第十一話 旋律の行方
ひとすじの透明な振動が空気を震わせた。
コン・ブリオの怒号も、崩落する岩盤の地鳴りも、その一音によって一瞬で凪いだように錯覚する。
『遠い日に聴いた 誰かの指先が』
『暗闇に灯した あたたかな灯火』
澄み渡るソプラノの歌声。
俺たち三人は演奏をやめ、声のする方へ顔を向けた。
破砕した岩座の上に、一人の少女が立っていた。
蒼い光を放つ魔導撮影機に背を向け、ただ胸の奥から溢れるままに歌っている。
指先が動く。
歌声を耳で捉え、その音程と倍音を聴き取り、鍵盤を打ち鳴らす。
ポーン――。
返した一音に、少女の瞳が揺れた。
歌声に一層の熱が宿る。
『私がひとすじの歌を紡げば』
『絶え間なく 誰かが言葉を返してくれる』
その歌に鍵盤を重ねる。
響きを捉えたアルコが弓を滑らせた。
澄んだ弦の音が鋭い旋律を描き、歌声の輪郭を際立たせる。
「なによ……すっごい音じゃない……!」
コルネが叫び、魔力を注ぎ込む。
低音が足元を揺らし、歌、鍵盤、弦のすべてを膨らませていく。
歌が、
旋律が、
魔力が、
何重もの波紋となって空間を循環する。
グガァァァァァァアアアアンッ!?
コン・ブリオが背中の巨大な鐘を乱打し、狂乱の不協和音を吐き出す。
だが、四つの音は崩れない。
歪んだ音を一つずつ拾い上げていく。
鐘の音が旋律の中へ飲み込まれていった。
◇
蒼く光る魔導撮影機を通じて、映像を見つめていた人々の間に驚きが広がる。
《黒鐘の坑道・深層監視中継》
『おい……この歌声、嘘だろ……?』
『録音で聴くのと全然違う……!』
『音が生きてるみたいだ!』
『ミューズ!? 歌姫ミューズなのか!?』
『失踪したんじゃ!?』
ギルド本部では緊急派遣の指示を出していた上層部が呆然とモニターを見上げていた。
救援部隊はまだ坑道の果てにすら届いていない。
画面の中では失踪したはずの歌姫と、演奏家たちが重なる旋律を紡いでいた。
◇
『私の声が あなたの音に応えるなら』
『まだ見ぬ誰かの明日へ 届くだろうか』
少女の歌声が高らかに跳ね上がる。
コン・ブリオが渾身の力で背中の鐘を叩き鳴らすが、打ち出された衝撃波は四人の音楽に触れた瞬間、鋭い音がほどけ、澄んだ和音へと変わり、消えていく。
『重なるこの音が遠くまで届いていく』
『世界中のどこかで 佇むあなたへ』
コン・ブリオが最後の咆哮を放つ。
けれど、その音はもう響かなかった。
歌がある。
鍵盤がある。
弦がある。
管がある。
四つの音が重なり、ひとつの構造を結んだ。
巨大な瞳が沈黙する。
コン・ブリオの外殻にミシミシと亀裂が走り、灰となって崩れ去っていく。
地鳴りが収まり、戦場に静寂が戻る。
怪物の気配は消え、残されたのは静かに漂う燐光と、荒い呼吸を整える四人だけ。
少女は目を閉じた。
溢れ出る息とともに、最後のフレーズを優しく紡ぐ。
『もう、声は途切れない』
『この空の果てまで何度でも、何度でも』
『私は歌う――あなたへ、まだ見ぬ明日へ』
空洞に音のない時間が戻る。
俺は鍵盤の光を消し、振り返った。
肩で息を吐きながら、少し照れくさそうに、それでも嬉しそうな顔でこちらを見つめている。
そのソプラノの余韻と、脳裏に刻まれた面影が、俺の中で一つの線で繋がる。
「……君は、まさか歌姫ミューズなのか?」
問いかけが、しんとした洞窟の中に響き渡った。




