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路線バス運転士俳優山田ひろしの常識  作者: バスバスキヨキヨ


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挙動不審な塚谷

 パスポートを申請に行ったその日に、まだ仮りとはいえ台本が送られてきたので、僕は久しぶりに所属事務所を訪れた。監督がいつから着手したのか知らないので、監督が豪語していたように本当に3日間でできたのかは、いちいち詮索する必要はないだろう。監督一人だけではなく、ドラマの時と同じように脚本家の人と一緒に考えたのだろうけど、驚くべき短期間で作り上げたのは事実だから。

 まあ期間的にもすごいのだろうけど、内容的にもすごくて素晴らしい話になっていると、僕は見なくても確信していた。そして幸いなことに、その名作の台本を完璧に憶える時間がたっぷりとある。なので、次回作も監督の期待に応えられるだろう。

 なぜそんなに猶予があるのかと言えば、理由は簡単だ。知らなかったが、パスポートは申請してすぐにできるものではなかったのだ。それに、健二さんやリカさんクラスの俳優が、オファーを出してすぐに押さえられるはずがない。それでも、奇跡的というか協力的というか、これから1ヶ月後には、スタッフと出演者みんなでイギリスに行くのだけは決められていた。僕と塚谷のパスポートが間に合うように願おう。

 事務所に着くと、そういう説明とともに台本を渡された。それまでは台本の内容で頭がいっぱいだったのに、いざ台本を前にすると、突如、一つの疑問が湧いてしまう。日本の撮影所を使うならともかく、イギリスの、それも公道を使っての撮影の許可がそんな1ヶ月やそこらで簡単に下りるのだろうか。塚谷にそれとなく聞いてみると、明らかに動揺し目を逸らし言葉を詰まらせた挙げ句、進んで事務仕事に取り掛かろうとして応接室から速攻で出ていってしまった。

 塚谷の行動の不自然さがあまりに可笑しかったので、問い詰める隙きを逃してしまったようだ。焦る必要はない。今まで塚谷が僕に対してすぐには言えない事があっても、それは最終的には良い方向へ行っていたのだ。しばらく様子を見よう。

 まずは台本に目を通そうとしたが、塚谷が僕と現場に行かない時はどんな仕事をしているのか、なんとなく興味というか悪戯心のようなもので見てみたくなってしまった。一度気になると、不思議と台本よりも興味が上回る。なので、そこまで大きくない芸能事務所のそこまで大きくない事務室に、そっと泥棒のように入っていった。本気ではないけどけど社長に叱られている塚谷の後ろ姿が目に入る。さらに、それを冷やかすではなく温かい目で見て笑っている同僚が楽しそうだ。

 叱られている理由はなんとなく分かって、例えこの部屋に誰もいなくても、塚谷のデスクが一目で分かるような有様だからだろう。塚谷は書類が山のようにあって大変とか、よく言っているが、どうせ大げさに言っているのだと思っていた。むしろ控えめに言っていたのだ。

 そしてとうとう僕も堪えきれずになり、塚谷の同僚たちと同じように笑ってしまった。声だけは出さないように頑張ったので、まだ誰も気づいていない。それはそれでセキュリティ上不安だけれど。

 そうこうしていると、塚谷にとってはいいタイミングで社長にとっては間の悪いタイミングで、塚谷の携帯電話が鳴った。相手は仕事の関係者だろうか。塚谷は画面を見るや、すぐに電話に出る。1分ほど話すか話さないかで切ったかと思うと、急いでイスから立ち上がり振り向いた。僕と目が合う。一瞬の静寂。

 塚谷は顔を真っ赤にしてギャーギャー言いながら、自分が壁となって自分のデスクを隠そうと頑張っている。無駄なあがきだ。その騒ぎで僕は一躍注目の的となると、社長がすかさず話しかけてきた。

「ひろし、そんな所で何やってんだ? まあいいや。そんなことよりも、いろいろ大変だったみたいだな。まあ、人生良い事もあれば悪い事もあるし、悪い事もあれば良い事もあるっていうことで、次の映画も頼むぞ。あっ、それと、塚谷は十分に叱っておいたから。このジャングルのようなデスクを見たからって、お前からは叱らないでやってくれよ」

「いえいえ、叱るなんて。そんな風になったのは、僕の責任でもあるんだから。ただ、ちょっと笑うのを堪えるのが大変ですけど」

「ひろしさん、ひどい。私がこんなに頑張って仕事して、さらに社長にこっぴどく怒られてるのに」

「塚谷、まるで俺が悪いみたいじゃないか。まあいいや。それよりも、電話の後に急に立ち上がったけど、何かする事があったんじゃないのか?」

 社長もなんだか笑うのを堪えているように見える。気のせいかもしれないが。

「あっ、そうだ。もうすぐ監督がわざわざ来てくれるから、ひろしさん、応接室で打ち合わせをしますよ。応接室で。だから、さっさと応接室に行ってください。そして、ここで見た事は、すぐに忘れてください。特に、私の机の上を」

「はいはい。でも、ある意味、美樹の机の上は芸術的だね」

 捨てゼリフを残し、僕は応接室に戻り監督を待つことにした。せっかくなので、台本を読みながら。なのに、プロローグも終わらないうちに監督がやって来てしまった。フラフラしないで台本を読んでおけば良かったと思ったのも後の祭りだろう。監督の後ろに隠れて塚谷が入って来たのに気づかないほど後悔したかと言えば、そこまでではないので、まずは挨拶をする。

「か、監督、おはようございます。いつもいつも、監督自ら来ていただいて恐縮です」

「ひろし君だけは、私に気を使わないでほしいな。ひろし君のおかげで、進んで楽しい仕事ができると言っていいくらいなんだよ。だから今回のように、ひろし君からアイデアをもらって、嬉しくて嬉しくて120パーセント以上の実力を発揮したかもって自画自賛してるんだよね。その台本を見たなら、分かるよね?」

「そ、そうですね。でも、アイデアなんて出したかなあ。ここ最近はそれどころではなかったので、何も言ってないと思うんですけど」

「え? うそ? だって、塚谷さんが……ひろし君がホームズの本場を舞台に映画出演したがってると」

 いつの間にか僕のすぐ横で気配を消しながら小さくなって座っている塚谷を、監督と僕が見つめると、言い訳一つせず素直に「ごめんなさい」と消しいるような声で呟いた。塚谷が何故このような事をしたのか、僕は即座に十分に理解した。

「あー、思い出しました。それとなく言ったんですよ。でも、塚谷は覚えていてくれたみたいですね」

「そうなんだ。今となっては誰のアイデアかはどうでもいいんだけど、お礼だけは言っておくね。なにせ、そのおかげで、すごくわくわくしてるんだから」

 僕の名前を使って監督にいろいろと話してくれたのは、きっと僕の事を考えてくれての結果だ。だから、そんなに気にしなくてもいいと思うのだけれど。やはり塚谷なりに後ろめたい所もあるのか、まだまだ元気がない。

 ただ、今は塚谷を励ますよりも、監督との打ち合わせが優先なので話を続けよう。どうしても気になっていた事があるのだ。

「ちょっと聞きたいんですけど、イギリスでの撮影の許可が、こんな短期間で簡単によく下りましたね? そういうもんなんですか? それとも、監督の名声があったからなんですか?」

「え? 撮影は、日本国内でだよ。もちろん大掛かりなセットやCGを駆使して、イギリスで撮っているように見せるけどね。それで、本物のイギリスの風景を見てできるだけ忠実に再現したいから、スタッフみんなでイギリスに行くつもりなんだよ」

「そうだったんですか。でも、僕を含め出演者も一緒にイギリスに行くって聞いてるんですけど」

「ああ、それね。ひろし君がどうしてもイギリスに行きたがってるから、一緒に連れていってくれないかとお願いされて」

 なるほど。

「健二さんとリカさんもですか?」

「そうそう。ひろし君が、健二さんとリカさんも一緒に連れていけと、言ってると」

 なるほどなるほど。

 この頃には、監督は何もかも察していたようだ。そして、ようやく僕は分かった。塚谷が苦手な事務仕事に逃げるように向かった意味が。

 僕が次の言葉を探していると、監督がフォローしてくれる。

「まあ、いいじゃない。誰も嫌な思いをしてないうえに、こんなすぐに『名バス運転士ホームズ』の続編というか映画版に着手できたんだから。塚谷さんがいなかったなら、ありえなかったよ」

「そうですね。間違っても、塚谷自身がイギリスに行きたくて仕組んだなんて、これっぽっちもあるわけないですよね」

「そそそ、そんなの、あるわけないですよ」

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