第4話 馬鹿みたい
アイザックの話を聞いた。
どんな些細なことも聞き逃さないようにした。親身になって相談に乗り、悩みがあるのならその解決に尽力した。
事前情報、そして前回の経験から既に知っていたことではあるが、アイザックは自身に対して強いコンプレックスを抱いている。それはどうやら、幼い頃から優秀な兄と比べられて育ったことが原因らしい。
「……兄は、僕と違って天才だからね。何であろうと、僕に勝ち目なんてない。僕は……君の思うような、善人じゃないよ。良い人のフリをすることで、誰かに僕の価値を認めてほしいだけなんだ……」
彼は顔を覆ってそう呟いた。
それは、前回の人生では聞けなかった独白だった。何せ、アイザックは滅多に自分のことについて語りたがらない。
前だって別に壁を作られていたわけではないけれど、それでも今回の方がずっと心を開いてくれている。
「別に、それでいいじゃない」
私は彼の手を取り、彼の目を見てそう言った。
「あなたが内心でどう思っていようと、私があなたを良い人だと思えば、あなたは良い人になるの。何故なら私は、私の主観でしか物事を判断しないからよ」
「ぼ、暴論だ……!」
「あなたの方こそ、私を誤解してるわ。私はちっとも公平じゃないし、他人に優先順位もつける。……自分に優しくしてくれた人に、肩入れするのは当然でしょう」
私はアイザックに殺された。それは、彼を敵視するには十分な理由になるだろう。
けれど、彼に優しくされた記憶があるのも事実だ。それもまた、彼を擁護する十分な理由になる。少なくとも、私にとっては。
私は他人を平等に扱わない。相手によって態度を変える。
通りすがりの見知らぬ人に殺されたなら末代まで祟り尽くして何としてでも地獄に突き落としてやるけれど、思い入れのある相手に殺されたなら、「何か事情があったのでは」と弁護する。それが、私という自分勝手な人間の在り方だ。
「アイザック。私は、あなたのことを大切に思っているわ」
だから私は、嘘偽りのない本心を伝えた。
「前は言葉が足りなかったのかもしれない」と思ったからだ。
思えば前回は、自分から彼に好意を伝える頻度が少なかったのかもしれない。彼から向けられる愛情に甘えてしまっていたように感じる。
言葉足らずは摩擦の原因になる。前回、私の気づかない内に大きなすれ違いが起きていたのだとしたら。それが、彼の人格を歪めるほどの巨大な病へと成り果てたのだとしたら。
「だから──私を、信じて」
私は今度こそ、言葉を尽くして彼の心を守るしかない。
彼が優しいことを知っている。見ず知らずの困っている誰かを放っておけない人だと知っている。道に迷った子供に手を伸ばす人だと知っている。こっそり貧民街に降りては、弱った者に魔力を与えて命を救っていることを知っている。
どうすればこの国がより良いものになるのか悩んでいることを知っている。自分の力が足りないことに苦悩しているのを知っている。他人のために、本気で心を痛められる人だということを知っている。
そんな在り方の全てを、本気で「偽善」だと思い込んで、自分を否定して卑下していることを知っている。
彼の心が脆く、崩れやすく、崩れてしまえば過ちを犯すことも、知っている。
彼が凶悪で獰猛な二面性を持っているということも、知っている。
そんな暗い顔を見た上で、それでも私は彼の「そうではない」部分に光を当てたい。
ボタンを掛け違えて壊れてしまった人間が居たとしても、ボタンを掛け違える前こそがその人の本質なのだ。
そうであってほしいと、私は心の底から思う。
「私もあなたを、信じているから」
私は祈るように、彼の手を握りしめた。
きっと彼には何の話か分からなかっただろう。けれど私が真剣であることは伝わったようで、彼は頬を赤くし、目を彷徨わせながらも、「あ、ああ」と何度も首を縦に振ったのだった。
何も、ボタンは掛け違えなかった。
正しい選択を積み重ねた。彼の心が陰るようなことはなかった。
何一つとして間違えていないと、そう自負できる。
──なのに、どうして?
「好きだ、すきだ、すきだ、すきだよレイシア」
──何かがおかしいと、そう思い始めたのは、いつのことだったか。
彼と過ごす時間が増えていく度に、彼に致命的なズレを感じるようになったのだ。
彼に向けられる好意が、段々と錆びていくような、黒くなっていくような、そんな感覚があった。
話が噛み合わない。声色がおかしい。私を見ているようで、私を見ていない。
「愛してる、大好きだ、レイシア。君も同じ気持ちで嬉しいよ。僕は世界一の幸せ者だ」
ああ、ダメだ。私が再びそう思ったのは、休暇中に、王城へと招かれた時のこと。
その時私は彼の態度に違和感を抱いていたが、まさか王子からの招待を断るわけにもいかず、彼の元へと会いに行った。
その結果が、これだ。
私は彼の私室に連れ込まれ、寝台へと押し倒されていた。
それが何を意味するのか、分からないわけはない。
──あ。嫌だ。
彼の目を見た瞬間に、私は直感のようにそう思った。
貴族としてのしきたりだとか、リスクだとか、私への負担だとか、立場だとか、そういう理性的な拒絶要因が一切頭に浮かばないほどに、胸の中が生理的嫌悪感で埋め尽くされた。
彼のことは、確かに大切に思っていた。
でもだからといって、何でも許せるわけじゃない。
「やめて」
アイザックの顔を、手で押して遠ざける。
「こういうのは、まだ早い」
そう呟きながら、私は心のどこかで祈ってもいた。
私の「嫌」を切り捨てないで。私という人間を尊重して。それができる人だと信じているから、幻滅させないで。
彼に失望したくない。その感情が、最も広く私の心を占めていた。
私は、前の私が「間違えた」のだと思いたかった。
勿論、自分が悪いのだと進んで自罰的になりたいわけじゃない。ただ──私が間違えていたのならば、私が全てをどうにかできるから。
私が選択を正せば、まだ取り返しがつく。
でも、もしもそうじゃなかったら?
私の選択は何一つ無関係で、勝手に彼が壊れていくように設計されていたのだとしたら、私は一体どうすればいい?
「……なんで、僕を拒絶するの?」
背筋が凍る。その声色には聞き覚えがある。
『──君が、悪い』
一度目に私を殺した時と、全く同じ。
「君が。君が、君が! 君が僕を好きだって! そう言ったんだろうがッ!!」
瞬間、身の毛もよだつような冷気に覆われる。
彼の手の中に、氷で作られた刃物が現れる。
私は叫ぼうとした。けれど彼の手で口を覆われる。
どうすればいい。どうすれば彼を説得できる。いや、説得はもう無理なのか。じゃあ反撃? 隙をついて逃げる? ダメだ、私は彼のように上手く魔法を発動できない。
「なんでっ。なんで僕を拒むんだよ! 僕を受け入れてよ! 僕の全部を! 僕を! もっと! もっともっともっと愛して!」
「んん゙ーーーーッ!」
「……そっか。そっか! ああ分かった! 分かったよレイシア! もっと、ちゃんと一緒になろう!!」
私は首を横に振って、全身に力を込めて藻掻いた。けれど手足がシーツに張り付いて動かない。彼の氷の魔法によるものだ。
「大丈夫。怖くないよ。僕も、同じように死ぬから」
「んんん゙ーーーーッ!!!!」
「うん、うん、大丈夫、大丈夫。……これで、もう、拒まれない」
陶酔した様子で彼が呟く。
私は喉元に迫ってくる氷の刃を見て、頭を左右に振り乱した。死ぬのが怖い。痛いのが怖い。苦しいのが怖い。失望するのが、怖かった。
その全てが、もう手遅れ。
喉の皮膚をブツリと突き破って、切れてはいけない血管を引きちぎって、骨まで食い込んでくる刃の感触を心に焼き付けながら、私は思った。
──あ。この人って。
そんな馬鹿みたいな理由で、私を殺せる人なんだ。




