『路線バスに乗って一人旅』は最高
芝居の仕事以外ではテレビに出たことがなかった僕は、勢いで出たいと言ってしまった事を少し後悔しながら現場に着いた。僕の性格だし、今さら治らないだろう。僕と対象的に楽しそうな雰囲気を出している塚谷が羨ましい。それはさておき、挨拶に毛が生えた程度の今までの仕事の中でもダントツに短い打ち合わせが終わってすぐに、撮影が始まる。
てっきり北海道に着いてから撮影すると思っていたのに、なんと空港で飛行機に乗る前からとは予想外だ。これがセリフのある俳優の仕事だったなら、すぐにスイッチが入るのだけれど、僕はただドギマギしているだけだった。そんな僕のもっと予想外なことは、今回はいつもと違う放送時間を拡大した特別版なのだ。そんなのは初耳だったが、僕の方から出たいと言った手前、気持ちとは裏腹に喜んでおいた。そして、さらに予想外なことがあった。なんと、その番組都合の説明をすべて撮影して、今のところは流す予定でいるらしい。うーん、旅番組、恐るべし。
それにしても、知名度の低い僕の出演会が、特別拡大版とは。心の奥底では、よりによって僕の時にと思いつつも、もしかしたら監督がドラマの宣伝をしたいがためにお願いしたのだろうかと推測した。それを確認するのは、向こうも答えに窮するかもしれないので控える。
ただ、それだけお金をかけても、通常会よりも視聴率が低くなる可能性がまあまあある。僕のせいで。それはそうだろう。健二さんやリカさんのような人気俳優が出ているなら、視聴者の人も観たくなるが、果たして僕が出ていて観てくれるだろうか。
出演をますます後悔してきた僕の救いは、スタッフさんたちだった。僕に対して敵対心もなければ投げやりな感じもなく、まるで家族旅行のような雰囲気を作ってくれるのだ。心配性の僕の心を解きほぐしてくれる優しいスタッフさんたちのためにも、素晴らしい回にしようと意気込むが、僕の頭の中は真っ白に近かった。
『路線バスに乗って一人旅』という題名なのだから、当たり前だけど会話する相手がいない。かといって、役者の仕事の時のように、決められたセリフがあるわけではない。じゃあ、黙って静かに歩いていればいいのかと言えば、こういう仕事が初めての僕でも答えは分かる。
独り言を言いながら歩くなんて、不自然だし、見ようによっては怪しくもある。それを自然に見せつつ視聴者が共感できるようにするなんて、僕にできるのだろうか。
助けを求めるように無意識にカメラの向こうのスタッフさんたちの方へ目を向けると、塚谷が一番に目に入った。塚谷もこういう現場は初めてなのだろう。落ち着かない感じでもじもじしている。そんな塚谷を見ると、僕はなぜか塚谷をリラックスさせたくなってきて、いつの間にかつまらない悩み事がなくなっていた。たくさんのカメラや大勢のスタッフまでも気にならない。自然と違和感のない独り言がすらすらと出てくる。使われる使われないは別として、上々のオープニングだっただろう。
この番組は、行きあたりばったりを売りにしていることもあり、ほとんど僕の好きなように進められる。ただ、北海道は広い。なので、路線バスで回る地域だけは決められていた。そしていよいよその指定された地域に着いたところから、自由なバス旅が始まろうとしている。自由と言えば良く聞こえるが、必ずしもそうではない。責任も重くのしかかってくるし、お店などに入る時も僕自身で交渉や確認をしないといけないので、間違っても気楽な旅とは言えないのだ。
そして、僕らしいと言えば僕らしいのか、最初の交渉で僕はつまづいてしまった。負け惜しみに聞こえようが、必ずしも僕の知名度の低さだけではないと、強く言わせてもらいたい。そうは言っても、入店を断られてさすがにへこんだのに、残念ながらへこんだのは僕だけだ。番組的には様々なアクシデントは盛り上がるので歓迎なのだろう。僕の気持ちとは裏腹に、ディレクターさんが喜んでいるのは複雑な気分だった。初めての旅番組の仕事を上手くこなしているようなので安心もあったけれど。
その頃には、塚谷は塚谷で雰囲気に慣れてきたのか、いつもの笑顔になっていた。すると塚谷はぎりぎりカメラに映り込むんじゃないかとばかりに……いや、誰も気にしていないだけで、マイペースとなった塚谷はしっかりと映り込んでいる。しかし、塚谷が僕のマネージャーだと知ってか知らずか、誰が咎めるでもなく撮影は続けられていた。そういう意味でも気楽な番組なのだろう。
スタッフさんたちが上手なのと元気な塚谷を見れて、段々と僕にも余裕が出てきた。こんなにも緊張しない仕事があっていいものなのだろうか。もちろん、いいのだ。そんなだから、同業であるバス運転士や景色を見て秀逸なコメントを残しつつ、ロケ隊のスタッフさんたちの動きにまで目を配ってみた。
今回の助っ人である監督の映画スタッフらしき人が、明らかに違う空気を醸し出しているのだ。いや、醸し出すというのは間違っている。形相から目つきからして、まるで何らかの凶悪な犯罪を企んでいるかのようだ。この人たちがテレビクルーだと、他の乗客の人たちは知っているから平然としているのだろ。何も知らない人がいて、たまたまこのスタッフと目が合ってしまったなら、悲鳴を上げてすぐにバスから降りるまであるかもしれない。
くだらない想像をして、僕は笑うのを堪えるのが必死だった。と同時に、こんな真剣にバスの中を見ているのは、それだけ『名バス運転士ホームズ』の制作に気合が入っている証拠なのだと思う。無意識に僕は、絶対に最高の芝居をしてみせると、呟いてしまったかもしれない。マイクが拾っていませんように。
さすがは北海道というべきで、想像以上に素晴らしい良い意味で予想外の2泊3日の『路線バスに乗って一人旅』のロケは無事に終わった。少なくとも、きちんと番組にはなるはずだ。もちろん順風満帆ではなかったが、アクシデントもトラブルも番組にとっては良い事なのだから。
ついでと言ってはなんだけど、ロケ中に『名バス運転士ホームズ』の宣伝用の映像も撮ってきたのは、僕以外の人は既定路線だったようだ。そこまで考えていなかった僕は、監督の映画スタッフは、本当に仕事ができる集団だと感心する。ちゃっかりしていて合理的だなとも思うが、僕は褒め言葉のつもりだけど皮肉に聞こえるかもしれないので、いちいち言わない。こんなプロ中のプロと仕事ができるなんて幸せです、と言っただけだ。お世辞ではなく本音なのは伝わったと思う。
東京に戻ってきて、『路線バスに乗って一人旅』のスタッフとは解散となったが、僕と塚谷はその足で事務所に向かった。塚谷がどうしてもと言ったからだ。ひと仕事終えて気が抜けていた僕は、どうせ久しぶりに社長と世間話でもするのだろうと軽く考え、ついていく。そんな僕を驚かせる人が待っているとも知らずに。
僕が所属している芸能会社のさほど大きくない事務所で待っていたのは、なんと、監督だった。おそらく、監督がここに来たのは初めてかもしれない。監督は待ちくたびれた感じも見せず、待たせやがってと怒るわけでもなく、ただただキラキラした目で迎えてくれる。そんな監督を見て、僕も塚谷も恐縮するでも笑うでもなく、懐かしい友達に会ったかのように喜んでしまった。監督の名誉のために言わせてもらうと、監督は健二さんよりも若いのに、日本を代表する監督だ。
監督のフォローはこれくらいで、僕は監督が事務所にいる理由を探る。と言っても容易だけれど。遊びに来たわけでも道に迷ったわけでもない。そして、わざわざ答えを発表するまでもない。それくらい、想像に難くないのだ。
僕は驚いた顔は見せず挨拶もそこそこに、すぐにドラマの打ち合わせに入った。日程や他の出演者そしてバスを運転する際の注意事項なんかの説明があったが、概ね予想していた通りだ。予想を大きく裏切った事があるかと言えば、あったのだ。なんと、健二さんがオトボケ刑事役として、レギュラー出演が確定していた。まさかこんな重要な役どころで出てくれるとは。本当に感謝しかない。なにせノーギャラなのだから。
それと、一つ大きな変更があって、1話目が2時間スペシャルの特別な話になっていた。もちろんわざわざそれ用に話を作ってある。以前にもらった1話目の台本は2話目以降になるらしい。といっても、単純に後ろに回すというわけにはいかず、再構築しないといけない。1話目につきものの、登場人物の紹介及び主人公と助手が謎を解明し始める経緯や馴れ初めの部分が、ごっそりと2時間スペシャルに移るからだ。当初の1話目は単純に大幅に短くなってしまう。
短くなった話をただ間延びさせただけでは何か物足りない。この監督がそんな妥協した作品を世に出すのは、よほどのことがない限りはないのだ。いや、よほどのことがあっても、ないのかもしれない。そんなものを出すくらいならお蔵入りだろう。幸いに時間はあるので、当初の1話目は練りに練られ、何話目かでお披露目となるはずだ。
というような事をじっくり話してから、多忙なはずの監督は嬉しそうに帰っていった。僕に気を使ってくれたのか、多忙な感じは全く見せなかったが。僕も塚谷も、建前でも無駄に引き留めたりしない。監督は本当に忙しいから。
僕が監督のためにできる事は、最高の芝居と最高の運転しかないのだ。そんな僕の視界には、光り輝く2時間スペシャルの台本しか存在していなかった。




