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「ふーん、それが今日の遅刻の原因か。つまんね」
「つまんなくないよ」
「知らないおっさんとかにお菓子もらって付いてったりしたのかと思ったわ」
「そんなことあるわけないでしょ」
氷坂さんを介抱した後、完全に遅刻で学校に到着した時には二限目が終わっていた。
そんなタイミングで教室に入ったけれど、特にクラスメイトの誰からも気に留められることはなかった。日直の相方だった田沼くんからも特に文句を言われるようなこともなかった。
私が初めての遅刻をしたということ以外は、何事もなく普段通り過ぎる一日が流れて普通に授業を受けて学校を終えて普通に帰宅した。普通であって悪いことなんて一切無いはずなのに拍子抜けしたみたいな気分だった。
玄関を開けると奥のキッチンからお母さんの笑い声が響いていた。靴を脱ぎながらただいまと声をかけると、「あら、おかえり由ちゃん」と顔を覗かせたのはお母さんではなかった。かといってもちろん全然知らない他人というわけではない。
ぺこりと会釈して階段を上がり自室ドアを開けると、
「おう、遅かったなー」
ちらりと仰ぎ見てくぐもった声で私を迎えたのは幼馴染みの成海陽仁だった。
無断で私の部屋に入っているだけにとどまらず、私のベッドに大の字になって寝転がり私のお気に入りの漫画を勝手に読んでいた。
私のベッドを使わないでといつから言わなくなったのか、はたまた言ったことなんてなかったのか、もう記憶を辿ることさえ億劫だった。
そんな風に諦めが先行してしまうくらい、私と陽仁は文字通りの幼い頃からお隣同士の顔馴染みだった。
しかも、そんじょそこらの幼馴染みとはわけが違う。
どんな巡り合わせなのか私と陽仁の母親同士も幼馴染みなのだ。
それぞれ大学進学で地元を離れるまではずっと友達だったらしく、社会人となっていったんは連絡が途絶えたものの私の両親がいまの家を手に入れて引っ越してきたところ、ご近所に挨拶回りをして偶然にも再会を果たしたらしい。
しかもお互いに同い年の子供がいた。それが私と陽仁だ。
そんな冗談みたいな縁から、私と陽仁は幼稚園に入るより前からずっと家族同士で交流している源泉掛け流しみたいな根っからの幼馴染みだった。先ほどキッチンから顔を覗かせたのは陽仁のお母さんだった。
勝手を知りすぎた馴れ合いのせいで陽仁にデリカシーなんて望むだけ無駄で、女の子の部屋に入っている自覚なんてないのだろう。
ベッドに横たわったまま部屋の主である私が戻ってきたことを気にもしないで、漫画から視線をこちらに向けることもなく今日の遅刻の原因を問い掛けてきたのだ。
「で、氷白姫と接した感想は?」
電車内でたまたま出会した氷坂さんとの顛末を聞き終え、陽仁はつまらなそうに鼻を鳴らしてそんなことを訊ねてきた。
「感想って、別に……。介抱してただけだし。あとその『氷白姫』ってあだ名やめなよ。なんだか馬鹿にしてるみたいで好きじゃない……」
「俺が付けたあだ名じゃねえし、みんなそう呼んでんだから別に良いだろ。ああ、そう言えば確か、田沼が氷白姫のこと気になるって言ってたな」
「田沼くんが?」
今日の男子の日直だった田沼くんだ。私が遅刻してしまったことを咎めないように口添えしてくれたのは、不本意ながら陽仁のおかげだった。
陽仁と田沼くんは同じサッカー部で一年生の頃から友達だと言っていた。
「そうそう。まあ田沼に限らず氷白姫のことが気になってる男子なんて、石を投げれば当たるってやつか? ほぼ全員なんじゃねえか」
「知ってるよ、それくらい」
私の呆れ口調をまるで意に介さず、陽仁はぱらりと漫画のページをめくる。
男子全員かどうかまではわからないけれど、その喩えは決して大袈裟なものではなかった。
相当多くの男子が氷坂さんのことが気になっていることは正しい。私なんかの耳にも何組の誰それが氷坂さんを狙っている等の噂が届くくらいなのだ。
真偽は計りようもないけれど校内の男子全員から好かれていると言われても疑いはしない。それくらい氷坂さんはたったの一目見ただけで記憶に焼き付いてしまうほどのくっきりとした美人だった。
「じゃあ今日の遅刻のお詫びに、田沼のために氷白姫との間を取り持ってやれよ」
「出来るわけないでしょそんなこと。友達でもないのに……」
「でも介抱したんだろ?」
「友達じゃなくても困ってる人がいたら介抱くらいするでしょ」
「だからそれで友達になったってことじゃねえのか?」
「陽仁とは『友達』の解釈が違うの」
「解釈ねえ……。そんなんだから由は友達がいねえんだよ」
私のベッドで組んでいた脚を振り回すみたいに組み替えて、呆れかえった口調で大仰にため息を吐いてみせる。
「……ほっといて」
陽仁の指摘通り、否定する要素が見当たらないくらい私には友達がいなかった。
けれど私に友達がいないのは陽仁が思っているようなこととは別に、言い訳でもなんでもなくれっきとした理由がある。
あるのだけれど、それを陽仁に告げることは出来ない。
だから苦し紛れの捨て台詞をぼそっと呟くくらいしか私には取れる手段がなかった。
「ねえ、……着替えるから」
「んあ? ああー」
私が制服のブレザーをハンガーに掛けながら申し出ると、陽仁はベッドの上で身体を捻って背を向ける。
どうして私の方が申し訳なさそうにしなければいけないのか甚だ納得がいかない。
「いや、出てってよ……」
「はあ? 見ねえから気にすんなよ、お年頃かよ」
本当に気にしていないのだろう、陽仁は面倒臭さを隠そうともしない口調で吐き捨てながら、どれくらい興味があるのか漫画のページをぱらぱらと続けて捲る。




