腹をくくる山田ひろしの後押しは塚谷美樹
「ねえ、シャーロックホームズを知ってる?」
ずっと従順に運転していた僕がいきなり話しかけたので、テロリストは見るからに一瞬虚を突かれたかのようだ。だけど、内容が心配するような事でもないし、自分たちはもう安全だと確信しているのだろう。すぐに取り澄ます。さらに、余裕からか、ちょっとくらい付き合ってやるかという雰囲気をあらわにする。
「もちろんだ。ここは、ホームズ生誕の国なんだからな」
「そうだよね。イギリス人なら、知っていて当たり前だよね。実は、僕はホームズなんだ」
「何言ってんだ? お前は頭がおかしいのか?」
そう言うと、テロリストは僕を小馬鹿にするかのように、必要以上にまあまあ大きい声で笑った。すると、後方で僕の仲間を監視している別のテロリスト二人が何事かと反応する。
「おいおい、どうした?」
「どうやら、このバスを運転している奴はホームズらしいぞ。どう見ても東洋人なのにな」
「なんだそれ。もしかしたら、俺たちを脅してるつもりなんじゃないのか? ああ、こわいこわい」
そんな会話を大声で交わしながら、テロリストたちは笑い合っている。だけど、一番笑ったのは、実は僕だったのだ。もちろん心の中でだけど。きちんとした理由がある。『僕がホームズ』であるということを、いかに皆に知らせるかが難しかったのだ。
おもいきって大声を出したり、わざわざ備え付けのマイクを使うのは、どう見ても不自然だ。僕がイギリスの赤い二階建てバスに憧れていたとか言ったところで、テロリストたちは疑惑や反感を持つに違いない。
見切り発車に近かった僕に、テロリストたちは無意識に加担してくれた。風向きが明らかに変わった瞬間だ。
後は、『僕がホームズ』の真意を知る由もないテロリストやエリザベス以外の皆が、特にひなちゃんが理解してくれるように祈るだけだ。ひなちゃんなら、きっと僕の期待に応えてくれる。悲しいかな、バスジャックに巻き込まれるのは二回目で、ドラマでの経験も足せば、三回目なのだから。
ここで急に黙るのも怪しまれかねない。もう少しテロリストと話しておこう。テロリストたちが少しでも僕を疑っていないか知りたいし。
「シャーロックホームズ役を演じたことがあるんだよ。一応これでも日本の俳優だからね」
「ちょっと大きなカメラで何か撮影していたから、そうなんだろうな。どうでもいいけど」
よし、これでテロリストは何ら疑っていない。『僕がホームズ』の真の意味を。
僕の合図がうまく伝わったかどうかの不安を抱えながら、バスはたくさんのパトカーを引き連れて淡々と進んでいた。なのに、僕とは対象的にテロリストたちには余裕が見受けられる。よほど逃げ切れる自信があるのだろう。
テロリストたちに神が微笑み、計画しているように事が運ぶと、僕たちはどうなるのだろうか。お金目当てだとして、要望通りの金額を手に入れたとしても、僕たち全員を無事に解放する保証なんてどこにもない。それに、手っ取り早く交渉をするために、僕たちの誰かを殺す可能性だってあるのだ。
イギリスの警察の方針が、テロリストとは基本的に交渉しないだったら、結果として僕たち全員が……。いや、警察がそうでも、健二さんは地位も名誉も捨てて個人で交渉するかもしれない。なにせ、ここには、ひなちゃんがいるのだ。テロリストたちが調子に乗って100億でも200億でも、いや1兆円を要求したとしても、ひなちゃんのためならなんとかするのではと思わせてしまう。実際には、そんな非現実的な要求なんてしないのだから、何億円かなら、健二さん一人で用意できるだろう。
思いついた作戦がうまくいかなかった場合のことを、僕は本当によく考えたのだろうか。失敗したなら、逆上したテロリストたちが見せしめに……。
テロリストなんかと交渉したくないというのは本音だ。だけど、このバスに乗っている乗客全員が無事に解放されるためならば何でもするというのが、もっと本音だ。実際に、3人のケガ人を助けるために、一度交渉をしてしまった。そして、テロリストたちは応じた。それにその時、テロリストたちは命を奪うことに少しばかり躊躇いを見せたのだ。根気よく臨んだ方が、より良い結果になるのでは……。
この期に及んで葛藤している僕の肩を、僕の作戦は間違っていないと言うかのように、塚谷が握ってくれた。一瞬にして迷いが吹っ切れる。と同時に、降車ボタンを押した音が、バスの車内に鳴り響いた。
これは『名バス運転士ホームズ』の中で、ひなちゃんが出演した回の話をそのまま使わせてもらうことにした作戦なので、このドラマに携わった人たちは理解してくれたのだ。なので、エリザベスとディレクター、そして何よりもテロリストたちは、子供のひなちゃんがいたずらしたものだと思ったに違いない。
健二さんは分かったうえで、簡単にひなちゃんを叱りつつ、意味ありげにディレクターの膝をさり気なくポンポンと叩いた。リカさんも、エリザベスの膝を優しくそっと叩いて、何かが起こると教えている。テロリストがすぐ近くにいるので、説明なんてできないのだから、これが限界だろう。その時が来たなら、健二さんがディレクターを、リカさんがエリザベスをフォローしてくれるに違いない。エリザベスは日本語が分からないし高齢なので、特にリカさんの負担は大きいが、僕は皆を信じてブレーキをおもいっきり踏むのみだ。
そう、ブレーキをおもいっきり踏むことによって、立っているテロリストたちが一瞬でもバランスを崩したところに、奇襲をかける作戦なのだ。幸い、テロリストたちは油断しているのか、銃をポケットにしまっている。凶器を持ってないテロリストたちを押さえこむのは、僕たちにはそれほど難しくない。なんといっても、健二さんがいるのだから。すぐ近くにいる警察が来てくれるまでの、ほんの十数秒なら、テロリストたちを無効化できるに決まっているのだ。




