Dream.12 『希望のち雨』
アリスが北の部屋の扉を開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
床は血の飛沫や血溜まりがあり、まな板には血塗れの出刃包丁が刺さり、コンロの上の大きな鍋は怪しい雰囲気を放っていた。そして何より、部屋の中央で静かに揺れる遺体がその場の異常さを物語っていた。
「ひぃっ……!」
女学生の目は恐怖で染まり、足を震わせている。口を抑えて今にも吐きそうな様子だった。アリスも顔から血の気が引いている。
「嬢ちゃんはそこで待ってな、俺らが見てくるから……探偵さんもあんま無理しなくていいんだぞ!」
「わたしは大丈夫、仕事だから。アリスは……?」
イヴは動じる気配は無く、冷静に部屋を見通しアリスに声を掛ける。アリスもそれに大丈夫と返事をするが、足元の血溜まりに足を滑らせて頭から転倒してしまった。
「いたたた、ごめんドジっちゃった」
アリスは笑って失態を誤魔化す。やれやれとイヴに手を引かれて立ち上がり、服に着いた血痕に顔をしかめる。
「この死体……なんなんだろな、解体された牛が吊るされているようにも見えるが……」
男性が中央の遺体に目を向ける。その遺体は頭や腕、内臓が取り除かれ、両足の甲にフックを刺した形で吊るされていた。
アリスは何か秘密が隠されてないか調べようとしたが、あまりにも痛々しく見ていられなかった。
「これ、何?」
イヴが遺体に貼られていたらしい紙を剥がし見せる。その紙にはピエロの落書きがされてあり、こちらを煽るような下品なセリフを話していた。これに男性は眉間に皺を寄せる。
「んだ、これ?俺をおちょくってんのか?ふざけんな!」
イヴが紙を捲ると、裏には『血の泉に緑を生けよ』と書かれていた。
「緑…植物?何か意味でもあるのかな?」アリスは首を傾げる。
一同はシステムキッチンに視点を変えた。あるのは、コンロの上にある鍋と乱雑にまな板に刺してある包丁、シンクに流れる血痕だ。
「どれもめぼしいものばかりだけど、1番意味ありげなのは鍋……かなぁ?火をつけて温めれたら制限時間伸ばせたりして……」
アリスはコンロに火をつけようとするが、音がするのみで火は付かなかった。仕方なく恐る恐る、鍋を開こうと蓋に手を掛ける。ほのかに温かい。勇気を振り絞って蓋を開いた。
鍋の中には、並々と血で満たされている。骨ごと肉が押し込められており、骨の先端や浮いた肉が確認できた。
「これは……予備っすか?良かった〜!もう帰れねぇかと思ったわ。いや、全然良くはないんすけど」
「毒は入ってるのかな?」アリスがイヴに尋ねる。
「わからない。確認する方法があれば……」
「毒……確認……、そうだ!銀食器は無いかな?ほら、孤児院の食器にもあったでしょ!」
アリスは手を叩いて思い出す。銀は毒物に触れると黒ずむのだ。
男性がキッチンの引き出しや扉を開けていき、銀スプーンを見つけた。
男性はスプーンでスープを掻き混ぜてみるがスプーンの表面に変化はない。
「毒は無いみたいだな。じゃあ、毒を探しに行かねーと」
「残りの部屋のどこかにあるかもしれない」
男性とイヴが話していると、外から女学生の声が聞こえてきた。
「あの、終わりましたか?大丈夫ですか?」
時間制限もある。あまり長引かせてはまずい、早く次の部屋へ移ろう。
東の部屋は書庫だった。先程の部屋とは打って変わって、不穏さの欠片も無い。女学生は部屋の安全を確かめると身を縮こませるようにして入ってきた。
「無意味な部屋なんて無いだろうから、必要なものがあると思うんだけど……」
アリスは並べられた本棚を見ていくが、数が多くそれらしいものは見当たらない。
「あ、あの!すみません!」
女学生が3人に声をかける。何か見つけたようだ。
「これなんですけど……」
そう言って、女学生が本を差し出す。その本は植物について書かれている本で、その中に気になるものがあった。
「ふむふむ、あるシダ植物にはヒ素を吸収する効果がある……ねぇ。ヒ素って確か毒物だよね、銀を黒くするやつ!もしかしたらあるのかな?ここに」
「そうか!それをスープに入れりゃいいんだな!血の泉に緑を生けよ……そういうことか!」
男性は掌を拳で叩いて納得した。
「偉いぞ!よく見つけたな嬢ちゃん!探偵さんもな!」
男性はわしゃわしゃと女学生とアリスの頭を撫で、ついでにイヴの頭も撫でていった。
女学生の沈んでいた瞳に少し光が灯った。その様子を見て、アリスも頬を綻ばせた。
次の扉を開くと、門扉が開かれていた。門は大理石で出来ており荘厳な雰囲気を漂わせている。そして、その門の先は森に続いていた。
「……出口?」アリスは困惑する。
「も、もしかしたら、植物あるかも……!アタシ探してきます!」女学生は駆け出す。
「待って、独断専行は危ない!」イヴの制止を聞かず女学生は門の先へ進んで行った。
「……シダ植物、シダ植物……!」
少女は夢中だった。初めてか久しぶりか、あんなにも優しくされたのは。だから少女はその期待に応えたかった。もっと、褒められたかった。
ーーだから気づかなかった、背後に迫る黒い影に。
女学生は象の頭を持つ怪物にきつく抱きしめられ、その鼻で彼女の顔を強打する。
「……そんな!」一足遅く、アリスらは少女の元に辿り着く。
女学生は怪物に血を吸われ、みるみると顔が痩け、ミイラのようになっていく。
「なんだあの化け物は!?」男性が叫ぶ。
「あれは、チャウグナー・フォーン!?」
封じられているはずの邪神の出現にアリスは狼狽える。
「違う、体にまばらな斑点がある……あれはチャウグナー・フォーンの兄弟」
「は、早くあの子を助けないと!死んじゃうよ!イヴちゃん!」
アリスがイヴの体を揺さぶる。そうしている間にも女学生の体は萎んでいく。
「そうしたいのは山々だけれど、今は逃げるのが得策」
「どうして!?助けてよ!あの時みたいに!強いんでしょ!?」
イヴは俯き、表情が伺えない。
「アリスを門のところまで連れて行って、早く!」
アリスは男性に指示を出す。イヴは下唇を噛み締めていた。多方向から振動と、鳥が飛び去っていくのが見える。
「チャウグナー・フォーンの兄弟は1体だけじゃない。……わたしでは、守りきれない。……ごめんなさい」
「嫌!嫌だよ!お願い、イヴちゃん!いやぁああー!!」
男性に担がれ、アリスは為す術もなく引き剥がされる。イヴもそれに続いて退却する。
女学生の頬に光の粒が流れて、落ちた。
急いで部屋まで戻り、イヴは門扉を閉める。床に降ろされたアリスは泣き崩れていた。白い床に水玉が出来る。
「……まだ、希望はある。これは、あくまで夢だから」
イヴがぽつりと呟く。それ以外は誰も何も言わなかった。




