勝った……のか
ただ、作戦はまだまだこれからだ。降車ボタンの音で一瞬だけ警戒したテロリストたちだが、何も起こらない時間がしばらく続いたおかげで、元通りのリラックスモードに入ってくれた。その反面、僕たちの緊張は徐々に高まっていくので、僕はあまり引っ張りたくない。だけど、塚谷が僕の肩を離さない。もう少し待てということなのだろう。何事もなかったかのように、僕はテロリストの言う通りにバスを走らせる。
10分は経っただろうと思って時計を確認すると、1分も経っていなかった。もしかすると、一番緊張して一番焦っていたのは、僕だったのかもしれない。本当に塚谷がそばにいてくれてよかった。
そしてどれくらい経ったのだろうか。忘れてたころと言えば無責任に聞こえるかもしれない。実際には無理をして頭の片隅に追いやっていただけだ。意識的にとはいえ、僕がそれに成功していたくらいだから、テロリストたちは無意識にすっかり忘れていたに違いない。塚谷の手に力が入ったと思ったら、すぐに僕の肩から離れた。
作戦の第二段階に入る時だ。ずっと点いていた降車ボタンのランプを、手元のスイッチでさり気なく消すのだ。だけど、それだけでは何も起こらない。万が一でもテロリストたちに不信感を抱かせるわけにはいかないのだから。
かといって、作戦は着々と進行中だ。この作戦を理解している者のみんなの感覚を一致させないといけないのだけれど、僕には根拠のない自信があった。シンプルでも難しいというのは多々ある。これが、そうだ。僕たちはゆっくりと100を数える。口に出さずになのは言うまでもない。なので、数えるのが遅い人に備えて、僕だけは105まで数える。数え終わった人はずっと力を入れておかないといけないが、なんとか圏内だろう。
僕は、ブレーキペダルを全力で踏んだ。バスとパトカーとの間は十分に空いているし、パトカーがその間に一般の車を入れないようにしてくれていたので、追突されることはなかった。これで車同士の事故を起こさないという、最低限の目標は達成できた。ただ、気を配らなければならないことが、ここからが目白押しだけれど。
急ブレーキによってバスが一瞬で止まるのは、なかなかの衝撃だった。知っていても踏ん張りきれないかもしれないのに、知らない人もいるのだ。だからって、ほっとくような真似をする人たちではない。小野さんは体を張ってエリザベスのクッションになってくれ、健二さんはディレクターを左腕一本で支えてくれたのだ。
後で聞いた話だけど、ディレクターも何が起こるかは知っていた。言えばいいのに、隠れ『名バス運転士ホームズ』ファンだったのだ。同期のライバルが『名バス運転士ホームズ』の担当なので、観たことがないと言い張っていたらしい。ひなちゃんが降車ボタンを押した時に言おうか迷ったが、テロリストたちに怪しまれる危険を冒してまで言う必要はないと判断したと。ディレクターが何か一言くらい話したとしても、テロリストたちは何とも思わなかったかもしれない。だけど、ディレクターの判断は正しかったような気がする。最初で最後のチャンスに、ささやかな失敗やタラレバなんて許されなかったのだから。
というわけで、健二さんとディレクターは、次の行動にすぐに移れる状態だった。ひなちゃんも動ける状態だったが、テロリストたちをどうこうするわけではなく、小野さんとエリザベスの介抱に向かう。なので、言うまでもなく、バランスを崩し隙だらけのテロリストたちに向かってくれたのは、健二さんとディレクターだ。
健二さんは、電光石火のごとくテロリストの一人をあっさりと仕留めてくれた。そのテロリストに、ディレクターが馬乗りになり背後から手をキメる。そんなに強くないディレクターでも、健二さんの一撃でフラフラしていたテロリストを、警察が来るまでの10数秒間押さえるくらいは容易だ。
その間に、もう一人のテロリストは、体勢を立て直したが銃を再度手にする余裕まではなかったのだろう。向かってくる健二さんに殴りかかる。だけど、健二さんは強い。テロリストのパンチを華麗にかわし、カウンターの背負い投げで仕留めた。
もしテロリストが銃を持っていなかったなら、最初にバスに乗って来た時に、健二さん一人で3人をやっつけられたに違いない。僕は健二さんの強さを知っていたからこそ、この作戦を実行する決断ができたのだ。
ただ、テロリストはもう一人残っている。距離的に、健二さんは間に合わない。僕がなんとかしないといけないし、そのつもりだった。なのに、焦ってしまい、運転席から出るのに手間取ってしまったのだ。バスの最前部まで吹っ飛んでいたテロリストが、怒りの形相で戻ってくる。向かう先は、あろうことか塚谷だ。
塚谷を人質に取り、形勢逆転を狙っているのが見え見えだった。でも、焦っている僕はなかなかシートベルトを外せない。塚谷も理解したのか反射的になのか、逃げようとする。が、テロリストが早かった。が、テロリストの運は尽きる。遮二無二に暴れる塚谷の右肘が、テロリストの眉間に鮮やかに突き刺さったのだ。
しかし、テロリストも必死だ。なんとか堪え、再度塚谷を捕まえようとする。が、僕のシートベルトがやっと外れた。僕が塚谷を守る。速攻でテロリストと塚谷の間に割って入ろうとしたその時、バスが止まった時に僕が開けておいた前の扉から、警察が現れた。
警察は、テロリストが降参する間も与えず乱暴に捕まえ、床に押し倒し手錠を掛け、バスの外に引っ張っていった。しかし、僕は全く安堵しない。なぜか、僕もテロリストと同様に扱われたのだ。
無抵抗だったので、あからさまな暴力は受けなかったと思う。ケガもしていないだろう。全くの予想外のことだったので、自分に何が起こっているのか分からないというのが正直なところだけど。ドラマでもされたことのない手錠を掛けられても、なぜか他人事のようだ。
良くいえば、余裕があった。なので、客観視できる。健二さんにのばされた二人のテロリストは、目出し帽を被っていなかったこともあり、自分たちはただの乗客だと訴えていた。だけど、警察は有無を言わさず連行していくのだ。僕も人質の一人だと訴えたところで、どうせ信用されない。皆の証言で、すぐに僕がテロリストとは何ら関係がないと分かってもらえるはず。ほんの少しの辛抱だ。
しかし、皆の訴えかける声はなぜか無視され、泣き叫ぶ塚谷の声を背中に浴びながら、僕はとうとうパトカーに乗せられてしまった。もちろん僕は無駄な抵抗はしない。警察は、状況的に怪しいと判断しただけで、警察署で落ち着いて話せば、ものの数分で解放されるに決まっている。
だって、僕は何一つ悪い事をしていないのだ……。いや、もしかして、日本人の僕がイギリスの公道でバスを運転したのは、重大犯罪だったのだろうか。致し方ない状況で無理やり強制に近かったとしても。ポケットに入っている一応念の為に取っておいた国際免許証を見てくれたら、即解決なのでは。だけど、それなら、最初から免許証なり身分証明書なりの提示を求めてくるはずだ。
僕がテロリストと疑われているのは間違いない。テロリストと言えば、世界共通の明らかな凶悪犯だ。警察署で落ち着いて優しく話してくれるのだろうか。テロリストだと決めつけて、威圧的に振る舞われるかもしれない。果たして僕が話すことを信用してくれるのだろうか。パトカーに乗せられてすぐの時と違って、警察署が近づいてくるごとに、僕は勝手に不安になってきた。
この事件のニュースが日本で報じられているなら、僕の俳優人生はおろかバス運転士に復帰することすら難しくなるのでは。いや、それ以前に、冤罪で有罪になってしまったら、イギリスで服役なのだから、日本に帰れなくなる。
僕得意のネガティブシンキングが始まってしまった。なのに、そばに塚谷がいないなんて。僕は再び塚谷に会えるのだろうか。僕の中の最後の塚谷との思い出が、泣き叫ぶ塚谷だなんて嫌だ。僕は何を言ってるんだ。四六時中笑顔の塚谷のイメージを、泣き顔の塚谷で侵食させてなるものか。
僕は何も悪い事はしていないじゃないか。誤解が解ければ、すぐに笑顔の塚谷に会える。塚谷の事を考えたおかげで、いつしかポジティブシンキングなっている。と自覚したところで、警察署に着いたようだ。そうだ、警察署ではなくて、シャーロックホームズに因んで、スコットランドヤードと言うべきか。
うん、まだまだ僕は大丈夫だ。決して虚勢を張っているわけではない……と思う。




