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路線バス運転士俳優山田ひろしの常識  作者: バスバスキヨキヨ


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無事に撮影開始

 塚谷はというと、健二さんと僕の会話を珍しく大人しく黙って聞いてくれていた。事の重大さを、僕と同等いやそれ以上に考えてくれていたのかもしれない。ただ、なぜか少し顔を赤らめている。まあ、分からなくもないような。

「健二さんに、かわいいと言われて、照れてるの?」

「そんなんじゃないです。ひろしさんは、私のことを全然分かってない。そんな事よりも、良かったですね。健二さんがあの事を誰にも話してなくて」

「そうだね。やっぱり健二さんだよ。だけど、あの事で塚谷君には、いろいろ動いてもらったり心配かけてしまったね。本当にありがとう」

「そんな風に言われると照れるじゃないですか。なんだかんだで私は楽しかったので、結果良ければすべて良しですよ。健二さんも言ってたことだけど、これで安心して、今日も素晴らしい芝居をお願いしますね」

「うん、まかしといて。二足の草鞋だからって、中途半端なことは絶対にしないよ。だから、これに懲りずに、これからも僕のマネージャーを続けてくれるよね?」

「何くだらない事を言ってるんですか。怒りますよ。私はずっとひろしさんのそばにいますよ」

「よかった。僕は塚谷君がいなかったら何もできないからね。それに、俳優の仕事だけでごはんが食べられるようになったのも、塚谷君が僕に付いてくれてからだもんね」

「私はマネージャーとしての仕事をしているだけなので、気を使わないでください。というか、ひろしさんには気を使われたくないです」

「そっか。じゃあ、これからも、今まで通りの塚谷君と僕の仲良しの関係でいようね」

「そうですね。今まで通りでなくてもいいので、仲良しの関係でいましょう」

「え? どういうこと?」

「どういうことでしょう?」


 仕事帰りに暗い夜道を一人で家路についていた妹が無差別連続殺人犯の餌食になりかけた時に、迎えに来ていた兄がぎりぎり助けたはいいが、過剰防衛によりその犯人を殺してしまった。この無差別連続殺人犯は事件を起こす前には必ず犯行声明を警察に送りつけていたので、当初はこの兄によって殺された人物も犠牲者の中の一人だと思われたが、調べていくうちに無差別連続殺人犯だと特定された。動機は非常に身勝手で、自分の人生に絶望をしていてその原因は不条理だと思い込んでいた世の中にあるとして、捕まるまでは犯行を繰り返すつもりだったらしい。そんな訳で、この無差別連続殺人犯を殺した犯人は誤って死に至らしめたことも明らかだったので、世間ではヒーロー扱いされていた。だけど、その犯人はヒーローなんかではなくて、唯一の身内は妹だけで、その妹を心から大事に思っているただの警察官だったのだ。

 妹をその無差別連続殺人犯から救った時は、襲いかかる犯人を止めるために咄嗟にパンチを一発だけお見舞いして倒したが、妹を助けることしか考えていなくてすぐにその場を立ち去ってしまったので、その無差別連続殺人犯が死んだ事を知ったのは次の日に出勤した時だった。警察官としてあるまじき行為をいくらかやってしまったが、彼は警察官である前に一人の人間であり他に身寄りのない妹を大事に思っている兄だ。

 自首しようかどうか葛藤している間に、どんどん月日は流れ、もう機会を逸してしまったと考えるに至っていた。そこからは、後悔の毎日を送るだけだ。あの時、倒れた無差別連続殺人犯をすぐに介抱していれば。あの時、すぐに警察に電話していれば。あの時、殴らないでただ押さえつければ。今は冷静に考えられるが、その時は妹を守ることしか頭になかったと言っても言い訳にしかならない。

 百歩譲って自分が天涯孤独だったならすぐに自首もしただろうけど、天涯孤独だったならこのような事件を犯すことはなかった。しかし仮の話をしていても意味がない。兄は警察が犯人を特定しないように祈るだけだった。しかし警察は無能ではないので、概ね容疑者を特定していたのだ。

 兄はこのまま沈黙を続けるのか、それとも新たな手に出るのだろうか……。


 という現実では起こらないであろう事件を、さも現実であるかのように見せなければならない難しいがやりがいのある兄役を僕が演じるのだ。そして、この兄を巧みな推理と根気でじわじわと追い詰めていく刑事役が、健二さん。妹役は、言うまでもいなく、小野リカさんだ。

 小野さんはかわいいだけではなくて、芝居だって上手だ。妹のいない僕が、本当の妹なんじゃないかと思うほどに。だから、僕自身も、自然と本当の兄役を演じられるのかもしれない。本当に共演者には感謝だ。

 まずは、健二さんと僕の二人だけのシーンから始まった。お互いに結構な長セリフが続く。といっても、長セリフのほとんどは、健二さんなのだけれど。ただ、こういう時は逆にセリフの短い方が緊張したりするものだ。万が一僕がNGをだそうものなら、というプレッシャーは生半可なものではないのだから。

 始まるまでは、いろいろ考えてネガティブになることも、経験をいくら積んでいても多々ある。それでも、いざ撮影がスタートすると、そんな僕でも完全に劇中の人になる。言うまでもなく、健二さんもだ。当たり前のようにセリフが出てくるし、感情だってこもっている。監督が止めて初めて、やっと僕たちは別世界から帰って来られるのだ。

 予定通りの文句のつけようのない二人の芝居が終わると、約束通りに、塚谷と少し遅めの昼ごはんを食べに行くことにした。僕がお腹ペコペコなのだから、塚谷のお腹は想像するまでもない。

「ひろしさん、お疲れさまです。今日も、いつもと同じように素晴らしかったですよ」

「ありがとう。塚谷君が言うんだから間違いないね。それじゃひとまず芝居は忘れて、昼ごはんを食べに行こうか?」

「はいっ! お好み焼き屋へ、しゅっぱつしんこー」

 僕の大好物をあえて選んでくれたのか、ただ単に塚谷が食べたかったのかはどうでもいい。お好み焼きと聞いて、僕は塚谷に負けず劣らずのご機嫌さんになった。危うく塚谷を置いていきそうになるくらいに張り切って歩き出す。塚谷が本気で置いていかれると勘違いするくらいの勢いで。

「ひろしさん、待ってくださいよ」

「あれ? 塚谷君は行かないの?」

「行くに決まってるでしょ。もう少しゆっくり歩いてくださいよ」

「ああ、そうだね。ついつい。お好み焼きが待ってると思って、焦っちゃったよ。焦って急いでも、大して早く着くわけでもないのに。僕はだめだよねえ。こういう時こそ、落ち着いて行動しないと」

「まだまだひろしさんは未熟者ですねえ」

「本当にそうだよ。分かっていながらも、お好み焼きが待ってると思ったら、今にも走り出しそうになるんだよね」

「もう、しょうがないなあ。ほら、こうやって手を繋いでいれば、私が重しになって急げなくなりますよ」

「なるほどー……って、ここまでしなくても落ち着いて行動できるよ。走り出しそうって言ったのは、ただの冗談なんだから。これじゃまるで僕が駄々っ子みたいじゃない」

「はいはい。お好み焼きが待ってるんだから、行きますよー」

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