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路線バス運転士俳優山田ひろしの常識  作者: バスバスキヨキヨ


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塚谷とドライブ

「高速に入る前に、ドーナツをもう一つ食べたいです」

「塚谷君は食いしん坊だねえ」

 間違っても、食べると太るよとかネガティブな事は言ってはいけない。誰も得をしない結果になるだけだ。

「何を言ってるんですか。まだ、ひろしさんの食べかけの一つしか食べてないですよ。ひろしさんは私に分からないようにたくさん食べたから、私まで食べたと思ってるんでしょ? もおー、怒った。ひろしさんのマネージャーを降ろさせてもらいます。そして今日のドーナツの恨みは一生忘れません。ウッウッウッエーン……」と、塚谷が分かりやすい嘘泣きを始めた。

「そんな下手な芝居をよくできるね? 一応、僕は役者で塚谷君はそのマネージャーなんだから、もう少しなんとかならないかなあ」と、真面目に注意をする芝居を試みた。が、笑いを堪えるのが必死だ。もしこれが本番だったなら、僕は大根役者のレッテルを貼られて、オファーが皆無になるのだろう。ただ、こうやってものすごくくだらない会話を塚谷としているだけで、少しずつ元気が回復するから不思議なものだ。

「ひろしさんのバカっ。デリカシーという言葉を知らないんじゃないですかっと、ほら停車しましたよ。ドーナツ係のひろしさんの仕事の時間です」

 同じ過ちを避けるために、僕はすかさず、用意しておいたドーナツを、いつも楽しそうな塚谷の口に近づけた。驚くことに、ひと噛みでドーナツは半分になる。イリュージョンレベルかもしれないが、僕は頑張って平常心を保つ。

 まだまだ信号が変わりそうにないからなのか、塚谷はゆっくり味わって食べると、ミルクティーを少し飲む余裕まであった。そして、何か言いたげに僕を見る。塚谷が何を伝えたいのか分かってはいるが、イリュージョンを見せられ固まっていた僕はすぐに反応できない。といっても、ほんのコンマ何秒だったのに。待てない塚谷は、今度は声を出してはっきりと意を伝えてきた。

「ほら、ひろしさん、仕事仕事」

 今は塚谷の付き人に徹している僕は、すぐさま塚谷の口にドーナツを持っていく。しかし、塚谷が待てるはずがなかったのだ。塚谷がドーナツを迎えに動く。タイミング悪く、塚谷とドーナツが正面衝突だ。

「いてっ」

「あっ、ごめんごめん。大丈夫?」

「全然大丈夫です。今のは、私もひろしさんも悪くないですよね? しいて言えば、美味しすぎるドーナツが悪いんで……いや、そんな事を言ったらドーナツに怒られますね。ドーナツがへそを曲げる前に、早く食べさせてください」

「はいはい。ドーナツは偉大で心も広いから、心配しなくて大丈夫だよ」と言いながら、じっと待っている塚谷の口へドーナツを入れてあげた。すると、塚谷がドーナツをもらうのを待ってくれていたかのように、ちょうど信号が青に変わる。塚谷はゆっくりと車を出した。機嫌も良い。

 しばらくゆっくり味わって食べ終わると、塚谷は悲しそうにため息を漏らした。電話では言えなかった何か悲しい知らせを、面と向かって、さらに言い出せなくなったのだろうか。まさか、僕の正体を知った人が他にもいるのかもしれない。悪いことって続くものだ。だけど、僕からは聞き出す勇気が沸かないので、僕は目をつぶり静かに待った。

「はあー……。これで、東京に着くまで、ドーナツとお別れですね」

「えっ? あっ! そっちか」

「そっちって?」

「い、いや……。ドーナツなら、高速を降りるまでに何か所かサービスエリアがあるから、それのどこかに寄ろうよ。時間は惜しいけど、十分に休憩を取って運転しないといけないからね」

「そうでしたね。それまでは、ひろしさんも食べないでくださいね。もし食べたら、どうなるか想像もできない事をしますよ」

 前を向いているが十分に伝わってくる塚谷の不敵な笑みが、ぎりぎりドーナツの手前で僕の右手に急ブレーキをかけさせた。サービスエリアに着くまでは、なんとかしてドーナツの事を忘れないといけないようだ。並大抵の努力では難しい自信がある。

 黙っていると、この時間が永遠に感じ余計に辛い。なので、運転に差し障りのない程度に、明日の仕事の話をすることにした。

「明日の撮影は、健二さんと一緒に出演するシーンがまあまああるんだよね?」

「おそらく……そうですね。刑事役の超有名人気俳優だと言われている小林健二さんと犯人役のひろしさんの二人だけのシーンもありますけど、ひろしさんの妹役の小野リカさんを入れた三人のシーンと半々くらいですかね。もちろんセリフは入ってますよね?」

「それは信用してくれて大丈夫だよ。それにしても、小野さんはかわいいね。一度、恋人役をした時は本気で照れちゃったからね。そのシーンはそういう演技で良かったから、監督にべた褒めされるしで、良い思いだだよ。塚谷君も、あの時はいたから、覚えてるでしょ?」

「そんなのいちいち覚えてないです。私は過去を振り返らない未来志向の人間なんだから」

 そう言えば、健二さんの事もあまりというか全く知らなかった感じだったけど、いまいち言っている意味を僕は理解できなかった。ただ、気持ち塚谷の機嫌が悪くなったようだ。気のせいかもしれないが。

 いつも楽しそうな塚谷でも、不機嫌になることはあるのだろうか。人間なのだから、喜怒哀楽はあって当たり前だ。だけど、僕は未だに塚谷の『喜』と『楽』しか見たことがない。冗談で怒ったり泣いたりはしているが、塚谷が本気で怒ったり泣いたりしているのを想像するのは難しかった。

「小野さんの前で恥ずかしい芝居なんてできないから、明日の撮影が始まるまでに、健二さんに口止めをして落ち着かないと。いやいや、そうじゃない。小野さん云々じゃなくて、口止めに失敗したなら、僕の将来が真っ暗だ。意地でも口止めを成功させないとな」

 独り言で呟いたつもりだったけど、塚谷はしっかり聞いてくれた。もう機嫌も悪くない。

「それじゃ、明日は念の為に早く撮影所に行きましょうね」

「そうだね。じゃあ、明日は僕が塚谷君を迎えに行くから、自宅で待っててね」

「え? 私のマンションを知ってるんですか?」

「知らないから、嫌じゃないなら、後でナビに登録しておいてくれる?」

「嫌なわけないですよ。めちゃくちゃ嬉しいです」

「何がそんなに嬉しいの?」

「だって、明日は事務所に車を取りに行かなくてもいいし、ひろしさんが迎えに来てくれるしで、朝ゆっくりできるじゃないですか。化粧もバッチリできるから、女優さんに間違われるかもしれないですね」

「うーん、そうかもしれないけど、塚谷君は薄化粧の方が素敵かな」

「あ、ありがとうございます」

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