夢に向かって
「卓~」
「琴美!?」
突然現れたかと思えば、登場するや否や琴美は卓に抱き付いた。
「どんな格好してこようか迷ってたんだけど、どう?変じゃないかな?」
「まあ……いいんじゃないか?」
「本当?ありがと~」
エルフであることを隠そうともせず、それどころか立て耳や尻尾を主張するかのような服装の琴
美はわさわさと尻尾を振って、久しぶりに会う卓に甘えたおした。
「あらら、これじゃあどっちが担い手なんだか」
その姿に呆れる南。
神楽は元気そうな琴美を見て胸を撫で下ろした。
「もおっ、琴美ったら。心配しちゃったじゃない」
「迷惑掛けてごめんね。私はもう大丈夫だから」
「一時はどうなることかと思ったけど……。でもこれからどうするつもり?ギルドからの援助
が受けられないようじゃ開門橋の開拓も今まで通りってわけにはいかないでしょ?」
「そうだな……、現実的に考えて個人の力で攻略するのは無理だ。悔しいが諦めるしかないだ
ろう」
開門橋とは特殊な場所に繋がるゲートのことを差し、その最深部には世界の秘密が隠されている
らしいが、開門橋の中は迷宮のようになっている上モンスターが住み着いており、単独での探索
は不可能だった。
何度も開門橋に潜ったことのある卓はその場所の危険性も十分理解していて、最前線からは身を
引くつもりでいたが、南のその問いに琴美は口調を改めた。
「あのね、そのことなんだけど……、私、みんなに話しておきたいことがあるの」
「ん?」
「そもそもみんなが開門橋を目指す理由って何?」
「そんなこと決まりきってるじゃない。世界中が血眼になって追い求めてる代物よ?それを自
分の手にすることが出来ればどれだけの栄光を得られるか、説明するまでもないでしょ」
「そう、人間達はあそこにあるものが秘宝や法具か何かと勘違いしている。でも実際にあそこ
にあるのは世界の理、法則を創ってしまえる神の存在なの。この世界はすでに千年以上も同じ時
間を繰り返している。私はそれを変えたくて今まで頑張ってきたの」
「冗談言わないでよ。ならあたし達が今ここでこうしていることが仕組まれているってこと?
」
「別に信じてとは言わない。それを証明出来る証拠も根拠も何一つ存在しないんだから。でも
私には輪廻が見える。あなた達はそれに気付くこともなくずっと同じ時間を繰り返しているの。
だから私はあなた達を救い出してあげたいと思った。でもハーフである私の記憶は断片が激しく
て強い刺激を伴ったものしか呼び起こせないの。卓のこともそうなんだけれど、今までの私はあ
そこで転生を繰り返していた。でも今回ばかりは違う。何がきっかけでそうなったのかは分から
ないけれど、でも初めてあの一線を越えることが出来たの。この四人で掴んだチャンスをどうし
ても物にしたい。協力して!」
「協力って言われても……ねえ?」
突然のその話を南はにわかに信じ切れず半信半疑だったが、卓と神楽は前向きな意見を示した。
「原因はよく分からないが、このまま諦めるわけにはいかないってことか」
「ちなみにどうすればこの世界を救えるの?」
「あなた達ってば……」
「現在の神を倒して私達が新たな神になる。そうすれば世界の理を自分達の手で作り変えるこ
とが出来るの」
「仮にその話が本当だとして、神相手に勝算はあるの?」
「神と言っても元はあなた達と同じ人間なの。神が変わると同時に世界は破壊と創造を行って
新たな世界を生み出す。それが開門橋に隠された秘密。もちろん歴代の神々を倒して今の神が居
るわけだからかなりの使い手であることに違いはないんだけど……。今すぐに返事をくれなくて
もいい。あそこは死と隣り合わせの空間。私も自分のことで精一杯だろうから命の保障が出来る
わけじゃないし、出来ることなら卒業までの一年間、みっちり鍛えてから挑みたいの。考えてお
いてね」
~神によって作られた世界。
琴美が嘘を吐いているとは思わないけれど、正直なところ話の実感は沸かなかった。
琴美に協力するしないはさておき、今の私には技術が必要。
未だ状態変化はおろか形状変化の習得も出来ていないけれど、手応えはあったし徐々に感覚を
掴めつつあった。
この分なら基礎訓練のマスターもそう遠くないはず。
そんなことを考えながら気分よく修行していたのに、例によってまた銀髪のあいつが……。~
「まだそんなことやってんのかよ、のろまだなあ……」
「出たな、この変態」
「第一声目がそれかよ、俺も嫌われたもんだな。それはそうと、お前暦書は読んだのか?」
「暦書?」
「お前にやった厚手の本のことだ。あれにはお前専用の術式が書いてある。そんなまどろっこ
しい練習なんかやめて詠唱を覚えた方が遥かに手っ取り早い」
「術式?詠唱?何のこと?」
「読めば分かる。お前には時間が限られているんだ。あまり無駄にはするなよ」
「何よ偉そうに」
それだけ告げると隼人は踵を返した。
「……あの本、たしか本棚にしまったっけ」
学院の外。
とある場所で神楽の友人である一条綾は、神楽が好意を寄せている相手、柊快都と落ち合ってい
た。
「神楽の調子はどう?あの子ちゃんとうまくやってる?」
「あんたが心配するほど柔には見えないけどな。開門橋の事実を聞いてもぶれないし、エルフ
を見ても全く動じないし、彼女、肝が据わってるよ」
「それはあの子が無頓着なだけよ。神楽は人を外見で判断するような子じゃないからね。それ
はそうと、ちゃんと伝えてくれた?」
「伝えたさ。基礎訓練の仕方から状態変化まで。あんたに教えてもらった通り丸ごと全部な。
けど良かったのか?あの基礎訓練法、あんたが独自で編み出したんだろう?ただで教えてやるに
はあまりにも惜しいと思うが」
「いいに決まってるじゃない。あの子のために研究開発したんだから。あなたのような魔剣を
使う能力者には分からないだろうけど、放出系の能力、その中でも物質そのものを扱う能力者に
は血の滲むような努力が必要なのよ?その分補完状態にまで極めればかなりの力を発揮出来る大
器晩成型のディール。けど神楽って単純だからなぁ……。不器用な人にこのディールって全然向
かないのよね」
「そういう事が言いたいんじゃなくてさ、わざわざ敵を増やしてどうするんだか。世界を握る
のは一人で十分だろ。それに魔剣だって放出系のディールに劣ってるわけじゃない。中途半端な
使い手ならディールの相殺も容易いし、物理干渉の出来ない放出系に魔剣を防ぐ手段はないから
な。何なら月宮で俺の実力を証明してやろうか?」
「冗談言わないでよ、快都。あなたは私の騎士なんでしょ?主人の親友を殺してどうするのよ
。あなたの役目は神楽が無事に神殿までたどり着けるように見守ること。もし手を出したらただ
じゃおかないからね?」
「分かったよ」
「て言うかさ、神楽の話してた相手って快都のことじゃないのよ。あれはどういう事?あなた
が余計なことするから神楽が浮ついちゃってるじゃない」
「そう怖い顔するなよ。あれは単なる偶然だ。あんたはあいつにご執心過ぎるんだよ。どうし
てそんなにあいつに拘る?」
「あの子が私に残された唯一の希望だからよ。まああなたに言っても仕方ないわね。それと、
卓と琴美のこともちゃんとよろしくね。後は手筈通りに頼むわ」
「了解」
~部屋に戻った私は暦書を手に取り軽い気持ちで読み始めました。
しかし目を張るようなことが書かれているわけでもなく、そこに記されていたのはひとつの長
い物語。
主人公らしき少女がその中で懸命に戦っていました。
取り分けて面白かったわけではありません。
ところが私は何か強い魔力に魅せられたかのように、気付けばその暦書を読破していた。~
「うっ、ク~ッ。……はぁ、何だったのかしらこれ。あいつは読めば分かるって言ってたけど
……。南に聞いてみようかな?」
本を読み終えた神楽は大きな背伸びをしたが、本の中に取り分けてあげるような注目すべき点も
見つからず、それを持って南の部屋に押し掛けた。
「これなんだけど、南知ってる?」
「どれどれ?……ふーん」
本を受け取り中身をパラパラとめくってざっくり目を通す南。
その内容に目を見張るものがあったのか、南は表紙や背表紙も見て何も書かれていないのを確認
すると、再び本を開いて神楽に見せた。
「暦書って言ったわよね?一度読んだって言ったけど、あなた、これが読めるの?」
「え?」
「あたし日常会話だけなら二十カ国語ぐらいは話せるけど、こんなでたらめな文字の羅列みた
ことないわ。どこで買ったのよこれ」
そう言われて神楽はそこに書いてある文字が日本語でないことに初めて気が付いた。
しかしそれすらも忘れてしまうほどに慣れ親しんだその文字を神楽はどこで見たことがあるのか
、考えてみたが自分でも思い出せなかった。
「杉並にもらったのよ、そうでもなきゃ私がそんな分厚い本に手を出すわけないじゃない」
「ふーん、杉並君か……」
再びその奇怪な文字へ目を配る南。
しかしそこに隼人の名前が出てきたことによって、南はひとつの可能性を導き出した。
「神楽、ルーンって聞いたことある?」
「ルーン?」
「この世界にはディール以外の能力にもうひとつ、ルーンと呼ばれる術式が存在するの。ディ
ールと同様ルーンの会得には資質が必要らしいんだけれど、ルーンを扱えるのはごく一部の少数
民族だって聞いているわ。そしてディールと異なる点がルーンは詠唱によって術を発動させると
言う事。そのため彼等は特殊な文字列を用いるらしいの」
「これがそのルーンなの?」
「さあどうだか。あなたに心当たりがないのならあたしの思い過ごしだろうけど、あたしに読
めなくてあなたが読解出来る言語なんて他に思い浮かばないし、気になるなら本人に聞いてみれ
ば?」
「ん~、考えとくよ。それよりもさ、次の休みって何か予定ある?よかったら買い物でも行か
ない?」
「別に何もないけど━━、どうしたの急に」
「気分転換よ、気分転換。ずっと学院から出てないし、久々に外へ遊びに行こうよ」
「それもそうね。ここ最近堅苦しい話ばっかりで肩凝っちゃったし、たまには息抜きも必要か
」
~そして次の休日、私達はショッピングモールへ出かけた。
地元が田舎だったわけでもないけど、やっぱり都会は一味も二味も違って、時間も忘れて楽し
んでいると気が付けば日はすっかりと傾いていた。~
「ちょっと遅くなっちゃったわね」
「でもスッキリしたでしょ?やっぱ学生はこうじゃないとね~」
「それでも限度ってものがあるでしょうが。神楽って本当変わってるわよね。よく言われるで
しょ?」
「失礼な。私はね、自分の気持ちには正直に生きたいの」
「良いわね、そう言うの。あたしも好きよ」
両手にこれ以上ないほどたくさんの荷物を抱えて、満足げな神楽の様子に南を微笑みを見せ、そ
んな神楽に見知らぬ男が声を掛けてきた。
「御影の特待生って君かい?」
「この人誰?神楽の知り合い?」
「私知らないよ?こんな人」
「正解みたいだな。君には悪いが、ここで死んでもらうよ」
神楽の名前を耳にするや否や魔剣を取り出し切り掛かるその男。
それにいち早く反応した南は荷物を投げ捨て腰から短剣を引き抜き応戦した。
「随分物騒な真似してくれるじゃない。見ない顔だけど、御影の生徒じゃないわね。誰の差し
金?」
「おいおい、あんまり出しゃばると痛い目見るぜ?」
「くっ━━」
「下がって南!」
力に押し負け体勢を崩される南。
そこへ神楽はディールを使って炎をぶつけたが、男はそよ風を切るかのごとく炎を打ち消した。
「ふんっ、子供騙しが」
「嘘!?」
<まだ実用レベルには達してないか。かと言って私も戦闘は苦手なんだけど……、やるしかな
いか>
火力こそ上がっていたが、対戦闘用に使うにはまだまだ実力不足の神楽を見て、南は覚悟を決め
た。
小さな手榴弾を取り出し、安全装置を外す。
稀に見ぬディールを使わない彼女の戦闘方法に男は度肝を抜かれた。
「爆弾!?」
飛んでくる手榴弾を回避し、爆風を逃れる。
ところが南はそこへ更なる追い打ちを掛けた。
両手にハンドガンを構えて乱射する。
その一部を魔剣で防ぎつつ、被弾しながらも距離を詰めてきた男に対し、南はポニーテールに刺
していた簪を引き抜いて男に投げ飛ばした。
「髪止め?神経毒か!」
その一本だけは確実にかわし、着実に距離を詰めた男はそのまま魔剣で切りかかった。
南は弾切れと同時に銃を捨てて両手を短刀に持ち替え、片手で相手の魔剣を受け流すともう一方
でその懐目掛けて短刀を薙ぎ払った。
軽い短刀相手にゼロ距離での戦闘を好ましく思わなかった男は程良く身を引いて相手の間合いを
抜けたが、それを読んでいた南は自らもまた距離を取り、ガソリンの入った瓶を放り投げると火
のついた特殊な銃弾でそれを打ち抜いた。
男の頭上で瓶が爆発して、ガラスと炎を撒き散らす。
流石の動きに男も火に呑まれ、息をもつかぬその攻防戦に神楽はただ見守ることしか出来なかっ
た。
<これが実戦なの……!?>
ところが炎に呑まれ、ガラス片を浴びながらも男はまだ闘志を燃やしていて、再び立ち上がると
南に飛びかかった。
それをワイヤーで受け止める南。
それを鞭のように使って魔剣を弾くと、器用な手付きでそれを操作し、男に打ち付けた。
防戦一方になりつつある男だったが、徐々に彼女の戦闘法に慣れてくると攻略そのものは容易か
った。
「舐めやがって!!」
鞭を打つタイミングをうまく見計らって、弾くと同時に南の懐に飛び込む。
あまりにも的確なその間隔に南は鞭を戻すことが出来ずに目を見開いた。
南の腹部を男の魔剣が一刀両断する。
大量の血しぶきを上げて、南はその場に倒れ伏した。
「南……、南!南返事して!南!!」
「手間掛けさせやがって」
心配した神楽が南の元へ駆け寄ったが、神楽にはどうすることも出来ず、ただただ声を掛けるこ
としか出来なかった。
「ねえ、目を開けてよ……。南ってば……」
「次は君の番だ。俺も生活が掛かってるんでな、悪く思わないでくれ」
<嘘でしょ……?私も死ぬの……?こんなところで━━。まだ何もしてないのに。何も出来ず
に居るのに。こんなのって……>
容赦なく歩み寄るその男。
成す術もなく涙ながらに視線をそらした神楽だったが、男が剣を振り上げたその時、妙な影が上
から飛んできた。
「そいつは悪いな。こっちにも事情があるんだ」
死神が持つような大鎌を片手に男の首を一瞬で刈り取る。
神楽がその異変に気付いて目を開けると、そこには銀髪をしたあの隼人がいた。
「見せてみろ」
隼人は重傷を負った南の容態を一番に確認したが、それを目にした瞬間息を呑むと気まずそうに
目を背け、病院へ運んだ。
「っ……、急ごう……」
深夜の病棟はとても静かで、照明の落された廊下はただ寂しさと孤独感だけを彷彿させた。
集中治療室の待合席に座って死んだような目でそこにたたずむ神楽を見て、壁にもたれかかった
隼人は声を掛けた。
「元気出せよ、お前が落ち込んでたって仕方ないだろ」
「私に話し掛けないで。この人殺し」
「やらなきゃこっちがやられてた。氷室から聞いているはずだ。あれぐらいのこと、この世界
では日常茶飯事なんだよ」
「だったら人を殺してもいいって言うの!?ふざけないで!ならあんたもあいつと一緒じゃな
い!!」
「当たり前だろ、全員覚悟の上だ。誰だって人殺しは悪いことだと認識している。だがそれ以
上に守りたいものがあるから俺達は必死になるんだ。別に俺は何を言われようと構わないが、氷
室の気持ちだけは無駄にしてやるな」
「ぅっ━━」
「あの男だって今日を生きるのが精一杯だったんだろうよ。今まで普通の暮らしをしてきたお
前には分からないかもしれないが、ここはそういう世界なんだ」
隼人の厳しい発言に言葉を呑む神楽。
多くの人間が騎士を持つのはそう言ったものを未然に防ぐための抑止力となるからでもあるが、
今頃それを知ったところで後の祭りだった。
南もその点は十分に留意していただろうが、そもそも下界出身者の人間が騎士を持つのは難しく
、そう言った諸々の事情を知る前にリタイアすることが大半で、神楽は命があっただけ幸せな方
だった。
「どうせ分からないわよ。あんたみたいな感情を捨てた人間と違って、私には心がある。二人
の戦いを見てたら怖気づいちゃって足が動かなかった。そのせいで南は……」
だが例えそれが現実だとしても、今まで普通の生活をしていた神楽にそれだけのものを背負う覚
悟はなかった。
住んでいる世界が違う。
下界と言う言葉はただの表現であるが、彼等が神楽のような何も知らない人間に対し使うのは生
まれ云々よりも主に精神面に関して使うことの方が多かった。
自分達は命を掛けて世界の秘密を求めている。
そこへ生半可な気持ちで飛び込めば痛い目を見るのは至極当然のことだった。
御影学院、
そこはそれらをすべて理解した人間が頂点を目指すために集まる生と死が交差する場所なのだ。
「怖いなら逃げればいい。学校を辞めれば今まで通り平穏な毎日を過ごせる」
「友達を見捨てろって言うの?」
「それが嫌なら強くなれ。失いたくないなら自分で守るしかないだろ」
「簡単に言ってくれるわね。どうせ私なんか頑張ったところで……」
ディールを開花させ、一流企業への就職。
それが当初の目的であったがこの数カ月間の訓練で得たものは少なく、ハッキリと言ってそれす
らも難しい状態の自分に彼等と同じ土俵で戦うのは無理があった。
その時治療中のランプが消え部屋から医師が出てくると、神楽は慌てて席を立ち上がり声を張っ
た。
「あっ、南は?南は無事なんですか!?」
「何とか一命は取り留めました。処置が早かったため直に目も覚めるでしょう。しかし━━」
「え……!?」
その言葉に神楽は凍り付いてしまった。
まるで崖から暗闇の中へと突き落とされたような感覚。
黒い渦の中へと彼女の心は呑みこまれ、その後も医者が何かを喋り続けていたがその声は神楽に
は届かず、医師はお辞儀をすると彼女を残してその場を去り、隼人は何も語らず目を逸らした。
明くる日、神楽は南のお見舞いをするため再び病院を訪れた。
それに付き添う隼人。
前日のこともあり、今の神楽にとって隼人が側に居ることは何かと心強かった。
コンッ、コンッ、とドアをノックすると中から南の声が聞こえ、神楽は扉を開けて入った。
「どうぞ」
「具合はどう?南」
「なんだ神楽か。いらっしゃい」
「あ、うん。お邪魔します……」
ベッドにこそ座っているが、いつもと変わらぬ様子の南に神楽は何故か心苦しくなって俯いた。
「どうしちゃったのよ。なんか余所余所しいじゃない」
「え?そうかな……?」
「まさか気にしてるの?悪いのは神楽じゃないんだから」
「だけど私が買い物になんて誘わなければ━━」
「あー、もうっ。それは言わなくていいのっ!琴美が言ってたじゃない、多分あたしはこうな
る運命だったんだよ」
「南……」
普段の何気ない笑顔や、いつも自信あり気な様子で自分を支えてくれた彼女の言葉、それらが今
となっては神楽の心に深く突き刺さり、神楽は胸が苦しかった。
「それにあたし、実は内心ほっとしてるんだ」
「どういうこと……?」
「なんか諦めがついたっていうかさ、あたしってディールが使えないでしょ?どれだけ鍛錬を
積んでも生身の体じゃ限界がある。いくらあたしが必死になったところであなた達のところへは
届かないのよ……。助けてくれたのって杉並君なんでしょ?ひとつ借りが出来ちゃったわね」
「別に大したことはしてねーよ。現に間に合ってなかったしな」
「ううん。本当に助かった。本当に……。ありがとう。もしもあれが開門橋での出来事だった
ら、きっとあたし今頃死んでたと思う」
「そんなことないよ。南すごかったじゃない。あれは相手が悪かっただけで━━」
「ううん。相手がどうとかじゃないの。この世界では勝つ以外に生き残る方法はないのよ。負
けたら最後、すべてを失う。きっとあたしには無理だったのよ、世界の秘密を解き明かすことな
んて。おこがましいことだったわ。死ぬ前にそれが分かってよかった」
「南……」
元気付けようとする神楽の言葉を遮り、自分の未熟さを痛感した南は珍しくも弱音を吐いた。
それ口にした瞬間、今まで我慢していたものが瞳から雫となってあふれ出し、彼女は布団に顔を
うずめた。
「でも……そう思ってしまっている自分が一番悔しい……。何のために今まで頑張ってきたの
よ……。こんなことならいっその事……。……ごめん、今は一人にして……」
病室を後にした神楽は悄然とした南を見て帰ることが出来ず、ベンチで腰掛けていた。
「ほら」
「いらない」
気を利かせて隼人がジュースを差し出したが、今の神楽はそれどころではなかった。
「……まだ気にしてるのか?」
「ねえ、なんとかならないかな?南の足……」
「今の医学じゃまず無理だ。脊髄損傷による下半身麻痺。あの傷じゃ命があっただけマシと思
うしかねーよ」
「そうよね……」
「けど全く方法がないわけじゃない」
「本当?」
「しかしそれにはお前の決意が必要だ。どんなことにでも立ち向かえる覚悟がな」
「南は私の親友よ!あんな顔されて放っておけるわけないでしょうが!」
「親友か……。親友なんてお前がそう思っているだけで、実際蓋を開ければろくな関係じゃな
いぜ?」
「いいから教えなさいよ!」
「お前が変えればいい。神を倒し、この世界の仕組みごと全部をな。そうすれば氷室を元通り
にしてやることも出来る」
「それって……。私にどうしろって言うのよ。いざ本番になったら何にも出来ないじゃない…
…。私なんかが頑張ったところで……」
「強くなりたいか?」
「なりたい……。けど私には無理よ」
「無理なもんか、暦書は読めたんだろ?なら後はやる気の問題だ」
「そういえばあの本に書かれていたのって」
「あれは今までの記録だ。この世界に縛られてもなお必死に抗い続けるお前のな」
「どういう事?」
「長瀬から聞いてるはずだ。この世界は同じ歴史を繰り返している。その止まってしまった時
間を動かすために、お前はこれまで何度も神に挑んで来たんだ。だがこの世界は同じ時間軸を永
遠にループし続けている。つまり何度やっても神には勝てないってことだ。だがそれはあくまで
現世においての話。だから霊界が見えるエルフはその事象を不審に感じるし、異界である開門橋
に身を置く神はその影響を受けない。現在の神の強みがまさにそこなんだが、それに付け込んだ
お前は現世の時間軸をずらすために過去と現代を繋ぐ媒介を用意したんだ。それによって世界は
少しずつ変わり始めている。神を倒すなら今しかない」
「どうしてあなたがそんなことを知っているの?あなた一体何者?」
「俺か?俺はお前の力の一部だ。ルーンによって作り出され、お前の記録を繋ぎ止めるための
死神だよ」
「死神……?」
「お前達が神に殺される筋書きはすでに出来上がっている。その時間軸をずらすためにお前は
死なない人間を用意する必要があった。しかしこの世にそんな人間は存在しない。だからお前は
作ることにしたんだ、意思を持つ不死の人間を。そのための術式はすでに解明されていたが、そ
の代償としてお前は力の大部分を失うこととなった。その結果が今のこの状況を作り出したんだ
」
「何を言い出すのかと思えば━━、そんなでたらめな話信じられると思う?百歩譲ってそれが
事実だとしても、そうだとしたら今の私には力がないってことなんでしょ?それじゃあどの道一
緒じゃないのよ」
「勘違いするな、失ったのはルーンの力だけだ。資質がなくなったわけじゃない。ルーンは術
式さえ覚えればまた使えるようになるし、失ったと言ってもお前の中にないだけでここに形とし
て実在しているだろ。つまりは回収することも可能なんだ。騙されたと思って暦書通りにやって
みろ、俺も手伝ってやるから」
~そうして私は基礎訓練を止めて術式を暗記する毎日を送った。
彼の言った通り詠唱よって力を発揮することが出来たし、今までのような細かなセンスが必要
となる場面もなく、私は日に日に使える術を増やしていった。
そして術式を一通りマスターした頃、彼の提案で実戦訓練が始まった。~
「まずはこれに着替えろ」
「ちょっと何よこれ、巫女装束じゃないのよ。隼人、突然女の子にこんな注文してきたら普通
引くわよ?あんた趣味悪すぎ」
「んなわけあるか。お前の服だよ」
「私の?」
「俺が神社の跡取り息子なわけねーだろ。元々の跡取りはお前だ、神楽。時間軸がずれたせい
で以前と周りの環境が少し変わってるんだ」
「そういえば南がそんなこと言ってたっけ。ねえ隼人、それってつまり私にも許婚がいるって
こと?」
「居たには居たが、お前そういうの全く聞き分けないだろ。当の昔に破談しちまってるよ」
「そうなんだ、昔の私やる~♪」
「褒めてないからな」
「それはそうと、こんな服着て意味あるの?」
「式紙と呼ばれる仕込み武具を使うためだ。氷室ほどバリエーションに富んじゃいないが、式
紙だけでも臨機応変に戦える。後は使いながら説明する方が分かりやすいだろう」
隼人に言われるがまま白と赤の巫女装束に着替えてきた神楽を見て、琴美は彼女を絶賛した。
「すっご~い。とっても似合ってるよ、神楽」
「ちょっとやめてよ。死ぬほど恥ずかしいんだから……」
卓や琴美のような奇抜な衣装を身につけている者の多い御影では神楽の服装は然程珍しくなく、
琴美は和服美人な神楽を見て本音を言ったまでだが、慣れない正装に神楽は顔を耳まで真っ赤に
していた。
「式紙は元はただの和紙だが、そこにルーンの力を加えて武器のように扱うことが出来る。剣
なり槍なり、自分の気に入る形にすればいい」
「ちょっと待ってよ隼人、私武器なんか使えないって。ディールだけでなんとかならないの?
」
「お前のディールは属性が火だ。対する神のディールは水。ディールでの対決じゃお前に勝ち
目はない」
「何よそれ。私との相性最悪じゃないのよ」
「和紙ってつまり、濡れてもまずいんじゃないのか?それに月宮のディールが火じゃ併用も出
来ないだろ」
ぼやく神楽の傍ら、卓はすぐにその欠点を見抜いた。
「だな。かと言ってこいつに鉄で出来た武器が扱えるわけないし、いくら紙だからと言っても
ルーンで強化している以上そう簡単に破れやしねーよ」
「ねえ隼人、私って今までどんなふうにこれ使ってた?」
式紙を袖口から取り出し、神楽は試しに弧を描いて弓を作って見たが、あまりしっくりとはこな
い様子だった。
「それは秘密だ。確かに今まで通り使うのが一番無難な選択ではあるが、先入観で武器の形を
決めるのはよくない。それに式紙の一番の利点は決まった形がないことにある。出来ればいろい
ろと試してみて新たな可能性を引き出してくれると嬉しいんだが……。分かってると思うが、相
手はこちらの手を知り尽くしている。戦いが長引けば不利になるのはこっちだ。理想は不意を衝
いた短期決戦なんだが、能力上前回と違った戦いが出来るのはお前だけなんだ。その点は十分に
留意してくれ」
「はいはい」
再び式紙を握り、和紙の持つ独特な感触を手に焼き付ける。
軽さや強度にも問題はなく、神楽自身これなら自分にでも扱えそうな気がした。
<待っててね南。私が世界を変えて見せるから>
そうして隼人を相手に神楽は実戦訓練を始めた。
「あまりひとつの形状にこだわるな、もっと式紙の特徴を活かせ。武器の間合いを自在にコン
トロールするんだ」
双剣をイメージして両手に構えた式紙。
慣れないに実戦のため戦い方は単調だったが、初めてにしては式紙の扱い方も上手く、隼人の指
摘を受けて神楽は式紙の形を変え、形としては申し分なかった。
「上出来だ、筋がいいし飲み込みも早い。だいぶ昔の感覚が戻ってきたみたいだな。まあ持久
力にはやや問題がありそうだが……」
訓練は終わったが神楽はゼェゼェと肩で息をしながら膝に手をついて、しばらくの間一言も口を
利けず、その間に卓はこれからのことを尋ねた。
「それで開門橋にはいつ乗り込むんだ?」
「いくら時間軸がずれたからと言ってこの世界がループしていることに変わりはない。いつま
た時間がリセットさせるとも限らないし、幸か不幸か神楽も必要最低限の戦闘は出来る。早々に
蹴りをつけてしまう方が得策だろうな」
「けど中の攻略はどうするんだ?俺達もまだ開拓途中だし、どこまで続いてるのかは未知数だ
。ギルドの援助が受けられない以上遠征隊を組むのも難しい」
「それは問題ねーよ。神の居る神殿までのルートなら俺が知っているし、雑魚の処理はもう頼
んである。……な、柊」
そこへ丁度現れた快都を迎え入れるように、隼人は話を振った。
「なんであんたがしたり顔してんだよ。めんどうな役ばっかり押し付けやがって。月宮の御守
りは別に俺でもよかったんだろ?」
「柊君!?どうしてここに?」
「悪いな月宮。別に騙してたわけじゃないんだが、お前に取り入るために近付いたことは謝る
よ」
「すでに顔見知りだと思うが柊も元々俺達の仲間だったんだ。俺のように過去の記憶があるわ
けじゃないが、御影に入学する前から事情は説明してある」
「何よそれ、嘘でしょ?まさかあの時のナンパもやらせだったわけじゃないでしょうね?」
「そうひがむなって。俺があんたの正体を知ったのは御影で会ってからだ。それまでのことに
は噛んじゃいないよ」
「どうだか━━」
神楽は自分だけが仲間外れにされていたように感じヘソを曲げたが、そんな彼女に琴美は耳打ち
をした。
「でもその方が神楽にとっても嬉しいんじゃない?せっかくの思い出なんだし、これって運命
の糸で繋がってるのかもしれないよ?ここは柊君に近付くチャンスだと思って、ねっ!」
「しょうがないなあもう。まあいいわ、その代わり今度ご飯にでも連れて行ってね、もちろん
柊君のおごりで」
「現金なやつだな」
「何バカなこと言ってんだよ、そんな暇があるわけないだろ。柊が帰って来たってことは開門
橋の中の準備が出来たってことだ。なら道はもう開かれた。南を早く助けたいんだろ?世界を変
えるぞ、今度こそ」
「うん!任せといてよ」
そして私達は大きな一歩を踏み出した。
この悲しい苦しみの連鎖を断ち切り、まだ見ぬ明日を目指して。
開門橋と呼ばれるゲートを乗り越え、彼女達は神が存在すると言われるその世界に足を踏み入れ
た。
その内部は薄暗く、ゴツゴツとした岩肌は自然の洞窟と寸分違わぬものだったが、その静けさと
ひんやりとした空気はどことなく重さを感じ、ピンと張り詰めるような緊張感を彼女達に与えた
。
迷宮のように入りくねった道を隼人が先導する。
しかし隼人はその風景に微妙な違和感を覚えた。
「おかしいな、前回と少し様子が違う」
「しっかりしなさいよ。ここの構造を知ってるのはあんただけなんでしょ?」
立ち止まってしまった隼人に神楽が文句を言ったが、後ろを歩いて居た快都は立ち止まることな
くそのまま彼等を引率した。
「神殿はこっちだ。あんたの教えてくれたルート、少し間違ってたぜ?おかげで攻略までにか
なり手間取った」
「そんなはずはないんだが……」
「時間軸とやらがずれたせいなんじゃないか?それにしても柊ってかなり腕が立つんだな。こ
の辺り一帯魔獣や魔物の住み処だっただろ」
ここを探索していた時間は恐らく卓が一番長く、モンスターに幾度となく苦しめられた彼は平然
としている快都の様子に半ば驚いた。
「あれは神殿を守るための使い魔だ。所詮は神の使いっぱしり。流石のあんたには負けるよ」
「それにしても一匹も見かけないね。以前はうじゃうじゃとしていたのにどうしちゃったんだ
ろう?」
卓と共にここへ何度も潜り込んだ事のある琴美も、獣の呻き声一つしないしんとした空気に異変
を感じていたが、それを聞いて神楽は怯えたように琴美の背中に捕まった。
「ちょっと変なこと言わないでよね。本当に出来たらどうするのよ」
「安心しろ。そうならないために俺が先行してやったんだから」
「そうだったんだ。やっぱり柊君は頼りになる~♪どこかの誰かさんと違って」
「なんで俺を見るんだよ」
「べっつに~」
「ったく━━。かわいくねーなあ」
「むっ」
これ見よがしにこちらを垣間見た神楽に隼人は呆れながら愚痴をこぼしたが、その一言に神楽は
口をへの字に曲げた。
しかしそうこうしているうちに目的地までたどり着き、まるで緊張感のない彼等を快都が叱咤し
た。
「おふざけはそれまでだ」
「ここが……」
「神の居る神殿……」
初めて見るその場所に卓と琴美が息を呑む。
そこには大きな鉄扉があって、これまでの鍾乳洞のような外観とは違い、明らかに人工的に造ら
れたものだった。
その光景に皆の気持ちが切り替わるのは早かったが、まだこれから起こる現実を理解し切れてい
ないのか、ぼんやりと扉を眺め続ける神楽を見て隼人は声を掛けた。
「なあ神楽、ひとつ確認しておきたいことがある」
「ん?」
「世界を変えるためには神の存在を倒さなければならない。お前、その意味が分かってるんだ
ろうな?」
「何よ今更。確かに隼人のこと軽蔑しちゃった時もあったけど、誰かがやらないとこの世界は
変えられないんでしょ?友達が傷付くところなんて私はもう見たくない。争いはここで終わらせ
る」
「ならこれから先何があっても踏みとどまるな。周りのやつが倒れても、過酷な現実が突きつ
けられようと、誰かが神を倒せば決着が付く」
「分かってるわよ。それで今までのことを全て帳消しにする。誰も傷付くことのない幸せな世
界に」
そうして鉄の扉に手を伸ばす。
長く使用されたことがなかったのか、扉は開き始めると同時に砂ぼこりを巻き上げ、神殿の内部
からは微かな明かりがこぼれ始めた。
広い神殿造りのその内部は大した装飾品もなく、唯一あるのはメラメラと燃えた炎を抱える中央
の巨大な灯台だけだった。
その下にぽつんと座り込んだ一人の少女。
まるで彼女達を待ち侘びていたかのように少女が顔を上げると、神楽はその姿に目を疑った。
「おかえり、神楽」
「え……?どういう事……?なんで綾がここに居るのよ!」
「それって言わなきゃダメ?私もそろそろ説明し飽きたんだけど。あなたがここへ来るのもこ
れで8回目になるわ。性懲りもなくやってくるなんて、やっぱりあなたは変わらないわね」
「嘘でしょ綾。綾がこの世界を作ったって言うの?一体何のために!」
「あら、ここへ来たってことは世界の理は知ってるんでしょう?変わらないために、私は今を
望んだの」
「変わらないために……?こんな閉鎖された世界にどんな意味があるって言うの?」
「あなた達に気付かせるためじゃない。ただ生きているだけの人間は生きる価値がないってこ
とにね。世界はこんなにも醜い。形だけの身分に踊らされ、金と力が物を言い、弱者は何の抗い
も見せずにただ這いつくばっている。あなたもあなたよ、神楽。自分は関係のない人間だと思っ
て周りのことには目も向けない。元から幸せな人間は今ある幸せに気付きもしないんだから。ほ
んと、笑っちゃうわよ」
鼻で嘲笑う綾のよそで、神楽は幼馴染を相手に動揺を隠せなかった。
「何を言ってるの?どうしちゃったのよ綾。あなたがこんなことするはずないでしょ?」
「知った口聞かないでくれる?あなたに私の何が分かるのよ。あなたは覚えてないでしょうけ
ど、遠い昔、私達は同じ高校に通っていたわ。あなたが今居る、あの御影学院にね」
「どう言うこと?」
「当時からルーンの資質を持っていたあなたは御影からの招待状を受け取った。かく言う私も
ディールの才能に期待はされていたけど、家庭は貧しく入学金が出せるはずもなかった。だけど
両親は将来のことを考え巨額の借金まで背負い込んで私を御影に入学させたわ。そのおかげで私
の能力は見事に開花した。でもそれからよ、現実に裏切られたのはね。当時から御影は開門橋の
ことを知りつつも秘密裏にしていた。そのため下界出身者である私がここの情報にたどり着いた
のは卒業間近の事。それまで争い事が頻繁に行われてるなんて知りもしなかったわ。私がそれを
知るきっかけになったのはここのことを知ったあなたが私に話を持ち掛けてきたから。争いのな
い世界にしたいとね。一流企業に就職するはずだった私だけど、それを知ってしまった以上放っ
ておくわけにもいかないし、親友であるあなたの頼みを断る理由もなく私は二つ返事だったわ。
そして御影の手を借りて無事神を倒すことに成功した私達だったんだけど、問題が起きたのはそ
の後。神になれるのがたった一人だと知った私達は誰が神になるかでもめたのよ。途中で多くの
死者も出たし、話し合いでその場が治まるはずもなく内輪揉めが始まって最後には仲間同士で殺
し合い。これじゃあ何のために神を倒そうとしたんだか━━」
「でもつまりそれって綾が生き残ったってことなんでしょ?ならどうして世界を変えてくれな
かったのよ!争いのない世界に!」
「無理よそんなの……。人間と言う生き物は自我の成長と共に私利私欲を考え出す。もしそれ
が人の業ならば、人間は争う事でしか自分の価値を見出せないのよ」
人の醜さを知った綾は悲嘆に暮れていたが、それを聞いた琴美は黙っていられなかった。
「でもそれはあなた達の持って生まれた性質じゃない。それによって人類は高い文明と技術を
手に入れた。競い合うことすべてが悪い結果を生むわけじゃないんだよ?」
「結局は犠牲と引き換えに得た対価でしょ?エルフのあなたには分からないかもしれないけれ
ど、人は死んだら最後生まれ変わることなんてありえないのよ。輪廻と言う概念があったとして
も、人にはそれを識別する手段がないからね」
「そっか……、神楽が居ないんだ……」
親友を犠牲にして得た平和と言う名の幸福。
しかし彼女にとってそれは幸せと呼ぶには程遠い現実だった。
「遠征には十年掛かったわ。でもむしろ十年で済んだのが奇跡と呼ぶべきかしら。あなた達を
含め、その年の学生は豊作だったわ。だけどそれでも足りなかったよ。家に帰ってみれば巨額の
借金が火種となって家庭は崩壊状態。友人もすべて失い、私に残されたのは神としての力だけ。
そんな世界で生きてる意味があると思う?所詮人は欲望の塊。現実を叩きつけられた私も気が付
けば自分の幸せを願っていたわ」
「どういう事?ならどうして私達が争うことになっているの?」
「私が望んだのは変わらない世界。でもそれは今と言う現在の事象を否定するものではなかっ
たの。私だけが生き残り、あなた達の生はこの世界には存在しない。この世界はその理を忠実に
再現しようとしているの。だからごめんね、神楽。どれだけ後悔しても、どれだけ望んでも、世
界はもう変えられないのよ」
「グハッ━━」
突然背後から剣で心臓を一突きされた卓が血反吐を吐く。
卓は反撃することも叶わず、死に際に後ろを振り返るとそこには快都の姿があった。
「すまない。出来れば騎士としてあんたとは正々堂々戦いたかったが、勝つために手段は選べ
ないんでな」
「柊……、お前……」
全身から力が抜けて行き意識が朦朧とする。
何もすることが出来ず快都が突き刺した剣を引き抜くと、卓はそのまま力尽きた。
琴美の瞳にその光景が強く焼き付く。
それは敵を認識した時の反射行動だったのか、あるいは怒りで逆上してしまったのか、琴美は迷
うことなくディールを発動させたが、隼人が慌ててそれを止めた。
「卓!?」
「止せ長瀬!!」
「いでよ!ミカエっ、ル……」
突如魔法陣が浮かび上がるが召喚するまでには至らず、それよりも早く快都は琴美を斬り捨てた
。
「あんたの能力は神の力にも匹敵するが、騎士が居ない以上あんたにその能力は使えない」
卓に続き琴美も倒れ、その一瞬の出来事に神楽はまるで反応出来なかった。
「礼上君!?琴美!!」
「どういうことだ柊!なんでお前が綾と組んでやがる!」
隼人が仲間だと思っていた快都を鋭い眼差しで睨む。
しかしそれに答えたのは綾の方だった。
「本来卓と琴美はここへは来ないわ。例の異端審問によって二人は解散するはずだったからね
。変に時間軸を捻じ曲げようとするからその皺寄せとして快都の立ち位置が変わったのよ」
「嘘でしょ……?柊君……。何かの間違えだよね……?」
「ちゃんと忠告しただろ?月宮。真実なんて実際こんなものだ。馴れ合うことに意味はない。
本当のことを知らなければ、夢だって見られたのにな」
「そんな……」
「柊、テメェ……」
快都が綾の横へ付き二対二になったしまった上、神楽は絶望の淵に瀕し最早戦える状況ではなか
った。
「勘違いするな、杉並。あんたの話が来る前から俺は彼女の騎士として、うっ━━」
「勘違いしてもらっちゃ困るのはあなたの方よ。あの二人を始末した以上あなたにもう用はな
いわ」
何のためらいも見せることなく快都を裏切った綾はその手で彼を殺した。
「バカな!味方を……?」
「ふっ、味方?どうせみんな死ぬんだから一緒じゃない」
隼人の驚愕振りがさぞ意外だったのか、黒く汚れた笑みを浮かべた綾。
誰の力も信じない。
誰の命も厭わない。
そんな彼女の今の生き方に、神楽の怒りは炎となって身体の外にあふれ出した。
「綾……、あんたって子は━━。許さない!!」
熱く燃え上がる炎が龍のように綾へ襲い掛かる。
怒りに感けて我を忘れた神楽はその時形状変化を完全にマスターした。
襲い掛かる炎に臆することなく、綾もディールを発動させた。
地面から水が現れると、それは円を描くように回転して勢い良く立ち昇る。
水柱によって炎の進行は阻まれたが、神楽はその間を縫って綾の下へ急接近した。
そうして式紙を取り出し斬り掛かるが、綾は手で水を固めて応戦した。
「氷!?」
「私もディールの系統としては神楽と一緒なの。でも水や炎じゃ剣のような物体としての役割
は果たせない。だから私は水を状態変化させることにした。神楽ってさ、昔からディールの扱い
は苦手だったよね。あなたに出来るのは精々形状変化がいいところ。ディールで私に勝つのは不
可能よ!」
「くっ━━」
式紙を弾き返すと同時、ニードル状の氷の刃からは水が斬撃となって神楽を押し飛ばした。
「だがお前にはルーンがない!」
「そうね、不死であるあなたの存在は確かに厄介だったわ。けどあなたの実力は快都よりも更
に下。卓ならまだしも、私の敵じゃないわ」
その隙を狙って隼人が綾に向かって大きな鎌を振り上げる。
綾はそれを屈んでかわすと隼人の足を蹴り払い、浮いた隼人を蹴り飛ばした。
隼人は綾の蹴りを鎌で受け取るも遠くへ弾き飛ばされる。
ディールの力も去ることながら、神の座を勝ち取っただけのことはある綾は体術においても相当
な実力者だった。
「目を覚まして綾!あなたが世界の理を変えてくれればこんな争いしなくて済むのよ!」
「もう遅いわ!開門橋の使い魔は私が全部追い払った。ここで一度時間をリセットしなけば、
止め処なく挑んでくる挑戦者の数に私も押し負けてしまう!」
「追い払った?一体何のために!?」
「あなたのために決まってるでしょ!?あなたが殺されるところなんて私は見たくない。私が
何のためにこの世界を作ったと思ってるのよ!」
「ふざけないで!そんなこと私がいつ頼んだのよ!綾が勝ったんだからそれでいいじゃない!
ちゃんと前に進んでよ!ちゃんと私達のこと受け止めてよ!!」
「あなた達の死を受け入れろって言うの!?出来るわけないでしょうが!世界の理は神の深層
心理を映し出す。私にはもうどうすることも出来ないのよ!!」
「この分からず屋っ!」
攻守攻防、互いに一歩も譲らぬ戦闘が繰り広げられる。
式紙を用いた神楽の戦術は綾のそれよりもリーチや汎用性が高く、押しているようにも見えたが
それら全てに対応仕切る綾の実力も大したもので、そこにディールの力が加わると形勢は一気に
逆転した。
地面が凍り付きそこから氷柱が飛び出す。
神楽はすぐさまその場を飛び退いたが、綾はそこに追い打ちを掛けた。
手にしていた鋭く尖る氷を投げつける。
それもひとつだけに収まらず、一投目に続き二投目三投目と、幾多にも渡る投擲を神楽は式紙で
何とか弾き止めたが、氷に混じった一本の水に気づけなかった。
式紙では水を受け止められず、神楽はそのまま顔に水を被ると次弾を捉えることが出来ず傷を負
った。
「ぅっ━━」
痛みにうずくまる神楽。
綾はそんな彼女を哀れいだ。
「もういい加減諦めてよ、神楽。私も親友のあなたを殺す時だけは、何度やっても自分を殺し
きれないのよ」
「嫌よ!もしも綾が本当にまだそう思っているのなら、この世界から救う手立てだってあるは
ず。私達の思いは今だって変わらないはずよ!」
「神楽のそういうところ好きだけどさ、あなた、優しすぎるのよ……。今だってそう、世界が
救われれば自分は死んでもいいと思っている」
「人のために力を尽くして何が悪いの!」
「じゃあ聞くけど、残された人はどうすればいいのよ!守りたいものがあるから世界を救いた
いんでしょ!?でもそれを失ってしまったら意味がないじゃない!」
「だからって現実から目を背けてしまったら何も始まらないわ!こんな悲劇の連鎖を繰り返し
て綾は平気なの!?」
「私はもう感情なんて捨てたわ。この世界で生き抜くためにね」
地響きと共にどこからともなく現れた高波が押し寄せると、それはまたたく間に勢力を伸ばした
。
「一条綾、流石世界初のディール補完者だ」
「これでお別れよ、神楽。次の世界で待ってるわ」
「これが個人の持てるディールの力なの!?違いすぎる……」
天変地異をも彷彿させる巨大な津波に頂点から、綾は神楽達を見下ろし決別の表情を浮かべた。
圧倒的な力の差に戦意を喪失してしまった神楽はその場で呆然と立ち尽くしてしまい、それを見
た隼人は最後の手段に出た。
「神楽!俺の力を戻せ!今のお前じゃあいつには勝てない!」
「そんなことしたら隼人が!」
「構うもんか!元々お前の力だ!暦書で読んだだろ!式紙を全部操るには力が足りない!」
「でも私、まだあなたの術式を教えてもらってない!」
「もうそんな暇ない!!後先のことは気にするな!勝つことだけを考えろ!」
「そんな……!もし負けたらどうするのよ!」
隼人を自分の体に戻せば今以上にルーンの力を使えるが、神楽は隼人を呼び出すための術式をま
だ知らなかった。
もし隼人を失った状態でこの戦いに負ければ次の世界では隼人の存在が完全に消えてしまう。
そして今回がそうであったように、時間軸を捻じ曲げてしまったばかりに神楽がルーンそのもの
を知らずに育っているため、再び術式を教わる可能性は薄かった。
もし本当に負けてしまったら隼人と永遠に別れることになるかも知れない。
それが頭に過った神楽は躊躇せずには居られなかったが、隼人はそんな彼女を抱いて強く背中を
後押しした。
「勝つんだ。南のためにも、綾のためにも、それだけじゃない。失った数多の命のためにお前
が世界を変えるんだ」
「待ってよ隼人、私、あなたに言いたいことが━━」
「今はダメだ、それが大事なことなら尚更な。追い詰められたからって逃げるな。ちゃんと自
分の気持ちに整理が付いたら聞いてやるよ。今は自分の感情を力の糧にしろ。何としてでも越え
て見せろ!次の世界で待ってる。お前が作り出した世界でな」
「隼人……、私、夢が叶ったらあなたのこと本物の人間にしてみせるから。そうしたら私の思
いをちゃんと聞いてね。みんなで笑って暮らせる世界を作って見せるから!」
濁流に呑まれる二人。
神殿の中は洪水状態となり、夜の海のような寂しげなその場所で一人になってしまった綾は灯台
の淵に腰掛け憂いでいた。
「いつまでも変わらないあなたなら世界を変えられると思ったんだけど……。やっぱりどれだ
け頑張っても、世界は変わら、━━っ!?」
水中から突然何かが飛び出してくる。
それは回転して大きな翼を広げると、水を弾くと同時に神楽は空を飛んだ。
翼の正体は巫女装束の背中から式紙が無数に顔を出し、それが幾重にも連なったものだった。
「綾、私は昔のあなたを知らない。あなたがこれほどまでに過去に拘る理由も、私には到底理
解出来ない」
「理解してもらおうなんて思わないわ。私と神楽はもう生きている世界が違うんだから。共感
なんて不可能よ」
「なら私はそれを覆して見せる。もう誰一人失いたくなんてない。私はもう一度綾と同じ時間
を歩きたい!だから綾、もう終わりにしよう?私達と同じ時間に戻ってきて。みんなもきっと綾
の帰りを待ってるよ!」
そう言って手を差し出す神楽。
しかし綾がそれを受け取ることはなかった。
「そこまで言うなら私に信じさせてよ!未来は変えられるって証明してよ!!」
まるで海をそのまま持ち上げるように、地面にたまった水を綾は砲撃のように放った。
あまりの大きさに避けることは不可能と判断した神楽は、それを翼を盾に真っ正面から受け止め
た。
渦巻く砲弾は水圧と水流の力を借りて激しい破壊力を生み、そこに混じるざらめの氷は式紙を容
赦なく削り取った。
「ダメだ……、これ以上は式紙が持たない……」
「そうやってあなたはいつも分かった振りをして私を残していく。何度やっても結局同じじゃ
ないのよ!!」
「違う!私は絶対に諦めない!何十回やり直すことになっても、何百回掛かることになっても
!私は綾と夢を叶えるまでは絶対に諦めない!!」
翼を紐解き神楽は砲弾に乗る形で体を預けると、式紙の力を腕先の一転に集中させて砲弾の中を
突き進み始めた。
しかし神楽の進行よりも先に式紙が破れ、全身をざらめの氷に切り刻まれる。
しかしそれでも諦めない神楽を見兼ねて綾はありったけの気持ちをディールに込めた。
「この単純バカ~~~!!」
式紙が見るも無残に砕け散る中、打つ手のない神楽は最後の賭けに出た。
式紙の周りに炎を巻く。
作り出された炎の渦は外側は灼熱の様に熱く、それでいて内側は熱くなく、炎で水から式紙を守
ることが出来た神楽は式紙に渾身の力を込めて砲弾を突き抜けると綾と接触を果たした。
「神楽……状態変化出来るようになったんだね……。やれば出来るじゃん……」
「見直してくれた?とは言っても、綾と違って私に作り出せるのは熱くない炎が精一杯なんだ
けどね。綾の使い方を見て私も思ったんだ。一度に二つの状態を使えればって」
「通りで紙が燃えないわけだよ……。神楽ってさ……、すぐ周りが見えなくなるくせに、自分
は見失わないよね」
「当たり前でしょ。自分の気持ちには正直に生きるのが私のモットーなの」
「ふふ、変わらないなあ、あなたは。ありがとう……、神楽」
「ううん。どう致しまして。おかえり、綾」
自身で体を支えられなくなった綾を受け止め、神楽は彼女のその幸せそうな表情に目を細めた。
周辺の景色がぼやけ始め、神の変わった世界が破壊と創造を始めると、二人はそのまどろみの中
に消えた。
外は明るく、入学シーズンを迎えた小春日和なその日。
神楽と綾は寝坊したのか慌てた様子で目的地に急いでいた。
「ほんっと、信じられない。今何時だと思ってるのよ、一時よ、一時!その遅刻癖いい加減直
しなさいよね」
「ごめんってば。だって目覚まし掛け忘れたんだもの」
「目覚ましなくても普通起きるでしょうが!」
ごく普通の公立高校に入学したどこにでも居る普通の女の子。
でもそのありふれた日常は神楽にとってはとても掛け替えのないもので、待ち合わせ場所のファ
ミリーレストランにたどり着いた彼女はそこに集まっていたクラスメイト達の顔に笑顔を見せた
。
「お待たせ!」
「遅えぞ、神楽。腹が減りすぎて死ぬかと思った」
「聞いてよ隼人。神楽ったら今の今まで寝てたって言うのよ?」
「ちょっと綾!それは隼人には内緒にしてって言ったじゃない!」
「あら、そうだった?」
そう言って綾はイタズラな笑みを浮かべた。
「まあまあ二人共早く席に着きなよ。隼人君もうちょっと席詰めてあげて。あ、綾ちゃんはこ
っちね」
「え、ちょっと琴美ってば」
琴美は長椅子に座った隼人の横に赤面した神楽を無理やり押し込み、彼女達を席に着かせた。
そしてメニューを広げると神楽はあれもこれもと注文する様子で、それを見た綾は呆れ顔をした
。
「神楽、その辺にしとかないとあなた太るわよ?」
「いいのいいの。今日は柊君のおごりだから」
「なあ月宮、その事なんだが、俺はお詫びとしてお前にご馳走するだけで、他の奴等の分まで
とは聞いてないぞ?」
「固いこと言わないの。そんなんじゃ女の子には持てないわよ」
「余計なお世話だ。これだから女ってやつは」
「まあそう言うなよ、柊。女には女にしかわからないものがあるんだろう?俺も遠慮するって
言ったんだが、琴美が来ないと許さないってうるさくてさ」
「お前も苦労してるようだな」
「さあみんな、注文はお決まりかしら?」
「あ、南!今日は来れないって言ってたのに、どうしたの?」
そこへファミレスの制服姿をした南が顔を見せ、神楽は驚いた。
「ふふーん。実は私ここでバイトしてるんだ~。本当は1時で上がりなんだけど、誰かさんが
遅刻してくるから待ってたのよ。オーダーだけ通したら私も参加させてもらうから安心して」
「そうだったんだ、良かった……。てっきり私……」
「ちょっと、突然どうしちゃったのよ」
「あ、ううん。何でもない」
突然涙を浮かべた神楽に南は戸惑いを見せたが、琴美だけは静かな笑みを浮かべていた。
~世界は変わり続ける。
それは時に非情で厳しく、挫けそうにもなるけれど、それでも私達は歩み続ける。
諦めたくない、夢があるから。~