止まない雨はないが、晴れない容疑はあるのだろうか
留置所も2日目ともなれば慣れたものだ……なんて言えるはずがなかった。慣れるどころか、昨日よりも辛く感じる。もし僕の無実を証明するために奔走している人がいなかったなら、頭がおかしくなっているかもしれない。
大使館員の人は、表情は昨日と変わりなく朗らかだったけど、おそらく一睡もせずに僕の資料なんかをかき集めてテロリストたちとは何のゆかりもないことを証明しようとしてくれているのが明らかだ。イギリス人の弁護士さんも、言葉数こそ少ないが、見ず知らずの僕の無実を心から信じて矢面に立ってくれている。そして言うまでもなく、一緒にイギリスに来た監督チームや『路線バスに乗って一人旅』チームの皆が、僕のために祈ってくれているのがひしひしと伝わってくる。きっと今はもう意識が戻っている、イギリスの勇敢なバス運転士と『路線バスに乗って一人旅』の二人のカメラマンも、自分たちの体の痛みを忘れて祈ってくれているのが不思議と確信できた。
だから、こんな悲惨な状況に陥ってしまった自分が不幸だなんて思わない。むしろ、強気に幸せだと言ってもいいくらいだ。だって、会う人会う人みんなが素敵な人なのだから。
ただ一つ残念なのは、『路線バスに乗って一人旅』の撮影が予定通りにいかないどころか、なくなってしまうかもしれないことだ。出演者の僕がいないのだから仕方がない。映画の方も出演者だけれど、撮影はまだまだ先なのが幸いした。監督チームは、こんな時だからこそ、粛々とイギリスでやるべき事をこなしてくれているだろう。監督は、きっとそういう人だ。
それならば今の僕にもできる事はある。この辛い経験を、来るべき容疑者の役をリアルに演じられるように、五感を集中させるのだ。考えようによっては、こんな貴重な経験をさせてもらっているのだから。
留置所だか拘置所だか、その違いすら分からないし、イギリスと日本ではシステムも違う可能性は高い。それでも容疑者心理は同じだ。なので、この底知れぬ不安を体験することで、さらに演技に深みを出せると思う。
これまでに演じた容疑者の役で、納得がいかなかったとかダメ出しがあったわけではない。今考えると、渡された台本通りに用意されたセットの中で監督の指示のもと忠実に演じていただけだ。だけど、次にそういう機会をもらえたなら、監督のカットの声がかかるまでは、心から容疑者になれるに決まっている。そしてそれを観た視聴者や観客は、あたかもその中にいるかのように錯覚してくれるかもしれない。
その時には、この悲惨な体験が良い思い出にすり替わっていることだろう。このような素晴らしい経験なんて、お願いしてできるものではないのだ。と、満足したところで、2日目の眠りについた。
3日目の朝は、もちろんやって来た。就寝前に自らを奮い立たせられたので、不安を払拭できたように錯覚していたが、そうでもなかったようだ。精神的にも身体的にも余裕ができて、いつものように朝起きるのが辛いかもと思っていたが、やはり心の奥底には大きな不安が残っているのだろう。あっさりと起きてしまう。
それでも、睡眠と食事はきちんと取れている。まだまだこの辛い現実には耐えられるだろう。いや、まだまだは嘘だ。確実に一週間とか決まっているなら、指折り数えて一週間くらいなら大丈夫だろう。だけど、先の見えない今の状況では、一週間後の自分が正気を保てられているのか自信がない。勾留期限というのはあるとは思う。日本の法律すら知らないのに、イギリスの法律なんて知る由もないのだ。そういうのを含めて、真剣にこれからを弁護士さんに相談してみよう。
ただ、証拠不十分の不起訴なんて、僕は望んでいない。疑わしきは罰せずだと、僕の仕事では罰せられているのと同等なのだ。だから、僕が無実だということを、世間の人にはきちんと理解してもらわないといけない。絶対に妥協はしない。
不当な扱いにまだまだ屈しないと決意して、今日も僕は通訳さんと弁護士さんと共に取調室に入ろうとした。すると、やはりと言っていいのか、ドアの前で大使館員の人が待ってくれている。2日連続の徹夜か眠ったにしても2、3時間というところだ。出で立ちは最初に会った時と同じだし、髪はボサボサで、無精ひげは昨日よりもさらに伸びているから、おそらくそうだろう。それでも、爽やかに挨拶をしてくれ、全く悲壮感がないのだ。元気をもらい勇気づけられたのは言うまでもないだろう。
そして、3日目の取り調べが始まった。どうせ昨日一昨日と同じことが繰り返されるのだろう。それでも、取り調べを担当していた刑事は、僕の主観とはいえ僕の無実に傾きかけているのはプラス材料だ。釈放とまではいかなくても、世間話などをして精神的な苦痛は和らげてくれるかもしれない。
と、思っていた僕の予想は裏切られる。なんと、昨日までの刑事に代わって、別の刑事が担当になっていたのだ。これだけでも僕をがっかりさせるのには十分だった。さらに、失礼を承知で言わせてもらうと、その刑事は、どちらかと言えば捕まる方の容姿及び雰囲気がある。そしてその容姿及び雰囲気そのものの行動を起こした。
僕が着席したかと思ったら、いきなり僕の胸ぐらを掴んで何か言い放ってきた。僕は無抵抗だ。恐いというよりは何が起こっているのか理解できないに近かったと思う。ただ、ほんの僅かの時間だったが。俳優の仕事で会得した防御術が無意識に出て、刑事の手をあっさり振り払ったとかではない。
優しい顔立ちをしている弁護士さんだけでなく、華奢な通訳さんまでもが、鬼の形相でその刑事の腕を掴み何か言ってくれたのだ。刑事も驚いただろうが、僕も驚く。悪い驚きと良い驚きの違いはあったが。驚いたからか気圧されたからかは分からないが、強面の刑事は力なく僕を放し大人しく椅子に座った。
彼らの会話は僕には全く理解できなかった。だけど、ある意味完璧に理解できたとも言える。だからこそ、涙が出そうなくらい嬉しかった。なのに、弁護士さんと通訳さんは、さも当たり前の事をしたんだというような顔をして、自分たちの仕事に取り掛かる。
僕には後方で支えてくれる仲間がいるばかりか、この最前線でも一緒に戦ってくれている仲間がいたのだ。今さらながら気づき、僕は負けない確信を持てた。
僕の……いや、僕たちの毅然とした態度は、強面の刑事に大きな影響を与えたようだ。早々に警察側に何らかの過ちがあったのではと感じ、取り調べが終わる頃には、僕が無実である証拠を必死に探してくれていた。
だけど、それでも、にもかかわらず、まだ無罪放免とはならなかった。




