表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
路線バス運転士俳優山田ひろしの常識  作者: バスバスキヨキヨ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/39

ひろし運転のバスに小野リカが

 ものすごく嫌な予感しかないので、心の中で乗らないでくれと願ってしまった。そんな失礼な事を思ったのは後にも先にも今回が初めてだ。バス運転士として言い訳のしようがない。だけど、その集団が乗ってくると、僕はバス運転士を続けられなくなるような胸騒ぎがしたのだけは分かって欲しい。それに、思っただけで、実際に乗車拒否はしたわけではない。当たり前だけど。

 なので、無情にも、その集団は乗ってきてしまった。一般の乗客とは雰囲気の違うその集団に、始発から乗っていた観光客の3人が関心を示すのは当然だろう。その集団の中心にいる人が誰なのか、すぐさま気づく。反射的に悲鳴を上げ、ためらいもせず手を振り、その集団の中心にいる人の名前を叫んだ。

「きゃー、リカさーん!」

 『リカ』とはっきり聞こえた自分の耳を疑いはしなかった。ただ、『リカ』という名の有名人は、僕が昨日一緒に仕事をしていた『小野リカ』以外にもたくさんいる。こうなったら確かめるしかない。ミラー越しに見て、同時に観光客相手に話す声にも集中した。

 ミラーに映った横顔ときれいな声は、『小野リカ』に限りなく近いが、まだまだそっくりさんの可能性を捨てきれない。と、最後の悪あがきをしたのに、すぐにその希望は打ち砕かれた。座席に座って正面を向いたその顔は、世界に一人だけの『小野リカ』だった。

 この一年、何事もなく順風満帆にきたのに、ここ2、3日だけで知り合いがこんなにも乗ってくるものだろうか。こういう事は根拠もないのに続く時は続くと言うので、あってもおかしくないし、現に起こってしまっている。

 健二さんの時はいきなり話しかけられて咄嗟に答えたので、どうしようもなかった。だけど、今回は、まだ気づかれていないはずだ。僕の変装は完璧なのだから、何も焦ることはない。リカさんをはじめカメラマンやスタッフの人たちは、撮影に夢中だし。わざわざ一人のバス運転士にフューチャーなんてするわけがないだろう。

 そう思うと、少し余裕が生まれたきた。リカさん以外にも知り合いがいるかどうか確かめてみる。残念なことに、リカさんのマネージャーの本田さんをあっさりと見つけてしまう。さらに目を凝らし、くまなく見渡す。その他の人は、少なくとも僕の記憶にはなかった。

 僕が用心しないといけないのは、リカさんと本田さんの二人だけだ。数字だけだと多くはないが、非常に身近な二人と言っていいだろう。これからも俳優の現場で何度も顔を合わすだろうし。なんとか二人をやり過ごさなければならない。上手にやり遂げられたなら、僕のバス運転士としてのキャリアは、何の不安もなく積み重ねていけるはずだ。

 この時間の途中のバス停にしては、多くの人が乗ってきて停車時間が長くなったうえに少し動揺したので、バスはまあまあ遅れている。なので、僕は焦っていた。焦っている気持ちの大部分は遅れているのが原因ではないが。何よりも焦りは禁物なのに。焦りたくて焦っているわけではないけれども。

 こんな精神状態で発車して、僕は安全運転をできるのだろうか。時間が容赦なく過ぎていっているというのに、アクセルを踏むのに躊躇してなかなかバスを動かせないでいると、余計に動揺してきた。すると、なんとなくだけど足音が聞こえてくる。気のせいだろうか。反射的にミラー越しに車内を確認してしまう。足音は空耳ではなかった。

 足音の主は、リカさんだった。ミラー越しに目が合う。僕は、なぜだか目を逸らせられない。そんな僕に構わず、リカさんは表情を変えずに、どんどん僕に近づいてくる。そして、瞬く間に運賃箱のすぐ手前まで来てしまった。

 細かいお金がなくて両替でもするのかと一縷の望みを持ったが、撮影中にそんな事をするわけがない。ああそうか。乗ったはいいが、間違って目的地と反対方向のバスに乗ってしまったことに気づいたのだろう。だけど、そんな希望的観測はあっさりと打ち砕かれる。いや、違う方向で安心させられたのだ。

「ひろしさん、大丈夫ですよ。だから落ち着いていつも通りの安全運転をお願いしますね」

 まるで母親が小さな子に話しかけるような優しい声音で、僕は一気に冷静になれた。それを確認もせずに、いつしかリカさんはもといた座席に座っていた。魔法にかかったようだと言えば稚拙だと思われるだろうか。別に構わない。これは体験した者でないと分からないのだから。

 すっかり落ち着いた僕は、バスを優しく発車させた。遅れていることやリカさんが乗っていることも、良い意味で気にならない。ただ使命を果たせばいいだけだから。そんな模範的なバス運転『山田広志』がしばらく乗り降りのないままにバスを走らせていると、まずは始発から乗っていた3人の観光客の目的地に着く。残りはリカさんのロケ隊だけだ。

 そのままバスは5分ほど遅れて次々とバス停を通過していき、リカさんたちは終点までバスの旅を楽しんでくれた。無事に着いて安心したのは、僕だけではなく、おそらくリカさんもだっただろう。

 降りるところも撮影していたので、一回はリカさんもみんなと一緒にバスから降りた。気持ち寂しかったが、立ち止まって話し込まれると困るのは僕の方だ。幸いリカさん以外の関係者は気づいてないのだから。リカさんのマネージャーの本田さんも。それに、僕の仕事はまだ終わっていない。うっかり寝過ごしている人がいないか忘れ物落とし物がないのかを確認しないといけないのだ。

 こんな所で思いがけずせっかくリカさんに会えたのだから、もう少し話したかった僕がいたのは本当のところだ。なんて勝手なやつだと思われるのだろうか。いや、気持ちが分かる人はたくさんいるはず。と自己弁護しながら、運転席から離れ車内を確認してから再び戻ってくると、バスの前ドアにリカさんが立っていた。それはそれで焦るのだから、人間て不思議な生き物だと思う。そういう訳で先に声を発したのは、リカさんだった。

「ひろしさん、ごめんなさい。必要以上に緊張させてしまったみたいですね。だけど、私以外の人は誰も気づいてないので安心してくださいね。そしてこの先も、私の周りの人が知ることもないのも約束しておきますね」と、僕には一言も発せさせないで、リカさんは風のように去っていった。

 僕がバス運転士をしている事を今まで2回ほどリカさんに白状しようかとなったが、こんな形で3度目の正直がやってくるとは、僕の想像を超えていた。しかし、リカさんは僕の思っていた通りのリカさんだったので、この後のバスの運転には全く支障がないだろう。ただ、一応塚谷には報告しておいた方がいいので、待機している時間を利用して電話をかけると、想像通り1コール未満で出てくれた。

「そろそろ、ひろしさんからかかってくると思ってましたよ。今日は溜まっていた事務仕事を泣きながらやってるんですけど、一応聞いてあげますね。何かあったんですか?」

「忙しいところ、ごめんね。実は、さっき、小野リカさんが僕の運転するバスにテレビ撮影でたまたま乗ってきて、あっさり気づかれちゃった。だけどリカさんは誰にも言わないでいてくれるから安心していいみたい」

「そうなんですか。リカさんには近々知られるだろうなと思ってましたけど、想像以上に早かったですね。だけど仲良しのリカさんだから、まあいいでしょう。それよりも喜んでください、ひろしさん」

「どうしたの? まさかのファンレターが山のように来てるとか?」

「そんなわけないでしょ。でも、そうなるかもしれないですよ。なんと、主演のオファーが来ましたよ」

 嬉しくないと言えば嘘になるけれど、バス運転士の仕事を捨ててまで主役を演じたいとは思えないので、素直に喜べない。二兎を追う者は一兎をも得ずとは言うが、幸運なことに僕は既に普通のうさぎを2羽手に入れている。それで十分だ。2羽のうさぎのうちの1羽が『ピーターなんとか』のような珍しいうさぎである必要なんて……。

「そっかあ。悪いけど、いつものごとく断っておいてくれないかなあ」

「いやいや、話を最後まで聞いてくださいよ。オファーの主が昨日の監督なんですよ。ひろしさんの運転技術のおかげで、以前から温めておいたドラマシリーズを作ることができるから、是非出てほしいと言ってきたんです。でも、ひろしさんから主役の話は全部断るように言われてるので、一度は今回も辞退させてくださいとやんわり言ったら、ひろしさんの要望はなんでも飲むから考えてくれないかと粘るんです。なので、撮影が週に2日までになるなら出れますけどって、無理難題のつもりで言ったのに、あっさりとそれでいいですよと返されてしまったので、もう承諾するしかなくなりました」

「そうなんだ。ありがとう、美樹。やっぱり役者をやってたら、一度くらいは主役を演じるのが夢だからね。週に2日だけの撮影なら、バスの仕事には全く影響がないから、今までと同じだし。ただ、恐いのは、これで少し有名になったら、伊達メガネだけの変装でバスの運転をしていて誰にも気づかれないかどうかだけだね。まあそれは、テレビで放映されてから考えればいいか。それで、どんな話なの?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ