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翌日、私は普段通りの時間に家を出て、普段通りの時間の電車に乗った。
だから当たり前だけれど、昨日みたいに氷坂さんと出会すことはなかった。
これまでずっとお互いが通学に使っている電車の時間が違っていたのだろう、私の知っている限りでは一度も氷坂さんと電車で会うことはなかった。
昨日、私が日直で一本早い電車に乗ったから起こった偶然の出来事なのだ。だから今後も、私の方が何か行動を起こさない限り再び氷坂さんと出会すことなんてないのだろう。
電車に揺られながら、どこかホッとしたような、けれど物足りないような気持ちになっていた。
けれど私と氷坂さんは同じクラスだ。
教室に辿り着いてしまえば遅かれ早かれ氷坂さんと顔を合わせることとなる。なんだかまるで、やって来て欲しくないみたいに考えてる自分をぶんぶん頭を振って吹き飛ばす。
氷坂さんと顔を合わせたら、声をかけたりしたほうがいいのだろうか。
二年生に進級して貼り出されたクラス割りを見た時、私はこっそりときめいて胸が高鳴ったことを覚えている。忘れるわけがない。
入学後すぐに校内での話題をさらったとんでもない美人、氷坂茉白さんと同じクラスになっていたからだ。
一年生の頃は何度か廊下ですれ違ったことがあるくらいの、関係と呼ぶのもおこがましい接点らしい接点もなかった。
クラスが違っているとそんなものだろう。視線が絡むことさえなくすれ違うだけの氷坂さんは、たったそれだけでさえ可憐でうっかり視界に収めてしまったがばかりに眼差しが縫い付けられてしまうほどだった。
そんな私は写真を撮ることが好きだった。
趣味と呼ぶほどのめり込んでいるわけではなく、スマホのカメラで目に付いた綺麗なものを適当に撮り溜めていた。
校内の花壇に咲いた花だったり、帰宅途中の夕日に染まる街並みだったり。
言ってしまえばただの暇潰しだった。
そんな暇潰しでしかなかったので人物を撮りたいと思うことはこれまでなかった。
それなのに、氷坂さんの美しさを目の当たりにしたことで初めて人物を撮りたいと思ってしまった。
あの計算され尽くしたみたいに整った顔を写真に収めて肌身離さず持っていたいと、自分で自分の欲望に軽く引いてしまった。けれど一度意識してしまったせいで撮りたい欲求は抑えきれなくなってすぐにでも爆発してしまいそうだった。
そんなそわそわした気持ちをぐっと堪えて抱えたまま、新しいクラスですぐに席替えが行われくじ引きの結果私は一番後ろの席になった。
背が低いので一番後ろの席だと黒板がよく見えなくなってしまいそれ自体は特に嬉しくはなかったけれど、私の席から二列隣の斜め前が氷坂さんの席だった。
こればっかりは心が躍った。
やや後方から眺める氷坂さんの横顔は、本人の物静かでほとんど表情を崩さないところも相まって儚げで精緻な彫刻みたいな美しさを醸し出していた。頬から顎先にかけてのシャープな曲線を指でなぞりたいとさえ思った。
撮りたい。
どうしても撮りたい。
氷坂さんの視界にギリギリ収まっていないはずの私の位置からなら気付かれないのでは。そんな風に、私は魔が差してしまった。
そろりとスマホを取り出し、画面を眺めるフリをしながら隠し撮りしてしまった。
幸いにも休憩時間の騒がしさに紛れて撮影音は目立たなかった。
スマホには氷坂さんの伏し目がちな横顔が遠く切り取られていた。
もっと近くで鮮明に撮りたい欲求がすぐに湧き上がってきたけれど、そんな度胸があるなら隠し撮りなんて最初からしていない。
そこまで考えて、すぐに自分の流れるような無意識の犯罪行為にぎょっとした。
これはいけないことだ。強い後悔に苛まれスマホをポケットに押し込んだけれど、撮ってしまった写真を削除することは出来なかった。この一枚だけで自分の欲求を押し留めた。
そこで思い留まった私がどれだけ賢明だったかを思い知らされる問題が、その後すぐに起こった。
私に限った話ではなく氷坂さんの美しさに見初められたのだろう男子の一人が、氷坂さんの目の前で断りもなくスマホを構えて堂々と撮影したのだ。
さすがに気が付いた氷坂さんはガタンと椅子を引き摺って立ち上がって迷いのない足取りでその男子に詰め寄り、
「なに? 気持ち悪いことしないで」
狼狽える男子のネクタイを締め上げるみたいに掴んで形の良い眉をひそめながら凄んで見せたのだ。
本当に思い留まって正解だった。
もし自分の撮りたい欲求に負けてもっともっとと隠し撮りを続けていたら、いままさにネクタイを締め上げられていたのは私だったかもしれない。
その出来事をきっかけに誰が言い出したのか、男子に詰め寄った氷坂さんの表情がまるで凍り付きそうなくらい冷徹だったことから『氷白姫』なんてあだ名が囁かれ始めた。
フルネームの氷坂茉白を短縮しただけとも耳にしたけれど、どこか揶揄するみたいなニュアンスが含まれて響いて失礼だと思った。
それ以降は私の知る限り氷坂さんを隠し撮りする人の姿はなくなった。私ももちろん心を入れ替え卑怯な真似はやめた。
けれどすでに撮ってしまった唯一の一枚だけは誰にも見せないからと謝りながら時折眺めていた。
ややブレて遠く写った横顔を限界までズームし、画面に大きく表示された氷坂さんをそっと撫でて吐息を漏らすに留めた。
それが昨日の朝までの私と氷坂さんの関係の全てだった。クラスメイトというだけで言葉を交わしたことさえない間柄でしかなかった。




