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電車の中からずっとそわそわと落ち着きをなくし、辿り着いた教室のドアをそろそろと開けて室内を眺めてみると、氷坂さんはまだやって来ていないようで姿はなかった。
私よりも一本早い時間の電車を使っているならすでに登校しているはずだけれど、昨日はたまたまあの時間の電車に乗っていただけなのだろうか。
考えても答えなんて導かれるはずもなくのろのろと自分の席に着いて鞄をかけていると、教室の前のドアを大きくガラリと開けて氷坂さんが姿を現した。
視界に捉えただけでドキリとしてしまう。誰に挨拶をするでもなく無言で、並んだ机の間を音もなく滑るように颯爽と歩く姿は凜としていて麗しい。
けれど、それだけだった。
自分の席に腰を下ろした氷坂さんは、鞄から荷物を机の中に移し終えるなり突っ伏してしまった。無造作に投げ出された髪の束がレースのカーテンみたいに机から流れて落ちる。
今日も生理痛がひどいのかな、「大丈夫?」なんて気安く声をかけていいのだろうか。
昨日初めて、たまたまその場に居合わせただけの私なんかが話しかけたりしたら迷惑に思われそうで、自分の席から立ち上がることさえ出来なかった。そわそわはいつの間にかしょぼんと萎れていた。
なにひとつ決めきれずに悶々と俯いていると、すぐに担任がやって来て朝のホームルームが始まった。
氷坂さんは突っ伏していた身体を起こしたものの、長い髪の影になってしまって表情までは窺えなかった。
「はい、まず連絡ね。もうすぐ体育祭だけど、二年生は全員参加の応援合戦があるからね。去年、先輩たちの見て知ってるでしょ? 男子はよさこい、女子はチアね。今日の放課後にそれぞれ全体練習あるから。組み分けだけど、うちは一組だから奇数クラスの白組ね。間違えて紅組の集合場所に行ったりしないように」
神経質そうにかけている眼鏡に何度も触れながら、淡々と業務的に語る担任からの説明は氷坂さんのことを気にしていられなくなるほど私の気分を沈み込ませた。
担任の連絡を受けて、やたらとやる気に溢れていまからテンションが上がりまくっている人たちと、隠そうともせず面倒くさそうに顔をしかめる人たちにくっきり分かれていた。
もちろん私は後者なのだけれど、気分が沈んでしまう理由なんてチア以外にない。
私はそもそも身体を動かすことが得意じゃないから体育祭自体が好きじゃなかった。それに加えて強制的にチアをやらされるだなんて。
運動神経がないのだからリズム感だってあるわけがないし振り付けだって覚えられる気がしない。
そんなありきたりな理由から単にチアをやらされるだけでも嫌なのに、
「女子のチアは二人組でペアの振り付けがあるから、誰でもいいから二人ペア作っといてね。あとは全体練習で指示を仰ぐように。じゃあ次は――」
担任がざわついている教室内にパンッと手を打ってそれだけ言い切り、さっさと次の連絡を始めた。
気分を沈み込ませる原因はこれだ。
学校行事には大なり小なり付き物の『誰でもいいからペアを作る』という無茶振り。
どうして四人グループを作るとか班を作るとか、生徒に丸投げしておけば勝手に決まるだろうと思い込んでいるのか。
全ての生徒に友達なんて呼べる子がいるとどうして決め付けるのだろう。
体育祭なのだから、体育の授業みたいに出席番号順で隣り合った者同士でペアにすればいいだろうに。それはそれで私とペアを組まされる子に申し訳ない気もするけれど。
私には、友達なんて気さくに呼べるような間柄の子はいなかった。
いじめられているとか、嫌われているとかじゃない、と思っている。いや、一部の女子からは明確に嫌われてはいるだろう。
それも踏まえて私に友達と呼べるような子がいない理由はきっちりと存在していた。
私に友達がいないのは、幼馴染みの成海陽仁のせいだった。
いや、少しだけ違うかもしれない。より正確には成海陽仁が幼馴染みなせいだ。
言い方を変えただけみたいだけれど、これはぜんぜん違う。私は陽仁が幼馴染みなばっかりに友達がいないのだ。
ペアを作れと指示してきた以降の担任からの連絡事項はちっとも頭に入ってこなかった。
ぼんやりと斜め前に視線を滑らせると、氷坂さんはいまにも突っ伏してしまいそうなくらい項垂れて動いていない。もしかして眠っているのだろうか。
氷坂さんはいつも一人でいる。
クラスの誰とも積極的に接することもなく席に座ってスマホを眺めているか、突っ伏していることがほとんどだった。ずっとそうやって過ごしている印象しかない。
一人でいることをものともしていない気高さを感じる。
氷坂さんは、きっと強いんだろう。
私は勝手に心の中でだけ孤高の人だと呼んでちょっぴり尊敬していた。いや、憧れているほうが近いかもしれない。
なにしろ私も一人きりで過ごしているから。
私も氷坂さんみたいに気高い孤高の人となって一人でいることに揺るぎない自信を持ちたい。そんな勝手な憧れを一方的に押し付けていた。
だって私は一人になりたいわけじゃなく、仕方なく一人になるしかなかった受動的な一人だ。でも氷坂さんは能動的に一人でいる。一人でいることに誇りを持っているようにさえ感じる。
そんな氷坂さんのことを、同じクラスになってからずっと目の端っこで追いかけている。
この気持ちはきっと敬意だろう。
私も氷坂さんみたいに気高く孤高の存在になりたい。そうすれば、この胸の内側でもやもやとわだかまり続ける言いようのない気持ちを払拭できる気がしていた。




