第9話「村長の家」
シルの家の椅子に座ったゾジルは、お茶を一杯飲み終わる頃にはだいぶ人間——いや、ドワーフらしさを取り戻していた。
顔色が戻り、手の震えが止まり、目に光が戻ってくる。回復が早い。若いというのはそういうことだ。
「落ち着いたか」と上津一が訊くと、ゾジルが「だいぶだす」と答えた。
「ほな、行こか。作ってる場所に連れていく」
「はいだす。……あの、歩いていけるだすか」
「歩いていける距離やで」
ゾジルが心の底からほっとした顔をした。テレパシーに安堵が溢れた。そんなに飛ぶのが怖かったのか、と上津一は少し反省した。
二人で鍛冶屋の裏手へ向かいながら、上津一は話した。
「今作ろうとしてる炭窯やけど、バリーという鍛冶屋に頼んで作ってもらってる。バリーは腕のいい職人やけど、炭窯は専門外やから、ゾジルに見てもらいたい」
「窯の形は伝えてあるだすか」
「斜面を掘り込んで卵型の半地下窯、正面に焚き口、上か後ろに煙突口、とだけ言ってある」
「ふむ」とゾジルが頷いた。「それで、なんで木炭が必要なんだすか」
上津一は歩きながら説明した。たたら炉を作ったこと、砂鉄を十日かけて集めたこと、七十時間の製錬を二人でやり遂げたこと、そして出てきたものが鉄ではなく黒い塊だったこと。
「薪では火力が足りんかった。木炭なら届く温度に届くはずや」
「なるほどだす」ゾジルが顎に手を当てた。
「千二百度から千五百度が必要なら、確かに薪では無理だす。炭でないと」
「そういうことや。だからゾジルに来てもらった」
ゾジルが少し背筋を伸ばした。任された、という感情がテレパシーに滲んだ。
鍛冶屋の裏の斜面に、炭窯の建設現場があった。
バリーとトリが作業していた。斜面を掘り込んで、粘土と石を積み上げた卵型の構造物が半分ほどできている。正面の焚き口はすでに形になっていて、後部の煙突口も骨格が見えていた。
「バリー! 窯はどんな感じや!」と上津一が声をかけながら近づいた。
バリーが振り向いた。煤けた顔に汗が光っている。
「見ての通りだ。半分は出来た。あと二日あれば——」
その時、ゾジルが窯をじっくりと見回した。一歩近づき、壁の厚みを指で確認し、焚き口の角度を覗き込む。そして腕を組んで、思わずといった様子で口から言葉が出た。
「ああ……ダメだすな、これ」
沈黙が落ちた。
バリーの目が細くなった。
「……何だと」
「煙突の位置が高すぎるだす。それだと炉内の温度が均一にならないだす。あと壁の厚みが少し薄いだす。高温に耐えられないかもだす」
「俺は言われた通りに作っている」
「言われた通りが間違ってるだす」
「お前は何者だ」
バリーの声に剣呑な気配が混じり始めた。百八十五センチのマッチョな鍛冶屋が正面から睨み下ろしているのに、百五十センチ程度のドワーフが臆する様子もなく見返している。
上津一は素早く間に入った。
「はいはい、ちょっと待ってや二人とも」
「サーラ様、こいつは——」
「バリー、落ち着き。こいつはゾジルっていうて、ドワーフの木炭職人や。炭窯については本物のプロや。ゾジル、バリーはこの村唯一の鍛冶屋で、たたら炉を三日で作り上げた腕のある男や。二人とも、同じ目標に向かって動いてる仲間やろ」
二人が黙った。
バリーがゾジルをもう一度見た。今度は敵意ではなく、職人として値踏みする目だ。
「……炭窯の専門家、ということか」
「五十年以上炭を焼いてるだす」とゾジルが静かに言った。
バリーの目の色が変わった。
「五十年」
「ドワーフは寿命が長いだす。俺はまだ八十だすが」
バリーが腕を組み、少し間を置いてから言った。
「どこを直す」
ゾジルが窯の前に立ち、指差しながら説明し始めた。煙突の位置、壁の厚み、焚き口の角度、粘土の配合——バリーが黙って聞き、時折トリが手帳に書き留めている。
いつの間にか二人の間の空気が変わっていた。職人同士が技術の話をする時の、真剣で静かな集中が生まれていた。
ゾジルが窯の壁を指で叩いて何かを言い、バリーが頷いて工具を取り出す。トリが粘土を練り直し始める。
三人が作業に入った瞬間、上津一は完全に蚊帳の外になった。
自分が呼んだ二人が、自分を無視して真剣に仕事している。
まあ、ええか。
上津一はその場をそっと離れた。
村の中をぶらついた。
麦畑から吹いてくる風が心地よく、鶏が道を横切り、どこかの家から煮物の匂いがしてくる。チドカ村の日常だ。
歩いていると、見覚えのある家の前に出た。
村長のドリギの家だ。シルの家と作りは似ているが、一回り大きい。壁の土が少し白く、扉の木が丁寧に削ってある。
そういえば、鉄のことを村長に話しておかなければならなかった。
上津一は扉の前で声をかけた。
「ドリギ、おるか」
少しして扉が開いた。白髪の老人が顔を出し、金色の霊獣を見て目を細めた。
「これはサーラ様。どうぞお入りください」
村長の家の中は、シルの家より少しだけ豊かな印象があった。
床が木の板を張っていて、踏み込むとわずかに軋む音がする。壁際に長い木のベンチがあり、丸太に足をつけただけのスツールが並んでいた。中央に近い壁際に開放型の炉があり、天井の隙間から煙が逃げるようになっている。窓は小さく、板戸が開いて朝の光を取り入れていた。
シンプルだが、暮らしの知恵が詰まった空間だ、と上津一は思った。
「お茶を入れてきます」とドリギが炉の前に向かった。
小さな火種から炉に着火しようとして、ドリギが右手を炉に向けた。
指輪が光った。
ぱちり、という音と共に小さな炎が生まれ、薪に火が移った。
上津一は目を細めた。
「お。火魔法でっか?」
ドリギが振り向いて、少し驚いた顔をした。
「ええ、この魔法具です」と言いながら、指輪を外して上津一に見せた。銀色の地味な指輪で、小さな赤い石が嵌まっている。
「炎の魔核が埋め込めてある指輪です。便利ではありますが、大した力ではありません」
「指輪が魔法を出すんでっか?」
「はい。私は魔法適正がCしかありませんので、自分自身では魔法を発動できません。魔法具があれば扱えますが」
「適正があっても自分では使えない?」
ドリギが少し目を細めた。
「サーラ様は……魔法のことをあまりご存知ではないのですか」
「うん、正直あんまり知らんねん」
ドリギが少し考えるような顔をした。五百年生き、人の知らない知識を有する霊獣が魔法を知らない、というのは奇妙に思えたかもしれない。しかし上津一は気にしなかった。知らないことは知らないと言う方が早い。
「じゃあ後で教えてもらえるか。まず今日来たんは、別の話があってやな」
「別の話、ですか」
「鉄の事や」
ドリギの顔が引き締まった。元貴族の教育を受けた男だ。話の重みを嗅ぎ取る嗅覚がある。
「お茶が入りました。ゆっくり聞かせてください」
二人は向かい合って座った。上津一は木のベンチの前に陣取り、ドリギがスツールに腰を下ろす。炉の火が揺れて、動物の脂を染み込ませた灯心がほのかな光を補っていた。
上津一は話し始めた。
「今、バリーと一緒に鉄を作ろうとしとる。一回失敗して、今は木炭を作る準備をしてる。ドワーフの木炭職人も連れてきた」
「鉄……鋳造の青銅ではなく、ですか」
「全然違うもんや。青銅と鉄の違いを少し説明する」
上津一は言葉を選びながら話した。硬さの違い。耐久性の違い。同じ厚みで比べた時の強度の差。加工の可能性——鍛造で形を変えられること、薄く伸ばせること、鋭く研げること。
「農具に使えば、畑の効率が変わる。鍬が硬い土に入りやすくなる。鎌の切れ味が長持ちする。修繕の頻度が下がる」
ドリギが静かに聞いていた。目が細くなっている。情報を整理している顔だ。
「もし鉄を作れるようになったら、この村はどうなりますか」と静かに訊いた。
「まず注目される」と上津一はっきり言った。
「鉄というのは、今の世界にとって革命的な素材や。青銅しかない世界に鉄が出てきたら、誰もが欲しがる。農家も、騎士も、領主も、商人も。この村で作られてると知れば、人が来る。金が動く」
ドリギが低く息をついた。
「それは……諸刃の剣でもありますね」
「そうや。だから一つ大事なことがある」
上津一は少し前に出るように姿勢を変えた。
「鉄の作り方を秘匿すること。これが一番重要や」
「秘匿、ですか」
「製法が広まったら、この村の優位はそこで終わる。誰でも作れるようになったら、値段が下がる。この村だけが作れる間は、この村が中心になれる。だから作り方は、村の外に漏らさない。売るのは鉄そのものか、鉄で作った道具だけ」
ドリギが腕を組んだ。長い沈黙があった。炉の火が揺れる。
「木炭も売れまる」と上津一は続けた。
「鉄を作るには木炭が要る。木炭自体も高温を出せる燃料として需要がある。鉄と木炭、二つの売り物ができる」
「村が急激に変わる、ということですね」
「変わる。良い方向に変えるために、今のうちから村の人たちと話し合っといた方がいい。急な変化は混乱を生む。準備した変化は村を強くする」
ドリギがゆっくりと頷いた。
窓の外で風が吹いて、板戸が小さく揺れた。
「……分かりました」とドリギが言った。
「村の住民と、よく話し合います。サーラ様がここまで考えてくださっているなら、私たちもしっかり準備しなければなりません」
「頼んだ」
上津一は少し肩の力を抜いた。言うべきことは言えた。
ドリギが茶を一口飲んで、少し表情を和らげた。
「ところで、先ほどの魔法の話ですが」
「ああ、そっちも聞きたい」
「では食事でもしながら、どうでしょう」
「そうやね、腹も減ってきたし」
ドリギが立ち上がり、奥の棚から食材を取り出し始めた。開放型の炉に鍋がかかり、じきに煮込みの匂いが漂い始めた。
灯心の光が揺れて、村長の家の中を柔らかく照らしていた。
上津一はその温かさの中で、この世界のことをまだほとんど知らない自分が、少しずつ根を張り始めているような気がした。




