健二さん、語り出す
「僕も動揺していたとはいえ、健二さんの心の葛藤は全く分からなかったですよ。やっぱり、健二さんは健二さんですね」
「いやいや。ひろしだって、淡々と運転してたじゃないか。心臓はバクバク言ってたけど、あまりの乗り心地の良さに寝てしまうかと思ったぞ。お前の運転は大したものだな」
乗客を寝かせてしまうくらいの心地いい運転を目指している僕は、何気に心の中でガッツポーズをしてしまった。貰うどころか全く縁がないけれど、アカデミー賞を貰ったくらいに嬉しい。それもこれも、健二さんがお世辞ではなく、本音で言ってくれているからだ。
「はいはい。そんなあくびが出そうになる褒め合いは後にして、続きを聞かせてくださいよ、健二さん」
せっかく余韻に浸りたいのに、塚谷がたまに見せるデリカシーのなさで、我に返らざるを得ない。はたして塚谷に同席してもらったのは正解だったのだろうか。間違いではないとしておこう。ただ、たしなめるくらいはしておかないといけない。
「塚谷君、こういう時は静かにしていようね」と同時に、塚谷の腕を抓る。すると僕は倍以上の力で抓られた。ここは僕のポーカーフェイスの見せ所だ。
「いいよいいよ。美樹ちゃんの言う通りだ」
「あっ、健二さん、話もだけど手も休んでますよ」
塚谷は、どんなすごい相手でもそうでない人でも、別け隔てなく接する。なんというか尊敬とは違うかもしれないが、見習うべき事として考えさせられてしまう。塚谷のキャラクターがあって成立していることも多々あるので、単純に真似をすると痛い目にあうだろうけど。
「ははっ。美樹ちゃんには敵わないなあ」
塚谷の明るい一言で、健二さんはすき焼き作りを再開して、続きを話し始めた。僕は、塚谷に同席してもらったのは大正解だと確信していた。尊敬するというのは何か悔しと思うのは、僕がまだ人間的に未熟なのだろう。
「あんな所にいたのには、もちろん理由があって……。どこから話せばいいかなあ……。えっとー……そうだなあ、遡れば10年以上前だ。大学を出てすぐに役者になったはいいけど、そんなすぐに芽が出るわけがないのは、ひろしも分かってるよな。ご多分に漏れず、俺も精々エキストラで出るだけだったから、収入はバイトも入れて月に数万円程度だったかな。でも、生活は充実していたし楽しかった。というのは、学生時代から好きで好きで大好きだった彼女がいたから。その彼女がいてくれるだけで本当に幸せだったんだ。だから、その彼女のためだけに、芝居を上手になって必ず役者の仕事だけで生活できるようになってやると思っていた。それに彼女がいてくれるから、役者の道でやっていけるという根拠のない自信があった。結婚にはこだわってなかったけど、いつまでも一緒にいたいと思ってたから、何かきっかけ一つで結婚するんだろうなとなんとなくは考えていた。例えば、初主演が決まるとか。まあ、子供ができるというどちらかといえばオーソドックスな理由で結婚しようとなったのは、大方想像できたよな。若かったのもあって、俺は軽く考えてたんだ。結婚というのは、そんな簡単なものじゃないんだ。家族と家族が繋がるという、ものすごく重大な事なんだよな。というわけで、これも察しがついてると思うけど、彼女の親が大反対。理由は言わなくても分かるよな? それでしばらくは反対されてたけど、起死回生の俺の初主演が決まるという奇跡が起こったんだ。自信満々で彼女の親を説得に行ったのに、門前払いされて頭が真っ白になったかな。その時にはもう彼女の体も心配だったから泣く泣く両親のもとにいてもらってたんだけど、彼女とも会わせてくれなくなってて。それでも時間を作っては何度も何度も会いに行ったけど、もちろん会えなくて。半年くらいそういう辛い時期があって、そしてある雨の日に行ったら、彼女の葬式をやっててさ」
ここで、再び健二さんが黙った。健二さんの頭の中に当時の事が鮮明に浮かんでいるのが、表情からも明らかだ。僕も塚谷も、ここは静かに待つ。そんな中、すき焼きだけが、己の存在を表していた。それが箸を伝わって、健二さんの手の神経へ、さらに健二さんの脳へ呼びかけてくれたようだ。健二さんが、ぐっと涙を堪えて続きを話す。
「それからしばらくの記憶は曖昧だ。傘はいつの間にか失くしてて、彼女の家の前に俺はびしょ濡れで立っていた。そんな俺に参列者の人たちが気づき、ちょっとずつ騒ぎ始めるんだ。俺が有名人だというので騒いでるんじゃない。とてもじゃないけど、大泣きしてびしょ濡れの俺に、小林健二の面影なんてこれっぽっちもなかったからな。そこにいる誰もが知らない怪しい人がいるという感じに見えたんだろう。その騒ぎを耳にした彼女のお母さんが俺の目の前まで来て初めて、俺は現実だと悟った。と同時に少しだけだけど落ち着けた。また追い返されるのかと思ったけど、家の中に上がるように言われて、びしょ濡れだから葬式中なのにシャワーを使わせてもらったりして……。いや、ここまで細かく話す必要はないか。そろそろ、すき焼きが食べごろだぞ」
「やったー。ひろしさんも食べましょ」
「うん……。いただきます」
「おいしーい。ほら、ひろしさんは健康のために野菜をいっぱい食べないと。お肉は私が食べてあげますよ」
「何を言ってるの、塚谷君。お肉は年上の僕が食べてあげるから、塚谷君は美容のためにも野菜をいっぱい食べて。塚谷君のためなんだから、僕を信じて」
「私なんて、きれいになっても意味がないです。だけど、ひろしさんはこれからもメディアにたくさん出ることになるので、自分磨きを続けないとだめですよ。ひろしさんのために、私が泣く泣く肉を食べてあげますよ。これもマネージャーの使命なんでしょうね。ああ悲しい悲しい」
ものすごく嬉しそうに肉を頬張る塚谷には逆らえないのだろう。忸怩たる思いで、今日のすき焼きは、肉1野菜9になることを確信してしまった。昨日と今日の塚谷の頑張りを思うと、素直に受け入れるべきなろうけど。僕が未熟者だからか、すき焼きが美味しそうだからか、はたまた両方だからか、永遠に謎ということにしておこう。
「ははっ。続きを話すぞ。それで、着ていた服ももちろんびしょ濡れだったから、彼女のお父さんの服を借りたけど、葬式に出られるような服でもなかった。あえてそういう服を貸してくれたのかもしれない。すっかり落ち着いて泣き止んでさっぱりした顔で、小林健二と気づかれるといろいろ迷惑をかけるからな。生前彼女が使っていた部屋で葬式が終わるまで待っているように言われて、大人しく行くしかなかった。すると、そこには、赤ちゃんがいたんだ。誰の子かすぐに分かったよ。言うまでもないよな? その赤ちゃんを見ていたら、俺は強くならないといけないと思って、すべてを受け入れられると確信した。だから、彼女の葬式が無事に終わった後で、彼女の両親から冷静に真実を聞くことができたんだ」
「健二さん、ごめんなさい」
「どうした、美樹ちゃん?」
「ひろしさんが、健二さんの分まですき焼きを食べちゃったみたいなんです」
「うそだー。健二さんの分をたべたのは、塚谷君でしょ!」
「ひろしさん、ひどい。自分だけいっぱい食べて、責任を私になすりつけるなんて」
「出た。塚谷君得意の下手嘘泣き」
「まだまだ頼むから、遠慮せずにいっぱい食べて、美樹ちゃん」
「やったー。よかったですね、ひろしさん」




