第5話 3
× 3 ×
「──ッ!」
戻ってきた。
戻ってきて、しまった。
私は顔を手のひらで覆い、机に額を打ち付けた。
全力で走り切った後のように心臓が跳ねる。息をする度胸が痛む。
指の隙間から辺りを見回す。そこに広がっているのは、最早見慣れ切った実家の私室だ。
──ああ、そう。
私は傷一つない喉を撫で、そして実感した。
私は再びアイザックに殺されたのだと。
そうしてまた、転生直後に戻ってきたのだと。
やはり私には、死ぬと時間を巻き戻せる類の力が備わっているらしい。
それから、そのループの開始地点は、この転生直後──学園に入学する当日の朝に固定されているようだ。
そんな具合に状況を把握し、何とか跳ね回る心臓を落ち着かせた私の頭には、ただひたすらに疑問が過った。
──どうして?
レイシアとして二度目の人生を生きて尚、アイザックに殺される理由は分からないままだった。
もしかすると、理由なんてものを求めたのが間違いだったのかもしれない。
だって私は、彼に殺されるようなことを何もしなかった。
彼に殺される理由など何もなかった。
「……一年半」
それは二度目のループで、私がアイザックに殺されるまでの時間だ。
一度目のループでは三年目に殺された。だから彼との関係性を良好に保とうと努力した。それなのにどうして、彼に殺されるまでの期間が短くなってしまったのだろう。
訳が分からない。
分からないけれど──。
「失礼します、お嬢様」
「!」
私が深く考え込んでいる内に、扉の外からアンナの声が聞こえてきた。
数度のノックのあと、部屋の扉が開かれる。
扉の隙間から顔を覗かせたアンナを見て、私はやっと僅かに頬を柔らかくすることができた。
「アンナ……」
久しぶり、と声を掛けるのは胸の中だけに留めておく。
彼女や家族を不審がらせて、妙な心配はかけたくない。私は本物のレイシアではないけれど、それでもレイシアの父や母、それからアンナのことを大切に思っている。もう五年ほど家族同然に過ごしてきたのだ。情が湧くのは当然だろう。
アンナは私の元へとやってきて、「そろそろアイザック様がお迎えに来られるお時間かと」と言った。
私は思わず顔を固まらせてしまう。
アンナは目を瞬かせ、それから首を傾げた。
「お嬢様? いかがなされたのですか?」
「……いえ。何でもない」
いけない。緊張が顔に出てしまった。
アイザック──私が、信じたかった相手。
この世界に転生したばかりで右も左も分からない私に、熱心に寄り添って優しくしてくれた。
その恩を返したかったし、好きだと言ってくれた、その気持ちに応えたかった。
けれど、二度も殺されて尚、それでも変わらず信じていると言えるほど、私はお人好しじゃない。
二度目のループで殺されたあの瞬間、私の中にあった、彼への信用を溜めていた器が、音を立ててひび割れたのだ。
私は荷物を持ち、階段を下りて玄関へと向かった。
王子が直々に我が家に来るということで、相応の応対をする必要がある。もっとも以前のループの通りならば、アイザックは「そんなに堅苦しくする必要はないよ」と苦笑いと共に言うはずだが。
かくして私の予想通り、私を迎えにやってきたアイザックは、想定と一分も違わぬ言葉を繰り出した。
「そんなに堅苦しくする必要はないよ」
肩を竦めてそう言う彼の前で、私は一切弛みのない笑顔を浮かべて言う。
「──お戯れを。王子君を前に、公爵家の娘である私が礼節を欠くなど、あってはならないことですので」
そう告げると、彼は拍子抜けした様子で目を丸くした。
そんな人畜無害な顔をされたって、私が彼に心の扉を開くことはもうない。信用にだって在庫はある。それが尽きてしまったというだけの話だ。
馬車に乗り込み、足を揃える。
学園に着くまでの間、私は彼の気安い雑談を受け流し、規則正しく堅苦しい返答のみを行った。
× × ×
アイザックのことは、私にはどうすることもできないのだろうと結論付けた。
私は手の届く範囲のものしか助けない。手の届かない範囲のものに自分を切り捨ててまで手を伸ばす義務はない。
よって私は彼と関わらないことに決めた。私との接触は、彼にとっても毒にしかならないのだと分かったからだ。
「なァレイシアちゃん。何難しそうな顔してんの?」
「……」
「オレで良けりゃ話聞くぜ~?」
入学式を終え、学園の概要説明を受けたあと。
頬杖をつきながら、隣の席のウォーレンが八重歯を見せて話しかけてくる。彼にとって私は会って二時間にも満たない女のはずだ。それなのにこうも慣れ慣れしいとは、一体どういう神経をしているのか。
──と、以前までならば、彼の距離感の測れなさに目くじらを立てていたはずだ。
しかし今の私の心の中は凪いでいた。
単純に、彼の鬱陶しさに慣れてしまったからだ。小煩い絡みも五年目となれば「またやってるな」くらいのテンションで流すことができる。
「……何というか、慣れれば小川のせせらぎみたいなものね」
「え? なんて?」
「そういえば、あなたって誰にでもそう距離感が近いの?」
「いやいやいや、オレがグイグイ攻めるのはカワイイ娘だけだっての。たとえばサラサラの金髪で、パッチリした赤い目の女の子、とかな」
「へえ」
「興味薄ッ! 何だよその心底興味ねえって顔! ちょっとはキュンと来るだろ普通!?」
「いえ全く」
私は首を横に振った。大体どれだけ容姿を褒められたとて、心が揺らぐはずもない。何せ、それは本来私のものではないのだから。
すると彼はズレた眼鏡を直しつつ、「でもよぉ」と目を細めて言う。
「オレの距離感を気にするっつ~ことは、オレのことが気になるってことだろ? 口ではツンツンしてるけど、実はこっそりオレに惚れちゃってるとか?」
「はっ。天地が引っくり返っても無い話ね」
「そこまで言うことはね~だろうが!」
彼はショックを受けた様子で目を見開いた。しかし私は彼の文句を鼻で一蹴した。彼はどれだけ突き放そうとも全くへこたれない男なのだ。私はそれを、それなりに長い一方的な付き合いの中で学んでいる。
「お。どこ行くんだよ、レイシアちゃん」
「修練場よ」
私は簡潔にそう答えた。
ウォーレンは怪訝そうに口を歪め、「修練場ぉ~?」と唸るように呟く。
この学園の東には、前世で言う所の巨大な体育館のような建物──修練場と呼ばれている──がある。その周りには広大なグラウンドがあって、そこで騎士候補生たちが日夜鍛錬に励んでいるのだ。
ウォーレンは頭を掻き、「何だってそんなとこに?」と不可解そうに言った。
「そんないかにも汗臭そ~なとこ、可憐なレイシアちゃんには似合わねえと思いますけど? どうせむさ苦しい野郎どもの巣窟だぜ?」
「そう。でも私、そこに用があるの」
「用?」
「……身体を鍛えておきたいのよ。私は公爵家の娘だし、いつどこで危険に見舞われるか分からないもの」
「ああ? そんなことしなくたって、レイシアちゃんのことはオレが守ってあげるぜ? まッその代わり、お礼は弾んでもらいますけど?」
「遠慮しておくわ」
「んなつれないこと言うなって。照れてんのか?」
「だってあなた、剣も武術も苦手でしょ?」
「な……なんで言い切るんだよ! オレが剣持ってるとこなんざ見たことね~だろ!?」
「見なくたって分かるわよ」
まあ本当は、見てきたから分かるのだが。
「それよりあなたは、私のことを気にするより自分ごとに集中した方が良いわよ。このままだと、近いうちに勉強についていけなくて毎日補修する羽目になるんだから」
「なッ……」
「それが嫌なら居眠りせずにちゃんと授業を受けることね」
「ふ、不吉な予言はやめてくれよ!」
私は片手を振りながら彼の元を去った。忠告してやったのは、まあ、長い付き合いの義理みたいなものだ。
そうして私は修練場へと足を運んだ。
グラウンドでは、騎士候補生たちが汗水垂らして模擬刀の素振りを行っている。
この学園には騎士科と呼ばれる学科が存在している。魔法の研究に重きを置く一般科とは異なり、魔法と剣術や武術を組み合わせた実戦を重視する学科だ。この科の卒業生には、将来王家や高位貴族に仕える騎士になる花道が確約されている。
私は二度のループを経て、私の魔法では凶行に太刀打ちできないということを学習した。元々実戦における私の魔法は今一つなのだ。瞬発力がないので、どうしても魔法の発動で後れを取ってしまう。
そうなると、護身のためには魔法以外の分野を会得した方が効率的だ。
私はそう考え、剣術の鍛錬を行うことに決めたのだった。
「ちょっといいかしら」
「ああ。何……えっ?」
一番近くに立っていた上級生らしき男に声をかける。
すると彼は慌てて汗を拭い、乱れた髪を整えた。
「な、何かな?」
「単刀直入に言います。私もここで剣術を学びたいの」
「えっ……君が?」
彼は困った様子で頬を掻いた。
というのも、騎士科に所属できるのは男子生徒のみ。修練場を利用しているのも男子ばかりだからだ。
この世界において、女が剣を持つことはほとんど有り得ない。剣を振り、武芸に励むのは男の役割とされている。
が、しかし禁止されているというわけではない。
授業を受けたあと、放課後に修練場に通う程度なら許可は下るだろう。前世で言う所の「部活動」のようなものだ。
「うーん……でも君には少し難しいんじゃないかなあ。模擬刀だって、こう見えて結構重いんだよ? 君にこれが振れるとは、ちょっと思えないな」
けれど、彼は苦笑しながらそう言った。
それは無理を言う子供を窘める大人のような口調だった。
「君は騎士よりお姫様って感じだ。剣を振るより、花を愛でていた方がよっぽど良いと思うよ」
肩に手を置かれ、微笑ましそうに言われる。
善意からくるアドバイスなのだろうが、正直言ってありがた迷惑だ。花を愛でているだけでは、殺されかけた時に抗えないというのに。
とはいえ、彼にそう言われるのも仕方がないことだろう。私は背丈も低いし、筋肉もついていない。いかにも無菌室で育てられた箱入り娘という感じで、まともに剣が振れるようには到底見えないのが現実である。
折角現役の騎士による指導を受けられる場がこんなに近くにあるのだから、これを利用しない手はないと思ったのだが、残念だ。
私は諦めをつけ、修練場から立ち去ろうとした。
しかしそこで、「良いじゃないですか」という快活な声が聞こえてくる。
「彼女に剣術を教えてあげましょう。何なら、俺が相手になったっていい」
振り向けばそこには、精緻を極めた剣のような整った顔立ちの青年が立っていた。
「お前は、確か……」
「一年、ライアン・マクロガッドです。今日から騎士科に所属することになりました」
小麦色の髪を短く切り揃えたその青年が、雪のように真っ白な歯を見せて笑う。背が高く、よく鍛えられた身体付きの男だ。金色の瞳には愛嬌と鋭さが内包されており、一瞥した者の背筋を伸ばすような力強さが感じられる。
「……ライアン」
「うん? その顔、さては俺とどこかで会ったことがあったか?」
「……今年の騎士科に主席で入学したと聞いているわ。騎士の名門マクロガッド家に生まれた、剣の申し子だとも」
「そりゃあ、随分と光栄だな!」
ライアンは陽気に笑った。
当然私は、彼のことをよく知っている。何せ私はもう既に二度、この学園での生活を経験しているのだ。
その間、ライアンとは友人関係にあった。とはいえ顔を合わせた時に少々雑談する程度。アイザックほど親密になったことはないのだが。
【ライアン・マクロガッド】
〈快活で爽やかな貴族の青年。将来の夢は騎士になることであり、剣術の腕前は学園内でも随一。当代剣聖である父親を尊敬している。正義感が強く、曲がったことが嫌い〉
私の知るライアンは、この事前情報の通りの人物である。裏表がなく、底抜けに明るい。多少デリカシーのない所はあるが、総合すると気のいい人物だ。
「キミの方こそ、エルフェドール家のご令嬢だろう? 噂は聞いてるぞ。かの公爵家が誇る社交界の花だと」
彼は腕を組み、「まあ、そんな花が剣にご執心とは初耳だけどな!」と笑って言った。
「エルフェドール家って……まさかあの!?」
「すげぇ……初めて見た……ちっちゃくてカワイイ……」
「レイシア様っていうんだ……お人形さんみたい……」
「令嬢が剣なんて握れるのか……?」
流石はエルフェドール家のネームバリューだ。私の名が出た途端、一層周囲が騒めき始める。まあ容姿端麗、才色兼備、かつとんでもない良家の生まれとなれば、注目を集めるのは当然のことだろう。
ライアンは「放課後や休日なら都合がつくだろう」と言って、周囲にも同意を求めた。
「ま、まあ、公爵令嬢様きっての頼みだしな……」
「レイシア様! オレ! オレが教えるよ!」
「馬鹿お前何勝手なこと言ってんだ! レイシア様、ご安心ください。この私が、手取り足取りお教えしますので」
「抜け駆けすんじゃねえよボケ!」
我こそはと手を上げる男子生徒たちを横目に、ライアンは「キミは随分と人気だな!」と明るく笑って言った。
「ま、そういうわけだから、いつでも気兼ねなく俺を頼ると良い。これも何かの縁だ、できる限りキミの力になろう!」
「ありがとう、ライアン。感謝するわ」
そうこうしている間に、そろそろ次の講義が始まる頃合いである。
私は彼らに頭を下げ、修練場を後にした。




