ドーナツは万国共通
せっかく楽しんでいるので、みんなのことは、しばしそっとしておいて、僕と塚谷がエリザベスの相手をすることにした。エリザベスには、まだまだ聞きたい事があるし、言葉では表せられない魅力があるのだ。
「ねえ、エリザベス? 美樹から聞いたんだけど、イギリス中の美味しいドーナツ屋さんを知ってるって、本当なの?」
「本当よ。だって私はドーナツが大好きだもの。生まれ変わったら、ドーナツ屋さんの一人娘になりたいくらいなのよ。この気持ち、ミキは分かってくれるわよね?」
「分かる分かる。もおー、幸せを独り占めって感じだもんね」
「やっぱり、ミキね。わがままに聞こえるでしょうけど、ドーナツを目にすると、自分を抑えるなんて人間業じゃないもの」
「そうそう。ドーナツがあると、冷静でいられなくなるというか、体が勝手に動いてドーナツを無意識に捕まえてるんだよね。そして、いつの間にか幸せな気分に包まれてるんだよね」
ドーナツの魔力……ではなくて、ドーナツの神の力は万国共通ということなのだろう。
ドーナツの話をしていると、エリザベスと塚谷の頭の中が、いつしかドーナツで埋め尽くされていたようだ。僕のことはおろか周りが全く見えなくなっている。正式な出演者ではないが、我に返らせた方がいいのだろう。
「美樹!、エリザベス!……」と呼びかけた僕は、結果として、独り言になってしまった。さらに話しかけるのは明らかに意味のない行為だろう。時すでに遅しというやつだ。
二人は、完全にドーナツに乗っ取られていた。塚谷もエリザベスも一人でいたなら、ここまでにはならなかっただろう。だけど、まるでドーナツ教の信者かのような二人の意思が同化したような状態では、何を言っても無駄だったのだ。
僕がしばし待てば済む程度のことだ。それに何より、せっかく幸せな気分でいるのだから、邪魔するのは無粋であり僕のポリシーに反する。ということで、僕もしばしバスに揺られて幸せな気分に浸ることとなった。
幸せだと時間が経つのが速く感じるものだ。感覚的には瞬き一つ二つしたと思ったら、誰かに呼ばれていた。バスの精だと思うほど子供ではないので、きっと人間が呼んでいるとは理解する。と言っても、すぐに返事できるほどの注意力は戻っていない。
「ひろしさん、ひろしさん、ひろしさん……」
「…………」
「ひろしさん、いつまで得意のボーっとをしてるんですか。一応、仕事中なんですからね」
「ああ、そうだったね。楽しすぎて、ついつい自分の世界に入ってしまったみたい。美樹なら分かるでしょ?」
「まあ、分かる分からないは、今は言わずにおきますよ。そんなことよりも、エリザベスが言うには、次のバス停近くに美味しいドーナツ屋さんがあるみたいなんです。どうしますか? 降りますか? 降りますよね? 降りないといけないんじゃないんですか?」
塚谷とエリザベスが訴えるように僕を見つめているのに、降りないなんて言えるはずがない。ひなちゃんだって楽しみにしているのだ。番組的にも変化があった方がいいし。答えは分かりきっていた。
「降りるし、ドーナツ屋さんにも行こう。だけど、まだまだ先は長いんだから、ドーナツを買いすぎないようにしてね」
「は、はい……。今から番組名を『イギリスのドーナツを限界まで食べる』に変えれませんかね?」
「みぃきぃー」
「冗談じゃないですか。ねえ、エリザベス」
半分以上本気なのは、塚谷の目が語っていた。日本語が分からないはずのエリザベスの目も、なぜか同様に。
バスを降りると、エリザベスの案内で、僕たちはこの旅最初のドーナツ屋さんにまっすぐ向かった。おそらく、僕だけは、漠然とした大きな不安を抱えていただろう。撮影中なので、平静を装うが。
平静を装うと同時に、僕たち出演者は番組の撮影というのもあり、カメラを意識しながら行動していた。しかし、出演者ではなくスタッフでもないドーナツ好きの二人は、良くも悪くもカメラなんて気にしなくてもいい。塚谷はもちろん、エリザベスまでも高齢者らしからぬ勢いで歩いていく。
そんな二人をさり気なく目で追いながら、ドーナツ屋さんの場所を知らない僕たちは、ぎりぎりはぐれないように後を追う。そして無事にドーナツ屋さんに着いた時には、塚谷とエリザベスの手にあるドーナツが半分になっていた。何も聞いてないのに、言い訳を始める。
「こ、これは違うんです。一つのドーナツを半分こにしたんですよ。ね、ねえ、エリザベス?」
日本語で言い訳をしている塚谷に、さすがにエリザベスが話を合わせるのは不可能だ。なのに、心で通じ合ったようで、エリザベスはこれでもかというくらいに頷いた。
「じゃあ、二人でもう一個買ってもいいよ」と、僕は笑うのを堪えながら言うしかなかった。本当のところは、ここにいるみんなが知っているだろう。だけど、異議を唱えるものなどいない。
エリザベスおすすめのドーナツをみんなが選んで、代金は財布係の僕がまとめて支払った。健二さん、ひなちゃん、リカさん、塚谷、エリザベス、僕の6個分のはずが、言うまでもなく7個分を請求されたが。この事だけでも、二人を問い詰めには十分だろう。一つのドーナツを半分に割って二人仲良く嬉しそうに頬張っている姿を見て、例え冗談でも責める気にはならないが。
とりあえずドーナツを買うという目的は果たしたので、またすぐにバスに乗りたい気分があった。好き勝手してもいいとは言われているのだから、反対する者などいないだろう。とはいえ、番組だとは理解しているつもりだ。バスにばかり乗っていると、代わり映えしないのは言うまでもない。なので、このまましばらく街中を散策することにした。
美味しいドーナツは光の速さで食べられてしまったので、ドーナツに関するコメントは美味しさに反比例して極小に終わった。これと言ったダメ出しもなく、散策開始だ。出演者の4人が率先して、名もない小綺麗な街中をいろいろ話しながらぶらぶらすると、付かず離れずで、カメラに映ったり映らなかったりで、塚谷とエリザベスが付いてきていた。
異国というのもあり、見るもの聞くものすべてが新鮮だ、とありきたりだけど心から感じている。とはいえ、芸能人としての仕事をこなしながらも、僕は策を練っていた。そう、バスが僕の頭の中から外れるはずがないのだ。僕の考えでは、何も考えずに歩きたまたまバス停にたどり着いたなら、そこでバスに乗るだ。いたってシンプルだ。
もしバス停に巡り合わなかったなら、延々と歩く羽目になるかもしれない。それはそれで、番組的には使う所が増えるので歓迎だろうか。だけど、僕がバスに乗りたいと思う執念は大したもので、そこそこ撮れ高ができたところで、バス停がお迎えしてくれた。
話しながらだというのもあり、ゆっくり歩いたので全くと言っていいほどに疲れていない。みんなも特にエリザベスが全く疲れていないように見える。バス停は本当にちょうどいいタイミングで現れてくれたのだ。僕の思いが通じたのか、バス停が優しいのかは、知るすべがないが。だけど、一応確認するべきだろう。もちろん、体調を。




