山田ひろし(山田広志)、初めての二階建てバスの運転
予想に反して、テロリストたちはケガ人を慎重に優しく降ろしてくれた。ケガ人たちは気を失ったままだ。テロリストたちは、それからすぐに電話をしている。救急車を呼んでくれていると期待しよう。万が一テロリストたちが救急車を呼んでないにしても、路上に3人も倒れていたなら、通行人が呼んでくれるだろうけど。もしくは、僕たちの荷物を積むためにチャーターした車が、バスのすぐ後ろに待機しているので、彼らが適切な処置をしてくれるはずだ。それでも、救急車を呼ぶのは、1分1秒でも早い方がいい。特に明らかな重傷を負っているイギリスのバス運転士は。
テロリストたちが3人のケガ人を降ろし終えて、再びバスの中で大きな態度に出るまでは、幸か不幸か通行人はいなかった。僕たちのチャーター車からも、様子を見るために誰も降りなかったので、僕は内心安堵する。もし誰かがこの異常事態に面していたなら、犠牲者が増えた可能性が高いからだ。
後は、このバスを動かしさえすれば、チャーター車がケガ人に気づき何らかの応急処置をしてくれるだろう。ということは、チャーター車はバスについてこれなくなる。心細くはあるけれど、テロリストたちを刺激したくないので、結果オーライかもしれない。
まずは、テロリストたちが約束を守った。ここからは、僕がテロリストたちの要望に応える番だろう。
「ひろしさん、よかったですね。念願のロンドンの赤い二階建てバスを運転できるなんて……じゃなくて、ケガ人の方たちを解放できて」
塚谷の発言は、僕をリラックスさせようとするためだろう。こんな悲惨な形であれ、確かに、このロンドンで赤い二階建てバスを運転できるなんて……いや、今は喜んでいる場合ではない。みんなが無事に解放されて、そして何事もなく日本の土を踏みしめた時に喜ぼう。
テロリストたちの気が変わらないうちに、僕は運転席に座った。そのすぐ横に、通訳をしてくれる塚谷が、僕を守るかのように立ってくれる。尊敬すべきイギリスのバス運転士の血にまみれたテロリストの一人が、いつの間にか目出し帽を被って、塚谷のすぐ横に陣取っている。
ケガ人を降ろして戻ってきた二人のテロリストのうち、一人は僕の仲間たちの方へ行き、一人は二階に上がっていった。おそらく、他に乗客がいないか確認をしに行ったのだ。すぐに一人で戻ってきたので、僕たち以外には乗客はいないようだ。
その間に、僕と塚谷以外のみんなは、一番後ろの座席に誘導されていた。もちろん誰も抵抗しない。今は我慢する時だ。そして、端から順番に、ひなちゃん、ディレクター、健二さん、小野さん、エリザベスという並びで座る。健二さんは本当なら、ひなちゃんを守るためにすぐ横に座りたいはずだ。だけど、今の健二さんはみんなを守るために、あえて自分がテロリストの正面になることを選んだに違いない。やっぱり健二さんはかっこいいと、改めて思う。自分の事しか考えていない僕は、見習うべきだけれど、今は自分ができる事を精一杯しよう。
全員が配置に着いたところで、テロリストのリーダーらしき奴が、血まみれテロリストに何か言った。その血まみれテロリストは、塚谷に短く何か伝える。その何かは僕でも理解できたので、僕はバスを発車させた。
発車してすぐにバックミラーで降ろされたケガ人を確認すると、やはり僕たちのチャーター車がすぐ横で止まってくれた。ケガ人たちにとっての最善策をとってくれるだろうから、今の一番の懸案事項は解決されたようだ。その反面、ここからはどのような展開になるのか、予想するのは困難だったが。
明らかに東洋人の僕が、土地勘もなくイギリスの道路事情に詳しくないくらいは、テロリストは理解しているのだろう。早め早めに事細かく指示を出してくるので、僕は運転に集中できた。それで、僕が言っていたことは嘘ではなかったと、テロリストは安心したようだ。自信はあったが、僕も安心する。運転に関しては。
不安要素はいくらでもあるのだ。これから僕たちはどこへ行くのだろうか。『路線バスに乗って一人旅』の撮影は、いや、企画自体がなくなるのだろうか。警察はどのようにして僕たちを助けてくれるのだろうか。と、心配していると、ふと、考える余裕はあるのだなと冷静な僕が顔を出してもいた。
そもそも、このテロリストは、いったい何をしたいのだろうか。乗ってきていきなり、僕たちの大切なカメラマンを襲撃するなんて、はっきり言って大胆すぎる。無計画なのではと疑うほどだ。テロリストに寄り添うつもりはないが、成功するとは思えない。強いて言えば、僕たちの度肝を抜くには効果的だったが。
イギリスの勇敢なバス運転士の行動だけは、想定外だったはずだ。彼が行動を起こさず負傷していなかったなら、テロリストたちはすぐにバスを発車させていたのだろう。だからって、僕たち以外にはたまたま目撃者がいなかっただけで、警察に知られるのにさほど時間を要しない。逃げ切るのは至難の業だ。
僕たちが撮影をしているのを見て、日本の芸能人を誘拐すれば身代金をたくさん手に入れられると、短絡的に考えたのだろうか。タレントではないカメラマンの二人を痛めつけたことからも、おそらくそうだ。それなら、ほぼ思いつきの犯行なのではないだろうか。僕たちの撮影は昨日からだ。昨日から計画していたにしても、せいぜい丸一日しか策を練っていない。冷静に考えたら、刑務所に入るか射殺される危険もあるというのに。
テロリストたちの意図を考えている場合ではなかった。運転に集中しないと事故に繋がる。普通にバスを運転していて事故を起こしても、周囲や乗客に多大な迷惑をかけるというのに、今回はテロリストが逆上するというリスクまでが追加されてしまうのだ。
初めての街で初めてのバスの運転に、僕は集中力を高めた。しばらくすると、予期していたことが起こる。一台のパトカーが、僕の運転するバスの背後にピタリとつけたのだ。ロンドンのバス会社が呼んだのか、もしくは僕たちのチャーター車に乗っていたスタッフが通報してくれたのだろう。てっきり覆面パトカーで来ると思っていたのに、いかにもな白黒パトカーで来たのだけが意外だった。




