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路線バス運転士俳優山田ひろしの常識  作者: バスバスキヨキヨ


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モリアーティと対決

 なぜなんだ? なぜこんなにも時間がかかるんだ? イギリスの警察は……いや、ここはあえてスコットランドヤードと呼ばせてもらおう。慎重になりすぎてやしないか? 僕はホームズなんだよ、レストレード警部? 

 ハハッ。頭がおかしくなったのではない。調子に乗りすぎただけだよ。

 3日目の取り調べも終わっても、事態は進展していなかったが、僕には不思議なくらいに余裕が出てきた。今日は良い夢が見られそうだ。囚われの身でも、夢の中では自由なのだから。

「モリアーティ教授、僕は負けるわけにはいかないんですよ」

「ひろし、諦めろ。お前がバスを運転することは二度とない」

「諦めるなんて、僕の辞書にはないんですよ。僕がバスを走らせないと、大切な人たちがバス停で待ちぼうけになってしまう。雨が降ろうとも、嵐が来ようとも、理不尽な困難に巻き込まれようとも、僕のバスは必ずやって来るんです」

「なぜ、なぜそんなにしてまで、バスを運転するんだ?」

「それは……」

 モリアーティ教授と共に滝の中に落ちていくところで、僕はベッドから落ちてしまったようだ。こうして留置所での4日目の朝がやって来た。やはり、二度寝をしようだなんて気にはならないくらいに、しっかりと目が覚めている。モリアーティ教授は夢の中の存在だったと理解しているし。

 そして、モリアーティ教授から脱出できたからだろうか、ここからも出られる気になっていた。不安も襲ってこない。むしろ、これから始まる事情聴取という戦いが楽しみなくらいだ。と言っても、警察に敵対しているつもりなんて全くない。警察は、自分たちのするべき事を、国や市民のために忠実に行っているだけだ。モリアーティ教授の敵という意味では、ホームズと同じ立場なのだ。

 ただ、悲しいかな、今は警察から見たら、僕はモリアーティ教授と同じ立場になっている。不本意ではあるが、戦わなくてはいけない。だけど僕は無実なのだから、警察は負け戦になるのだ。なぜなら、僕たちには負ける要素なんてこれっぽっちもないのだから。今となっては、勝利に向かって確実に少しづつ少しづつ牛歩のごとく前に進んでいるのが実感できる。

 体力があり余り精神的にも強くなった僕は、案内してくれる係の者を逆に案内するくらいの勢いで速く力強く取調室まで突き進んだ。そして今日も取調室の少し手前で待ってくれていた大使館員の人に元気に挨拶する。

 予想していたように、大使館員の人は今日も出で立ちに変わりはなかった。自然に着崩されてはいたが。それに、髪はコントのように爆発していて、髭はワイルドと言っていいくらいに伸びている。それでも持って生まれた爽やかさで、ここまで来るのに止められはしなかったのだろう。僕の隣の房に押し込まれても、文句は言えないくらいに変わり果てていた。

 僕自身のことよりも、この大使館員の人がきちんと食事と睡眠をとっているのか心配になる。あえてそういうことは聞かずに、心を込めてお礼を言うだけに留めておいたが。だって、今の彼は僕のために身を粉にして動いてくれているのだ。僕が同情するなんて、お門違いもいいとこだろう。

 取調室に入り待っていると、またもや担当刑事が変わったようで、一人目二人目の人とは全く別の人が入ってきた。今日の人は見るからに頭が切れそうで、例えるなら、正にモリアーティ教授だ。いや、例えるならではなく、名前がモリアーティだった。シャーロックホームズの仇敵のモリアーティ教授とは、もちろん何の関係もない。それでも、僕の負けない自信に、亀裂が入ったのが分かった。いや、名前や見た目や雰囲気に惑わされてはいけない。

 しかし、モリアーティ刑事は、見た目や雰囲気そのものだった。僕が答える3つ4つ先の事まで想定して質問してくるし、表情や口調まで変えたりして僕に自白させようと工夫している。まあ、口調に関しては、僕が冷静さを欠かないように、通訳さんが上手く調整してくれているので助かってはいるが。

 しかし不利な状況にかわりはない。完全にモリアーティ刑事のペースだ。見なければいいのに、ついついモリアーティ刑事と目を合わせてしまうし。かといって、目を逸らせてしまうと逆に怪しいのではと、自分で自分を追い込んでしまう。これも、モリアーティ刑事の思うつぼなのだろうか。それとも、僕が勝手に自滅しているだけなのか。こういう思考になった時点で、僕の負けなのかもしれない。はっきり言って、今までで群を抜いて一番厄介な相手だ。

 もしモリアーティ刑事が初日からずっと担当だったなら、僕はやってもいない犯罪を認めていたかもしれない。ということは、この取り調べがあと3日も続けば、僕は冤罪を自白してしまうのだろうか。

 今日の取り調べが始まる前の余裕や自信が、僕の中から完全に消滅している。何事にも屈しないと思っていた固い意志も打ち砕かれている。言い知れぬ不安がとめどもなく押し寄せているだけだ。

 モリアーティ刑事からとうとう目を逸らし、僕は力なく俯いてしまった。と同時に、取調室のドアが開く音がした。音がしたのは分かったが、僕は反応しない。取り調べ中でも、人の出入りは珍しいことではないのもある。だけどそれ以上に、僕には理由があった。意気消沈だったからではない。意気消沈なのは事実だけど、再び元気を取り戻すために、みんなの顔を思い浮かべることに集中していたのだ。

 なのに、なかなか集中できない。複数の人というより僕以外の全員が慌てて立ったので、非常に騒がしかったのだ。椅子がずれて軋む音はもちろん、ある者は豪快に椅子を倒していたから。なんの脈絡もなく突然暴れだしたわけではないようだ。椅子の音はすぐに収まり、すぐに静寂に包まれた。

 その緩急の激しさに、僕の集中力は完全に破壊され、周囲を見渡した。全員が取調室のドア付近を見て、直立不動で黙って立っている。あれほどの事件だったから、警察の偉いさんが叱咤激励に来たのだろうか。いや、弁護士さんと通訳さんまでもが立っているのは、何か違和感がある。

 さすがに僕も、皆が何を見ているのか気になった。だけど、座っていては刑事が死角を作っているので見えない。本当はだめだろうけど、立って見てみようか。今は誰も僕を気にしていないし、少しくらいなら問題ないだろう。もし怒られたなら、音速で座ればいい。

 そんな風に決意した僕は、一応静かにゆっくりと椅子をずらし、さらにゆっくりと立ち上がった。そして、そっと入り口に目を向ける。

 見覚えのあるおばあさんがキョロキョロと見回しているだけだ。たった今、みんなの顔を思い浮かべていたから、似ている人を知り合いだと思ってしまったのだろうか。でも、どう見ても、バスで出会ったエリザベスに瓜二つなのだ。

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