完全復活
「じゃあ、そういうことにしておきましょう。でもそんなドラマみたいな事件が本当に起こるんですね。そしてそれをひろしさんが解決に導いたのなら、『名バス運転士ホームズ』とそっくりじゃないですか」
「そうだねえ。言われてみれば、似ている所もあったかも。助手役のリカさんが乗っていたら、本当にドラマの撮影だと勘違いされただろうね。まあ、それはそれとして、結構な大騒ぎになってたのに、リカさんはどこで何をしていたの?」
「どこで何をと言われても、それはいつのことですか?」
「あっ、そうか。えっとお……ドラマの最終回が放映された日だったかなあ」
「その日は……美樹ちゃん、その日は、私は何をしてたのかなあ?」
「美樹が知ってるわけないでしょ」
「私、知ってますよ。リカさんのスケジュール表が『重要』のハンコ付きで無理やり強制的に、私のデスクに置いてあるので」
「えっ、なんで? なんで、よその事務所のタレントさんのスケジュールが? 僕の知らない間に合併したの?」
「そんなわけないでしょ。私のスケジュールを知っておいてくれたら、いつ一緒に遊べるか分かると思って。それで本田さんにこっそりと置いてきてもらってるの。意味が分からないのは、本田さんがすごいしたり顔で、一番上に置いてきたとか言うことですけどね。一番見える所というのは分かるけど、一番上をそこまで強調しなくてもいいのに。不思議な人ですよ」
様々な書類や仕事道具が芸術的に積み重ねられた塚谷のデスクが脳裏に浮かんだ僕は、必死で頑張って笑うのを堪えた。それでも、塚谷が今どんな顔をしているのか、ちらりと見る衝動を抑えるのは難しかったが。
塚谷は、ただでさえ大きな目を見開き、何も言わず、威圧的に僕を見つめていた。デスクに関する話をするなと、はっきりと聞こえたような気がする。速攻でリカさんに助けを求めて話を戻すのみだ。
「それでも、その日にリカさんが何をしていたかなんて、美樹は覚えてないと思うけど」
「覚えてないですけど、スケジュール表の写真が携帯に入ってるから、すぐに見れますよ」と言いながら、塚谷は携帯を手に持っていたが、僕は話を戻したくなってしまった。塚谷が怒るリスクもあるが、どうしても気になったのだ。
「最初からスケジュール表のデータを美樹の携帯に送ればいいと思うんだけど。どうして本田さんは危険を冒してまでわざわざうちの事務所にこっそりと入って直接置いていくのかな?」
「私も、それが不思議で聞いたんですよ。本田さんが言うには、美樹ちゃんの成長を見ると、自分もまだまだ頑張ろうと思えるからだそうなんです」
「美樹の成長? そんな短期間で変わるものなのかな?」
「でしょう? それで、もっと詳しく聞いてみたんです。なんでも美樹ちゃんのデスクにスケジュール表を置くのは、果てしない挑戦なんだと。そしてそれ以上は聞くなと、背中で語ってました」
本田さんが言わんとしていることを、リカさんは分からないだろうけど、僕はどういうことか気づいてしまった。気づいてしまったが、詳しくは言わない方がいいのだろう。塚谷の名誉に関わってしまう。いずれリカさんも知ってしまうだろうけど、今ではないし、僕が話すなんてもっての外だ。
なので、今度こそ、塚谷のデスクの状況を知られる恐れのある話からは離れるようにしよう。
「まあ、本田さんの意思でそうしてるなら、問題ないかな」
「でも、本田さんがひろしさんの事務所の人に迷惑をかけてないのかな」
「それは大丈夫だよ。それに、本田さんは決してこっそりと行動しているわけではなさそうだね。まあ、美樹には見つからないようにしているだろうけど。美樹以外の事務所のみんなは、本田さんを固唾をのんで見守ってるかもしれないよ。本田さんはいいとして、それで美樹、あの日にリカさんは何をしていたの?」
僕は芝居で磨き上げた演技を駆使して、何事もなかったかのように聞いた。冗談でもニヤニヤすると、僕は塚谷に嫌われてしまうだろう。塚谷は僕の努力と気苦労を評価してくれたのか、僕を威圧的に睨むようなことはしなかった。少し顔を赤らめながらも、何事もなかった感を出して、淡々と答えてくれる。
「その日は、リカさんは行方不明になってますね」
「行方不明?」
「はい。スケジュール表には、そう書いてあります」
「そうそう。誰にも干渉されないように、行方不明になるんですよ。海外旅行に行ったり、自宅で何もしないでダラダラゴロゴロしたり、いろいろですけどね。この前の行方不明期間中は、確か手作りドーナツに大挑戦してましたよ。それで、自信作ができたから、ひろしさんに食べてもらおうと思って。ただ持っていくのもあれだから、どうせならひろしさんのバスに乗せてもらおうかなと。あー、思い出しましたよ。せっかく行ったのに、なんか物々しい雰囲気がそこかしこにあったから、後ろ髪を引かれながらもそそくさと帰ったんです。悲しい事は忘れるようにしているから、すっかり忘れてましたよ」
若い頃からメディアの前に出ていたリカさんならではの考えで、あえてスケジュール表には休みではなくて行方不明と記すのだろう。
世間の人に注目を浴びるようになった今なら、その気持は痛いほどに分かる。塚谷も理解してくれている。だからこそ、数多くあった仕事のオファーを断ったり延期してもらったりして、久しぶりの仕事をイギリスでとしてくれたのかもしれない。
ここなら、僕もリカさんも、単なる観光客のように振る舞っていられるのだ。それに、名目は仕事だけれど、大好きなバスに乗り放題なのだから、最高のリハビリになるはずだ。
自ら「リハビリ」という言葉を出したということは、やはり僕はまだ完全ではないのだろう。そしてそれを分かっている塚谷とリカさんは、僕のためにあの手この手で協力してくれている。二人、いや、健二さんとひなちゃんを含めた4人の気持ちを、僕はここにきてやっと理解できた。
明日からの仕事は、必ずや成功に導けると、無意識に自信が湧いてきた……なんて硬い言い回しは却下しよう。
最高に楽しくなりそうだ。
イギリス滞在中に、監督チームはこの最初のホテルに連泊するが、僕たち『路線バスに乗って一人旅』の特別版チームは泊まるホテルが毎日違う。さらに、僕たち出演者自らが手配しないといけないのだ。それも楽しみであり番組の見どころでもある。
だけど、最初のホテルを出発した時は、僕の頭の中にはバスしかなかった。
最初のホテルを出ると、大きな荷物を持ちながらの撮影は不便というか考えられないので、まずは、それ用にチャーターした車にそれぞれの荷物を積んで、さらにスタッフの一人が乗った。僕たちが乗ったバスの後ろから撮影するためだ。これで僕たち出演者をすぐ近くで撮るカメラマンが一人減ってしまった。と思ったが、チャーター車に回ったのはアシスタントディレクターの人で、正規のカメラマンは2人とも残ると知って安心する。そのうえ、なんと、ディレクターさんまでもがカメラマンを兼任すると聞いて、少なくとも僕は驚かされた。
これが当たり前なのかもしれない。前回出演した時はどうだったか、正直言って記憶がおぼろげだ。前回はドラマ以外のテレビ出演が初めてということもあり、そこまで観察をする余裕もなかったし。
僕の記憶なんて、さほど重要ではない。今は、ただただ、スタッフさんたちの貪欲さが頼もしい。意図的かどうかは別として、このスタッフさんたちが作る安心感を心強く感じているのは、きっと僕だけではないだろう。
構成や結果なんて気にしないでついでにカメラの存在も忘れ、これから始まる長くて楽しい旅行に心躍らせて、僕たちはいよいよ一歩を踏み出した。無意識に僕が先頭に発つ。すると、観光をそっちのけで、ホテルの最寄りのバス停まで一目散だ。
バス停に着いて初めて、みんなが文句も言わずついてきてくれていたことに気づいた。いや、文句どころか、全員が無言だったような気がしなくもない。撮影が始まっていたというのに。もう一度ホテルに戻った方がいいのだろうか。猪突猛進した僕が悪いのは目に見えている。まずは、みんなに謝ろう。それからディレクターさんに相談だ。
勇気を振り絞って、僕は振り返った。そこには意外な光景があった。出演者だけでなくスタッフの人たちまでもが、満面の笑みを浮かべていたのだ。この旅でとるべき道が完全に固まったのが、僕ははっきりと分かった。僕たちは、嘘偽りのないプライベートの旅をしていればいいのだ。
ただ一つ、ドーナツ屋さんだけは、頭に入れておかないといけない。まあ、僕が忘れたとしても、絶対に忘れない人が若干名いるので、道行く先の美味しいドーナツ屋さんは安心して待っていてほしい。




