第7話 正しさの怪物
「ほッ、ほんじっ、本日はっ、よろしくお願いいたしまひゅッ」
実家まで私を迎えに来たアルジーくんは、緊張のあまり石のように硬くなっていた。真っ赤な顔には大量の汗が浮かんでおり、目線は振り子のように揺れている。
私は彼の曲がった蝶ネクタイを直し、「シャンと背筋を伸ばしなさい!」と一喝した。
「はッ、はいィッ!」
「エルフェドール公爵家令嬢の私の隣を歩くのです。気が張るのは当然のこと。ですが、下だけは向かないように気を付けることね。この私の隣で俯くことなど許しません。自信を持って、顔を上げなさい」
「はっ……はい!」
「では、エスコートをお願いするわ」
私は彼の手に自分の手を重ねた。
彼の用意した馬車へと乗り込み、学園へと向かう。私はアルジーくんの胸ポケットに青い花を挿し込んだ。彼はボケッとした顔でしばらくその花を見ていたが、やがて我に返り、慌てた様子で私の手首にコサージュを付けた。プロムでは互いに花を贈り合うのが慣習なのだ。
馬車に揺られること数十分。
学園へと到着した。
彼に手を預けながら馬車から降り、華々しく飾り付けられた道を歩く。
巨大な学園はプロム用に仕立てられていて、思わず目を細めたくなるほどに美しい。宮廷付きの芸術家たちによってデザインされたその空間は、「夜の海」をテーマとして設計されているらしい。
壁や床には幻影魔法が掛けられていて、まるで本当に海の上を歩いているように見える。
私はふと立ち止まり、目を凝らした。
少し離れた右斜め前には、美しい令嬢の手を取るアイザックの姿がある。
噂によると、彼は公私共に支えてくれる良きパートナーと出会ったらしい。彼が実は暴力的であるとか、突然豹変することがあるだとか、そういう話も聞かない。
私は布地の上から太腿辺りに触れた。アイザックが凶行に及んだ時のため、ドレスの中に剣を仕込んでいるのだ。
しかし今の所、それの出番はないように見える。
どうかこのまま、ないままで終わってほしい。
「れ、レイシア様? どうされましたか?」
「……いえ、何でもないわ」
心配そうにこちらへ振り向くアルジーくんに、私は首を横に振りながら答える。
大丈夫だ。今回、私はアイザックとほとんど接点を持っていない。
そもそも彼に殺意を抱かれるほどの関係値がないのだ。
それでも万が一彼が再び凶行に走った場合は、即座に気絶させて止めるつもりだ。そのため、プロム中は彼の一挙手一投足から目を離さないようにする予定である。
「い、行きましょう、レイシア様!」
極度の緊張で挙動不審だったアルジーくんも、腹を据えた様子で私の手を握りしめた。手袋越しでも少々手汗が滲んできているが、それもまた愛嬌だろう。
彼の気概に応えるため、私は薄く微笑みを浮かべ、学園の扉をくぐり、大広間へと一歩踏み出し──。
「れィっ、ブッ」
その瞬間、顔に生温い水を浴びた。
私は二度瞬きをしてから、左を見た。
そこには首のないアルジーくんの死体があった。
彼の頭は「ゴトッ」と音を立てて床に転がった。下を向くと、彼と目が合う。目が合ってしまった。
私はその時、自分の身体の左半分にかかった水が、水ではなく温かな血であったことに気がついた。
「ッ、キャア──」
突然噴き上がった血飛沫に、当然周囲は悲鳴を上げる。
が、それも途中で中断された。
悲鳴を上げる間もなく、一斉にその場の人間の首が吹き飛んだからだ。
糸の切れた人形のように倒れる人々。床に生まれる赤い海。
割れたガラス。床に零れた酒。
それらを順々に、目で追った。
その瞬間。
全てを理解するよりも。
先に、私は。
「──キミを」
剣を取り。
魔力を足に集中させて。
「──助けにきたぞ!」
「ッ、ア、アアアアア──ッ!!」
まるで正義の味方みたいに剣を掲げて、大広間の真ん中で笑うライアンに、斬りかかった。
恐れはなかった。
恐怖を感じる暇などなかった。
ただ、目の前の男を、殺してでも止めなければと思った。
魔力による身体強化で生み出した、岩をも砕く渾身の一撃──それを易々と彼に受け止められる。
私は歯を食いしばり、「何故!」と叫んだ。
「何故っ、殺した! 何故! なんで!!」
「何故って、そりゃあ……」
ライアンが目を丸くする。きょとん、という間抜けな音が聞こえてきそうな表情だ。
それから彼は歯を見せて笑い、私の剣を弾きながら言った。
「正しきことを、愛しているからだ!」
「──、」
何を、言っているのだろう。
彼の言葉が喉に詰まる。飲み込むことができない。彼の太陽みたいに明るい笑顔が、グニャリと歪んでいく。彼の輪郭線が、修復不可能なほどに壊れていく。
彼から距離を取って、間合いを図る。
足首に何かが当たる。
一瞬だけ、視線を足元に向ける。
そこには銀髪の、美しい顔をした青年の頭が、道端の石ころみたいに転がっていた。
アイザック。私を二度も殺した男の首が、こんなにも無造作に切り捨てられている。
「大丈夫だ。もう、キミが迷う必要はない。キミの前に置かれていた障害は、たった今俺が全て切り伏せた!」
「……」
「さあ! 俺の手を取ってくれ!」
──彼の言うことを、彼の言う通りに受け取るならば。
私は、彼の申し出を断った。彼の好意を受け入れなかった。
彼にとってはそれが、「正しくない」行いだった。
だからそれを正すため、邪魔なものを全て排除した、ということになる。
「……一つ、聞くわ」
「うん? なんだ?」
彼が首を傾げる。その笑顔は、まるでお日様みたいに暖かくて眩しい。
「あなたは。あなたは、本当に、ライアン・マクロガッドなの?」
「それはどういう意味だ?」
「私の知っているライアンは、こんなこと……」
いっそのこと、化け物であってくれたらいいのにと思う。
人の形をそっくりそのまま真似られる化け物が、彼に成り代わってくれていたならどんなに良いだろう。本物のライアンはどこかに閉じ込められていて、今目の前に居る彼は人の心のない偽物なのだ。
それなら目の前の彼を倒して、本物のライアンを助けに行けばいい。
それで全部が解決する。
そうであってくれたらと、祈るように思う。
けれど、ライアンは、ただ不思議そうな顔をして答えた。
「よく分からないが、俺は俺だ! それ以外の何物でもない!」
「……そう」
胸の辺りから、何かが抜けていくような心地だった。
それは彼に対する友愛だとか、これまで積み重ねてきた信頼だとかであり、その代わりに、自分の見る目のなさに対する落胆が吹き込んでくる。
アイザックを、優しい人だと思った。
ライアンを、頼もしい人だと思った。
その結果が、これだ。
「私は最高にいい女だけど……人を見る目は、ないのかもしれないわね」
あるいは、真に悪いのは、見る目などではなく。
──なんて、考えてる場合じゃないか。
強く床を踏み込み、ライアンとの間合いを一瞬で詰める。切るのではなく、剣の先端で胴体を突くつもりで。
しかし彼はそれを寸前で避け、驚いた様子で言った。
「おいおい。どうしてキミが俺に剣を向ける? さっき説明しただろう? これは全部キミのためだと!」
「私のため? これのどこが!」
金属同士がぶつかって、鼓膜を引っ掻くような鋭い音を立てる。
ライアンは困った顔をして私を見つめ、それからやれやれとでも言うように片手を挙げた。
「そうか……キミには、俺の正しさが伝わらないか!」
彼は至極残念そうに言った。
その瞬間、彼の金色の目が、フラッシュを焚いたように光る。
「間違いは、正さねばならない! それが俺の、理想とする在り方だ!」
そう言うと、彼は一の字を書くように剣を真横に振った。
それを視界に捉えた瞬間、首筋にビリビリとした痺れが走る。
これは危機を知らせる本能のようなものだった。直感的に「死」が迫っていることを感じ取って、脳がサイレンを鳴らしていた。
私は咄嗟に、床が砕けるほど強く踏み込み、天井に目掛けて飛び上がった。
その判断は正解で──どう見ても刃が触れていない、届くはずのない遠くの壁に一直線の切り込みが入る。
一拍置いて、部屋中の物や死体が吹き飛んだ。
それはまさに、凝縮された嵐に巻き込まれたような有様だった。
これはライアンの超大型風属性魔法によるものだ。修練中にも何度か見たことがある。だがしかし、記憶にある魔法とは威力が桁違いだ。これがライアンの底力なのか。それとも何らかの手段を用いて強化を施しているのか。
「ッ!」
間髪入れず、彼が二太刀目を振る。先程と同じ魔法だ。
壁を蹴り、空中で身を翻し、それを何とか回避した。
私は身体が小さく軽い。だから、速さだけはライアンに勝っている。ならば、大技の隙をついて致命傷を与える。これしか勝ち目はない。
着地と同時に踏み込んだ。彼の腕の内側、剣が届かない位置に入り込む。
彼の視線がワンテンポ遅れて私を追いかける。
今だ。今しかない。
彼の首を切るのだ。
何も切り落とす必要はない。頸動脈を一筋、裂けばいい。
「──キミには、致命的な欠点がある」
その剣先を、指で受け止められた。
彼が私の剣を見切ったのではない。
私が、彼の首に剣を走らせる直前で、手を震わせてしまったのだ。
「形式上の試合ならば構わないだろう。だが、実戦においてそれはあまりにも深刻だ。何か分かるか?」
ライアンは、ほんの一瞬だけ、私に哀れみの目を向けた。
「他人に甘すぎる所だ」
「な……」
「キミはたとえ自分の命が危うくなったとしても、他人の命を奪えない。キミの異常なまでの気高さが、人を殺す自分を許せないからだ。だからキミは俺を殺せない」
──そんなこと、はなから分かっていた。
だから、殺さなくてもいいくらいに。私が手加減をしてやれるくらいに強くなろうとした。
でも、ダメだった。
そんな甘い覚悟では、彼に勝つことは不可能だったのだ。
私は、彼を手にかけることができない。
否、彼が相手でなくたって同じことだ。
それを悟った瞬間、腕から力が抜けた。剣が床に落ち、カランと音を立てる。
それと同時に、「ああ、そうか」とも思う。
こんな惨状を前にして、私がそのまま生きていられるわけがない。
だって、私にはやり直す手段がある。
全てをなかったことにできる方法がある。
それはつまり、ここに居る全ての犠牲者たちを救うための蜘蛛の糸を、私が握っているのと同じことだ。
助けられる手段があるのに、助けない。
それは私にとって、人殺しと同等だ。
それを、私が許せるわけがない。
ならばきっと、もしもここでライアンを殺せていたとしても、私は結局自分の首を切るのだろう。
誰か一人でも死んだその時点で、私に勝ち目などなかったのだ。
「その、気高い甘さを」
ライアンが、私の首筋に剣を押し当てる。
髪の束が切れ、枯れ葉が落ちるように宙を舞う。
私は目を瞑り。
「とても、好ましく思っていた」
自らの死を、受け入れた。




