5.ひらかれた世界へ
出港を控え、船員達が慌ただしく動き始めた。
いよいよ旅がスタートするのだという高揚感に包まれている。
だけど、それと同じくらい家族と離れることへの不安と寂しさも感じているマリーナです。
タラップを降りた所で家族と最後の挨拶をしようと向き合う。
「お父様、お母様、お身体に気をつけてください。」
「お祖父様、ヴォルフ兄様、アンカーの海をお願いします。」
「では、行って参ります!!」
昨日までにしっかりとした挨拶は済ませているので、これ以上の言葉は必要なかった。
お母様は何度もハンカチを目元に当てていた。
お父様はいつものように穏やかに笑っているけれど、握った手に少しだけ力がこもっていた。
お祖父様とヴォルフ兄様は、力強く頷いてくれた。
「行っておいで、マリーナ。」
お父様のその一言で、胸の奥がきゅっとなった。
泣きそうな気持ちを抑え、振り返らずにタラップを登った。
◇◇◇
マリーナが甲板に上がると、タラップが外された。
そして、出港の鐘が、アンカーの港に響き渡る――――
いつもなら荷を運ぶ人々の声や、商人たちの呼び声で賑わう港が、その瞬間だけ少しだけ静かになった気がした。
『モントリヒト』の帆が、ゆっくりと風を孕む。
青黒い船体に金の装飾をまとったその船は、日の光を受けて、その優美な姿を皆の目に焼き付けた。
「錨を、上げろ!」
船長の声が甲板に響く。
ロープが軋み、帆が風を受けて大きく膨らんだ。
ぎしり、と船体が鳴る。
それは不快な音ではなく、長い眠りから目覚めた獣が、ゆっくりと身体を伸ばすような目覚めの音だった。
港が少しずつ遠ざかっていく様子をじっと見つめる。
もう家族の姿は見えなくなってしまったわね…。
アンカーは、生まれてからずっと、私の世界の中心だった場所。
家族がいて、屋敷があって、大好きな声と言葉に囲まれていた…唯一の場所だった。
それが今、少しずつ小さくなっていくのを見て、寂しくないわけがない。
1人で世界に飛び出すことに、不安がないわけでもない。
それでも、胸の奥はどうしようもなく高鳴っていた。
知らない言葉がある。
知らない国がある。
まだ会ったことのない誰かがいる。
私は、それを知るために世界に会いに行く。
これは、前世で言語オタクだった私が、感じている高揚感なのかもしれない。
だって、前世で叶えられなかったことが実現しようとしてるんだもの。
前世も私の一部なのだから、もちろんそれも私の気持ちで間違いないのだけど…。
でも、いまこの瞬間だけは…。
10歳のマリーナの心が叫ぶ寂しさに、少しだけ身を委ねることにした。
アンカーの港が水平線の向こうに溶けるころ、私はようやく甲板の手すりから手を離した。
「マリーナ様、そろそろお身体が冷えますよ。」
背後からかけられた声にゆっくりと振り返る。
声を掛けてくれた船長が、心配そうにこちらを見ていたので、『大丈夫』と伝えるように微笑んだ。
まだ少し心配の色は見えるものの、安心したように笑顔を見せてくれた。
世界はいま、ひらかれた――――――
◇◇◇
甲板で船長と別れ、船内の自室へと向かう。
今回の旅に際して、お父様がつけて下さった侍女兼護衛が2人いる。
いまは、先に船室で荷物の整理や設備の把握などをしてくれるよう頼んである。
私自身、長期間の船上生活に備えて、お祖父様と船での訓練もたくさんしたので、大抵のことは1人で出来るようになっている。
それでも、他国で高貴な方とお話をする場合は、ドレスの着用などが必要となることも想定されるため、身の回り品の管理や身支度の手伝いが出来る女性の存在は必須だ。
ただ、長期間の航海は女性には負担が大きいことや、護衛船などのいない単船での行動となるため、戦闘なども視野に入れて、余計な人員を増やすことは得策では無かった。
そこで、事情があって海兵を辞めた女性二人が、この二年間侍女教育を受けて、今回の旅に同行してくれることになったのだ。
元々海兵出身のため、船上での生活や戦闘にも慣れているので、女性しか入れない場所での護衛も兼ねており、今回の旅ではかなり力になってくれると思っているわ。
船室に入ると、全く同じ容姿の女性が二人、出迎えてくれた。
「「おかえりなさいませ。」」
「片付けと設備の確認は済んでおります。」
「夕飯まで休まれますか?」
専属侍女兼護衛の『メイ』と『レイ』。
ホンスー出身の双子で、どういう事情かは分からないが2年前まで、バイエルン海兵隊に所属していた。
いつも表情を変えずに、淡々と仕事をこなすので、顔合わせをした当初は、急に侍女をやらされることに不満があるのかと思ったのよね。
でも、この二年間接してきて、そうではないと分かったわ。
育ってきた環境か、性格かはわからないんだけど、どうも感情が表に出にくいだけみたい。
だって、嬉しいときは少しだけ弾むように歩いていたり、興味があることには目をキラキラさせていたり…。
親しい者には、ちゃんと彼女たちの感情は伝わっているのだ。
今だって、目がキラキラしているもの、きっと船室の設備が面白かったのね、と思わず頬が緩んだ。
見た目は、オレンジ色の瞳に、赤茶の髪を高い位置で結っているクール系の美人で、見分けがつかないほど似ている。
服装や髪型、小物に至るまで、まったく同じに整えているので、初対面で彼女たちを見分けるのは、かなりの難易度だろう。
私は、言語関係のギフトを持っているせいか、ほんの僅かなイントネーションの違いなどを捉えることが出来る。
だから、喋っている時は区別がつくけど、無言で控えていると全く分からなくなってしまう。
ただ、彼女たちにとっては見分けがつかないことが、護衛をするうえで武器となるみたい。
だから私も、人前では敢えて個人を特定するような言動はしないようにしているわ。
そして、この二人には面白いギフトがある。
――――《双心感応》。
双子である二人の間にだけ働く力で、声に出さずとも互いの意思や危機感を伝え合うことができる。
そのため、片方が私のそばに控え、もう片方が周囲を警戒していても、二人の判断はほとんどずれないのだとか。
この双子が何故、故郷であるホンスーを出て、わざわざバイエルン領の海兵隊に居たのかは分からない。
もしかしたら、ホンスーに行ったら何か分かるかもしれないわね…。
さて、それじゃあ私も船室の探検でもしましょうか!
そして、海兵隊の船やこれまでの商船ではあり得なかった、シャワールームや水洗トイレに、三人でキャッキャとはしゃぎながら船室を探検したのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます(ღ˘⌣˘ღ)




