような足取りで宿を飛び出していった。
◇
翌朝。
宿の食堂には、焼き立てのパンと温かいスープの香りが漂っていた。
「……あいつ、遅いわね」
カップの角砂糖をスプーンでつつきながら、コルネがジロリと入口に視線を向ける。
「まあ、有名人だし何かあったのかもな。挨拶回りとかさ」
「大丈夫でしょうか……道に迷ったりしていなければいいのですが」
アルコが心配そうに窓の外を覗き込む。
朝食を食べ終え、そのまま食堂で待つこと数時間。
陽が頭上に昇り、昼の鐘が街に響き渡った。
「……さすがに遅いな」
「でしょ? やっぱりあの女、歌姫の仕事が忙しくてバックレたんじゃないの?」
不満げに眉をひそめるコルネだが、足先は落ち着きなく揺れている。
俺は立ち上がり、カウンターにいた宿の女将に声をかけた。
「女将さん。もしミューズが戻ってきたら、ギルドに向かったと伝えておいてもらえますか?」
「はいはい、分かったよ。伝えておくね」
女将に伝言を頼み、俺たちは宿を後にした。
◇
冒険者ギルドの受付カウンター。
昨日と同じ受付嬢が、俺たちを迎えた。
「いらっしゃい! 本日はどのようなご用件でしょうか?」
「パーティの正式登録を頼みたい。俺と、アルコ、コルネ、それとミューズでヴィヴァーチェというパーティを結成したいんだが」
俺が書類を差し出すと、受付嬢はチラリと俺たちの背後に視線を巡らせ、困ったように首を傾げた。
「あの……ミューズさん本人が居られないようですが……とりあえずお三人で登録しておきましょうか?」
「いや」
俺は即答した。
「俺たちは四人でヴィヴァーチェだ。今登録できないのであれば、後日でも構わない」
受付嬢が一瞬だけ目を丸くする。
隣で腕を組んでいたコルネが、ふっと口元をほころばせた。
「ふん……いいこと言うじゃない」
「もう仲間だからな」
「よし、今日の依頼を見せてくれないか」
俺たちは並べられた数枚の羊皮紙と睨めっこを始めた。
◇◇◇
前日の夜。
宿を飛び出したミューズは月明かりが照らす街並みを一人走っていた。
目的は自宅にある魔導撮影機を取りに行くこと。
それさえ回収すれば、また明日から皆と一緒にいられる。
胸を躍らせながら敷地の門をくぐったミューズは玄関前に佇む人影を見て足を止めた。
「ご無事でしたか、ミューズさん」
待ち構えていたのは魔導配信ギルドの役員たち、そして護衛の帝都警備隊だった。
自分が歌姫であることを思い出す。
「あ、えっと……ご迷惑をおかけしました!」
咄嗟に頭を下げるミューズに、役員が穏やかな笑みを向けた。
「いえいえ、ミューズさんがご無事そうで何よりです。……それにしても、あなたほど真面目なお方が予定を忘れて飛び出すとは、余程のことがあったんでしょうか?」
「す、すみません……」
身を縮こまらせるミューズ。
役員は気にした風もなく、そのまま足早に屋敷の中へと入っていく。
「では、今後の予定についてなのですが――」
応接室に移動すると、息つく暇もなく羊皮紙が広げられた。
休止期間中の穴を埋めるための、復活インタビュー。
大手の魔導媒体との提携。
そして、全土に向けた大規模な復活配信。
短い決定事項が淡々と並べられていく。
次々と打ち出されるスケジュールに、ミューズの呼吸が浅くなっていく。
「あ、あの……! 私、他にやりたいことが――」
思い切って声を上げたミューズに、役員がふっと手を止めた。
「今、なんと?」
「ですから……私、少し別の場所で」
「今、なんとおっしゃいましたか?」
怒ってもいない。
責めてもいない。
ただ、ミューズの言葉を受け入れるつもりがない。
そんな視線だった。
「あ……いえ……なんでもないです」
「そうですか、それは良かった。では、明朝の復活配信の段取りですが……」
トントンと定規で叩かれる机の音を聞きながら、ミューズは俯いた。
打ち合わせが終わり、自室に一人残されたのは深夜のことだった。
窓の外を見上げる。
明日の朝、宿に戻って皆と朝食を食べる約束をした。
四人で新しい演奏をするはずだった。
なのに、明朝の復活配信の予定が入っている。
ふと、自分が配信を始めた頃のことを思い出す。
自分の歌で誰かを笑顔にしたい。
世界中の人に音を届けたい。
純粋な楽しさと希望だけがあったはずだった。
いつからだろう。
歌わなければいけない。
期待に応えなければいけない。
歌姫という偶像を演じ続けることが、いつの間にか胸を締め付ける重圧に変わっていた。
歌うことが嫌いになったわけじゃない。
ただ、自分の歌いたいという心が置き去りにされたまま、音だけを求められることが、どうしようもなく息苦しかった。
◇
翌日。
帝都の巨大な魔導配信ホールは、熱気に包まれていた。
世界中へと張り巡らされた魔導映像の回線。
その向こうには、歌姫の復活を待ち望む無数の人々が存在している。
ステージの中央。
スポットライトを浴びて、ミューズはマイクの前に立っていた。
合図が鳴る。
伴奏の魔導オーケストラが音を奏で始める。
息を吸い込み、ミューズは口を開いた。
「――♪」
声は出た。
喉は鳴っている。
かすれてもいない。
しかし、音が出た瞬間、ミューズは耳を疑った。
乗らない。
自分の声なのに、まるで他人の声を遠くで聞いているかのように響かない。
歌声は出ている。
なのに、自分には全く届かない。
(……なんで……? 声は出ているのに……)
必死に声を張ろうとする。
胸の奥から音を押し出そうと旋律を紡ぐ。
だが、歌えば歌うほど、自分の声が遠ざかっていく。
観客のざわめきが大きくなる。
スタッフたちが青ざめた顔で交信機に叫び始める。
パツン。
唐突に魔導映像の光が途絶えた。
歌姫ミューズの復活配信は一曲目の半ばで中断された。




