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路線バス運転士俳優山田ひろしの常識  作者: バスバスキヨキヨ


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イギリスの老婦人

 わくわくしながらバス停で待っていると、最初のバスは期待していた通りのあの赤い二階建てバスが、まさに威風堂々と参上した。感動している僕とおそらくリカさんも、ここでしばらく余韻に浸りながらこのバスを眺めていたいところだ。

 だけど、そこまでバスに興味のない人たちはサバサバしたもので、さっさと乗り込んだ。まあ、当たり前の行動でもある。ただ眺めていると、乗らないのかと思われて、バスが行ってしまうかもしれないし。僕たちのためだけのバスではないのだ。なので、平静を装い、僕もバスの乗客になった。向かうは、二階の最深部だ。

 番組の撮影中だというのに、めいめいが思い思いの独り言を発しながらバスの中を移動したので、会話なんて成立しない。そのまま目指す座席に着くことになった。すると、確信犯的にさり気なく、塚谷までがカメラに映るであろう席に着く。

 塚谷も舞い上がっているのだろう。気持ちは分かるが、塚谷は演者ではないので、誰かが言ってあげないといけない。

「美樹、そこはカメラに映るでしょ」

 僕は、番組のためを思い、良かれと思って注意した。なのに、スタッフを含む全員にこれでもかというくらい恐ろしい目で睨まれている。全員が塚谷の味方だと実感した僕が、孤軍奮闘なんてするわけがない。

「楽しいねえ。今日は、一日中、ロンドン市内をただひたすらバスに乗るっていうのはどうかなあ?」

「さんせー」

 何事もなかったかのように、そして誰にという感じもなく意見を求めたつもりだった。だけど、スタッフを含む全員が、まるで子供に帰ったかのように反応してくれたのだ。ちなみに、ひなちゃんは子供らしくだ。

 序盤からこんなにも楽しくていいのだろうか。ここまで楽しいと、逆に僕のネガティブな部分が突如として顔を出してしまうかもと考えると悲しくなってしまう。その結果、楽しかったはずなのに悲しくなるなんてと、ネガティブスパイラルに陥ってしまうのだ。

 こんな時のために、塚谷は堂々と出演者に混ざってくれたのだろうか。そうだと信じて、再度、塚谷を見た。そのタイミングで、バスがすごく丁寧に止まる。次のバス停に着いたのだろう。

 まだ降りるつもりはないのに、なぜだか塚谷は立ち上がり、前の方へすたすたと歩いて行った。停車中を利用して、バスの中を詳しく見学したくなったのだろうか。自由だなと思ったが、微笑ましくもあり、僕は目で追う。

 そのまま塚谷は一階まで下りてしまったのだ。一階までじっくり見学するまでの時間はないので、塚谷は次のバス停までは一階の席を堪能するのだと思うしかなかった。しかし、僕の予想は間違っていた。塚谷はすぐに上品なおばあさんと一緒に戻ってきたのだ。

 塚谷はバスの窓からバス停にいたおばあさんが見えていたのだろう。だけど、そのおばあさんが二階まで上がってくると、どうして分かったのだろうか。塚谷が無理やり二階まで連れてきた可能性も否定できない。おばあさんだけど、足腰もしっかりしているようだから良しとしておこう。おばあさんも笑顔だし。

 それでも、僕は塚谷にそれとなく聞いてみた。塚谷とおばあさんは、並んで僕のすぐ前の座席に座っている。

「こちらのおばあさんが、バス停から私に手を振ってたんです」

「そうなんだ。美樹は英語を話せたんだね?」

「日常会話に毛が生えた程度ですけど。おばあさんの英語はすごく聴き取りやすいから、私でもそれなりに会話ができそうですよ。試しに、美味しいドーナツ屋さんを知ってるか、聞いてみましょうか?」と塚谷が言ってすぐに、おばあさんが塚谷に何か話しかけてきた。僕は二人の会話をじゃましないように黙る。

「良い天気ねえ。何か良い事がありそうな気がするわ」

「そうですよねえ。私は、おばあさんと会った事が良い事ですよ。おばあさんは、これからどこに行くんですか?」

「どこって言われても、ただ散歩してるだけなのよ。ちょっとバス停で休憩してたら、ちょうどバスが来たから、ついつい乗っちゃったの。あなたはロンドンに観光で来たの?」

「そうですねえ。観光でもあり仕事でもあり趣味でもありますね。あっ、それから、おばあさんは美味しいドーナツを売ってる店を知ってますか?」

「もちろん知ってるわよ。ロンドン中、いえ、イギリス中の美味しいドーナツ屋さんを、私は知ってるのよ」

「おおー、それはすごい。実は、私たちは、はるばる日本から美味しいドーナツを食べにきたようなものなんですよ」

「それは本当なの? 気持ちは分からなくもないけど、日本にだって美味しいドーナツはあるでしょ?」

「はいっ! もう少し詳しく言うと、私の後ろに座ってるこの人がバス好きで、番組を作る名目で、イギリスのこの有名なバスに乗りに来たんです。だけど、他の人たちはそうでもないので、それで美味しいドーナツで釣ったんですよ。あっ、でも、そっちの女性も珍しくバスが好きみたいなので、また別の番組でロンドン交通博物館にも一緒に行ってくれるんですよね」

「番組、番組って、言われてみれば、カメラで撮ってるわね。あなたたちは何者なの?」

「申し遅れました。この人とその人とあの人は、日本で俳優をやってるんです。あの子はあの人の子供なんですけど、少しだけでもドラマに出たので、俳優と言ってもいいかな。ついでに言うと、この人はバス運転士でもあるんですよ」

「そうなの? 知らなくてごめんなさいね。ちなみに、この人は、あなたの恋人なの?」

「な、な、何を言ってるんですか!」

「こ、こら、美樹。いきなり、おばあさんを叩いたらだめでしょ」

 この上品で優しそうなおばあさんを、顔を真っ赤にした塚谷が、こんなにも激しく叩くなんて。いったい何があったのだろうか。おばあさんは怒ってないどころか、むしろ嬉しそうなので問題はないと思うが。

「だってえ、おばあさんが突然変な事を言うから」

「変な事って?」

「なんでもないです。そんなことよりも、おばあさんはイギリス中の美味しいドーナツ屋さんを知ってるんですよ。ということは、おばあさんを一緒に連れていけば、イギリスの美味しいドーナツを食べれるんじゃないですか?」

「いやいや、さすがにそれは無理があるでしょ。おばあさんは今から行く所があって、バスに乗ってるんだから。というよりも、何日も僕たちに付き合って家を留守にしたら、家族の人が心配するよ。ドーナツ屋さんの名前と大体の場所を聞いておいて、自分たちで探すのが精々かな。番組の企画的にも、ガイドの協力はない方がいいんだし」

「そうですけど……。でも、おばあさんは、ただ散歩してるだけなんですよ。それに、なんとなくですけど、私たちと一緒に行きたがってるみたいなんですよね。聞くだけ聞いてみてもいいですか?」

「まあ聞くだけだったらね。いや、万が一おばあさんがいいと言っても、家族の人が心配するよ。やっぱり難しいだろうね」

「それなら、家族の人もいいって言えば、一緒に連れていってもいいんですね?」

「うーん、そうだねえ。おばあさんだけでなく、美樹も家族の人と話さないといけないよ。そして少しでも不安があるようだったら、例えおばあさんが行く気満々でも、連れていかないからね」

「はいっ!」

 なんとなく話が進んでしまった。塚谷は本当にこのおばあさんと一緒にいたいのだろうか。美味しいドーナツ屋さんに迷いなく行きたいだけなのではないのだろうか。判断に迷うところだ。

 どうせおばあさんは一緒には来られないと思いつつも、一応、一応念の為にディレクターに確認をした。僕たちだけで決めていいことではないのだから、当然だろう。そんな気遣いをよそに、ディレクターはあっさりと快諾だ。それも、なんだか心持ち歓迎している。無料のガイドを雇えると、虫のいいことを考えているのかもしれない。

 基本的には行き当たりばったりとはいえ、初めての外国に不安があるのも正直なところだ。迷ったりにっちもさっちもいかなくなった場合には、地元のガイドがいてくれるのは心強い。

 しかし、一緒に連れていくとなると、金銭的負担が生じる。アマチュアガイドということで、ガイド自体はボランティアでやってくれるとしても、宿泊費用と飲食代をおばあさんに払わせるのはちょっと違う。僕たちの費用は監督チームから出ているので、やはり追加で監督に甘えるのだろうか。

 本来なら、この『路線バスに乗って一人旅』チームで負担するのが筋だ。おばあさん一人分だからといって、なあなあにしていいものではない。どうしても気になるので、参考までに聞いてみたくなってしまった。

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