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第3話 2




× 2 ×




「──、」


 瞼を緩やかに持ち上げる。

 視界に映ったのは白い壁と、光の差し込む窓である。

 私はぼんやりと自分の頭に触れ、それから。


「ッ、ひ!」


 立ち上がり、床に尻もちをついた。

 耳の真後ろから心臓の音が聞こえてくるようだ。爪先まで血液が行き届かず、冬でもないのに凍りそうなほど寒い。

 私は部屋の隅で膝を抱え、カタカタと歯を鳴らした。


「な、なに、い、いま、わたし、」


 私は頭を何度も押さえた。けれど、いくら確かめようとも、手のひらが赤い液体で染まることはない。

 そんなはずはない。

 ──だって私は、アイザックに、頭を、潰されて。


「っ、ゔ」


 思わず両手で口を押さえる。込み上げてくる胃液を何とか身体の底に押し留める。


「ふっ、ふッ、ふぅッ」


 何度も息を吸って、吐いて、それを繰り返す。

 落ち着け。大丈夫だ。私はどこも怪我していない。少なくとも、今は。

 そう言い聞かせて、死への恐怖を何とか噛み殺し、飲み込んだ。


「……大丈夫。私は立てる」


 呪文のようにそう唱えて、私は自分の頬を両手で軽く叩いた。


 ──状況を、整理しよう。


 まず私は、確かにあの時アイザックに殺された。瞼の裏に直に貼り付けたみたいに鮮明に、あの惨状を覚えている。

 卒業式の日、突然豹変したアイザックは手当たり次第に周囲の人間を殺害。そしてその後、私を手にかけた。


 その次の瞬間に、私は無傷のまま目を覚ましたのだった。


「……時間が、巻き戻った?」


 真っ先に思いついたのはその可能性だ。

 死んで、時間が巻き戻った。奇跡的に生き返ったのではなく、死ぬ前に精神が遡行したのではないか。

 私は辺りを見回した。

 ここはどう見ても、私が学園に入学する前に使っていた、実家の私室である。家具の配置や日程表を見る限り、恐らくは。


「私が、転生した直後……?」


 私が死ぬ三年前。

 私が「レイシア」として目覚めた頃に、時間が巻き戻っているのではないだろうか。


 無論、確実にそうだと決まったわけではない。他の可能性も十分に考えられる。例えば、これまで見た記憶が全て長い予知夢であり、実際はつい先程この世界に転生したばかり──だなんてこともあり得るだろう。

 だが、それにしては殺された感覚が鮮明すぎる。あれを全てただの夢だと断じるには、身体を突き抜けた痛みがくっきりとしすぎていた。

 これはただの直感に過ぎないが、アレはただの夢ではない。

 私が実際に体感した、地に足のついた現実だ。


「……レイシア・エルフェドール」


 窓に映る自分の姿を見つめ、私はそう声に出した。

 私が生まれ変わった、もしくは成り代わった少女、レイシア。彼女はセルベルク王国内でも一二を争うほどに有力なエルフェドール公爵家のご令嬢である。エルフェドール公爵家は王家と深い親交があり、レイシア自身も幼少期からよく王城に出入りしていた。正に貴族の中の貴族、王家に次ぐ高位の身分である。


 更にレイシアは希少な魔力を有しており、王立魔法士養成学園への招待を受け、十五歳からの三年間を学園の寮にて過ごすことになる。

 私がレイシアに成り代わったのは、ちょうど十五の春を迎えた時のことであった。


「──」


 私は目を閉じ、頭の中に「情報」を思い浮かべる。


【アイザック・フォン・セルベルク】

〈セルベルク王国の第二王子。銀髪碧眼の青年。優しく穏やかな性格だが、実は天才肌の第一王子に対してコンプレックスを抱いている。甘いものが苦手。レイシアとは幼い頃から親交がある〉


【ライアン・マクロガッド】

〈快活で爽やかな貴族の青年。将来の夢は騎士になることであり、剣術の腕前は学園内でも随一。当代剣聖である父親を尊敬している。正義感が強く、曲がったことが嫌い〉


【セオドア・イリアス】

〈人見知りで内気な白髪の青年。魔法の天才で、魔法に関して深い知識を有している。人と目を合わせて話すことが苦手〉


【クラリナ・カトレーヌ】

〈桃色髪の少女。お菓子作りが趣味で、恋愛話とかわいいものが好き〉


(以下中略)……


「とにかく、この記憶が間違っていないことは分かったわね……」


 レイシアに生まれ変わり、そして死ぬまでの三年間で、私の持っていた事前情報に誤りがないことは判明した。アイザックもライアンも、その他に記憶していた者たちも、皆私の知る通りの人物だった。


「……やっぱり、これって乙女ゲームの世界?」


 そうだとすれば、死んで時間が巻き戻ったことにも説明がつく。

 レイシアが乙女ゲームの主人公だったとして、前回はアイザックルートのバッドエンドを迎えてしまった。だからそこでゲームが終了し、新たにデータがロードされた──なんて見方もできなくはない。

 ゲームの中に転生するだなんて非現実的だが、そんなことを言ってしまえば、そもそも突然魔法の存在する異世界に転生することだって非現実的なのだ。それならば、何が起きていたっておかしくないだろう。


「実際、死亡エンドが存在する乙女ゲームって、珍しくないのよね……」


 乙女ゲームとは見目麗しい男性と疑似的に恋愛模様を繰り広げ、交流を楽しむゲームである。

 が、その実、ロマンチックな舞台に反して、世界観がシビアな作品も少なくない。

 モノによっては少し選択を間違えただけで簡単に死亡エンドに突き進んだり、攻略していたはずのキャラクターに殺されることだってある。乙女ゲームは生易しい世界ではないのだ。


「仮にそうだとして、どの乙女ゲームなのよこの世界は……!」


 登場人物の顔や設定は思い出せるのに、肝心のタイトルとシナリオが全く浮かんでこない。まさか、転生した時に元の世界に記憶の欠片を落っことしてきてしまったのだろうか。

 そうして頭を抱えて唸っていると、コンコン、と部屋の扉が叩かれる。


「失礼します、お嬢様」


 そう声を掛けてから扉を開けたのは、私の専属メイドであるアンナだ。

 最後にアンナと会ったのは、確かプロムの直前だった。私の髪を丁寧に結って、「ご卒業おめでとうございます」と心からの笑みを向けてくれたアンナの顔が、目の前の彼女と重なる。

 まさかあんな悲劇が起こるだなんて、あの世界のアンナも思ってもみなかっただろう。そう思うとたまらなくなって、私は思わず彼女に抱き着いてしまった。


「アンナっ……!」

「お、お嬢様っ?」


 驚いた様子のアンナに、私は「しばらくこうさせて」と、彼女の肩に顔を埋めながら呟いた。

 アンナはレイシアが幼い頃から身の回りの世話をしてくれているメイドで、帰省の度に好物を作って出迎えてくれていた。まるで姉のように私を愛してくれた、優しい女性だ。


「お嬢様? いかがされたのですか? もしや、どこか体調でも……」

「……ううん。平気。大丈夫よ」


 私は「それより、どうしたの? 何か用事でもあった?」と彼女に尋ねた。

 彼女は「ええ、はい」と頷いて、私の顔を見つめながら言う。


「そろそろアイザック様がお迎えに来られる時間ですので、お嬢様を呼びに」

「……そう」


 その答えに、私は「やはり今日は転生直後なのね」と再確認する。

 忘れもしない、三年前のあの日のことだ。黛ミコトからレイシアになったその日、アイザックはこの公爵家まで迎えに来たのだ。

 そして私たちは二人で馬車へと乗り込み、王立魔法士養成学園へと向かうことになる。


 ──君が、悪い。


「……ッ」


 こめかみが酷く痛む。私を罵るアイザックの声と、身体の芯から凍り付くような寒さを思い出し、私は自分の肩を抱いた。


 アイザックが、恐ろしい。

 優しく穏やかな化けの皮を内側から食い破って、見たこともない悍ましい化け物のように振る舞った彼が、怖い。

 当然だ。私は彼に殺されたのだ。その記憶と痛みが、身体の内側にこびりついているのだ。あんなふうにグズグズに腐った悪意を向けられて、恐怖を感じないわけがない。


 でも、それ以上に許せない。

 もしもあれが、ゲームでいう所の「バッドエンド」だとして、だ。その結末を招いてしまったのが私の選択の結果だというのなら、私はどこかで間違いを犯していたということになる。

 この、完璧な私が、だ。

 その間違いから目を背け、アイザックから逃げるだなんて、そんな情けない行為は私に似合わない。だからいくらアイザックが恐ろしかろうと、私は絶対に逃げてやらない。


 私は、彼が私を殺すに至った理由を知りたい。

 それを突き止めて、今度はちゃんと、「正解」を選びたい。

 間違えたままだなんて、絶対に嫌だ。


「……なら、こちらもアイザックを出迎える準備をしないとね」


 私は微笑みながらアンナにそう言った。

 このやり直しが、私に再び与えられた挽回のチャンスだと言うのなら、私は今度こそ絶対に幸福な未来を勝ち取ってやる。

 私は歯を食いしばり、扉の外に足を踏み出した。




× × ×




 この世界では魔力を持つ者が希少である。

 そんな中我がセルベルク王国には、他国に比べて魔力を有する者が多い。

 しかもそのほとんどが、高位な身分である貴族だ。いや、魔力を有する血筋が貴族として権力を持つようになった、と言った方が正しいだろうか。

 そのため高位の貴族ほど沢山の魔力を持っている傾向があり、魔力の有無は権威に直結しているとも言える。

 それほど魔法は万能で、国を支える巨大な柱の一つなのだ。


 であるからして、この国の魔法士養成にかける熱意は凄まじい。その象徴とも言えるのが、この王立魔法士養成学園だ。

 王城に隣接して作られた、巨大な学園である。地下には魔法に関する研究施設があり、その運営は国が担っているそうだ。

 セルベルクでは、十五歳を迎えた子供に、一律に魔力検査が行われる。その名の通り、魔力を持つ者を選別する検査だ。そして魔力を有すると判断された者は、学園へ招待される仕組みになっている。


 かくいう私──レイシアも、勿論魔力を保有している。それも中々に潤沢な量の魔力だ。

 だがしかし、魔力が多いからと言って魔法が得意、というわけでもない。これは例えるなら、体力が多いからと言って走るのが早いとは限らない……みたいなことだ。要するに、魔力量と技術面は全くの別物なのである。

 私には魔法の才がなく、前回も魔法に関することだけは一筋縄ではいかなかった。しかしその分は努力で補えばいいだけなので、何も心配はない。


 加えて、今の私は既に三年分の知識を有している状態だ。強くてニューゲーム、とはまさにこのこと。今回も主席の座は頂かせてもらう。

 よって、これからの学園生活に不安はない。

 全くない、のだが。


「レイシアちゃんレイシアちゃん。オレの名前覚えてる? ウォーレンっつーんだけど。つかマジかわいいなレイシアちゃん。いやァ~隣の席になれて超ラッキ~! これもオレの普段の行いが良いお陰かもなァ~」

「……」

「レイシアちゃんの趣味って何? 好きな食べ物は? てかこの後一緒にどっか出かけね?」


 それは必ずしも、ストレスと無縁、ということを意味しない。

 何故なら、学園にはこの心理的ストレスの塊のような男が居るからだ。


 ウォーレン・グレッグ。

 猫のような吊り目と八重歯が特徴的な、眼鏡をかけた緑髪の男。

 軟派で軽薄でふざけた態度の鬱陶しいことこの上ない男だ。


 前回もこの男には散々付き纏われ、辛酸を舐めさせられた。余程の女好きなのか、彼は事ある毎にうんざりするほど絡んでくるのだ。

 正直に言おう。あまりにも苦手なタイプの男だ。

 そもそも私が黛ミコトであった時から、こういうナンパ男には良い思い出がないのだ。私のことを何も知らない状態で好意的に接してくるだなんてどう見ても怪しいし、まず好きでもない男から圧迫的な好意を向けられたって気味が悪いだけだ。


 レイシアとして生きた一度目の人生では、包み隠さず彼への嫌悪感を露にしたものだ。

 ぶっちゃけて言うと、彼のウザ絡みに耐え切れず何度もキレてしまった。


『──ああああもう鬱陶しいわね! あなた距離感がおかしいのよ距離感がッ!! 私、好きでもない人にベタベタされるのが嫌いなの! 分かったら付き纏わないでくれるッ!?』

『おっと、怒った顔もカワイイな。こりゃますます好きになっちまうぜ』

『ヘラヘラしてないで人の話を聞きなさいよ!!』


 と、このように、理性的な私としたことが感情を抑えきれず、胸倉を掴んで罵ってしまったことが幾千回。

 それなのに怒れば怒るほど、何故か彼は調子に乗って更にしつこく絡んでくる。それが更に私の怒りに油を注ぎ、余計に罵倒がヒートアップしてしまう、という悪循環。

 結局私は三年間この男に絡まれ続け、その度に爪先を踏んづけたり軽く小突いたりするという日々を過ごしたのだった。


 ──まさか、アイザックがあんなことになったのって、このナンパメガネとのやり取りが原因じゃないわよね。


 そんな可能性が頭をよぎり、背筋に冷たい汗が伝う。

 絶対にないと思いたいが、万が一周囲の目にこの男との口論が「嫌よ嫌よも好きのうち」だとか「喧嘩するほど仲がいい」だとかに見られていたとしたら、だ。

 憤死、屈辱、汚名、不名誉、末代までの恥、とにかくこの世に存在する恥辱という恥辱を口内に無理矢理注がれたような心地である。


 ──決めた。今生では、相手にしない。


 私は息を吸い込み、顎を引き、そして。


「お、お~い? どこ見てる? え全然目ェ合わね~んだけど」


 ウォーレンの二メートルほど後ろを凝視することにした。

 どれだけ彼が目の前で手を振っても、絶対に目を合わせない。常に彼の後ろの壁に焦点を合わせる。

 そしてまるで初めから彼の姿が透明に見えているみたいに、彼の存在を完全に視界から消した。

 何か一つでも反応を返してしまえば、彼は水を得た魚のように跳ね回る。相手にするだけ私が損をするのだ。であれば、無視を決め込むのが最適解。感情を表に出せない分、ストレスが溜まって胃に穴が空くけれど。


「何だよ。無視かよ。つまんね~の……」


 頭を掻きながら彼が呟く。

 その声を頭の中から追い出して、私はアイザックのことを考えた。


 彼は私とは別のクラスに所属している。確か前回は、三年間一度も同じクラスになることがなかったのだった。


 ──やっぱり、アイザックは優しかった。


 ここに来るまでのことを思い出し、私は小さくため息をつく。

 アイザックはわざわざ私の家まで馬車を走らせ、「新しい場所に一人で向かうのは不安だろうから」と言って学園まで送り届けてくれた。


『馬車の揺れは平気かい? 気分が悪くなったらすぐに言うんだよ』


 常に私のことを気遣って、周囲に気を配るその姿は、まさに絵に描いたような王子様だった。

 とても、人を殺せる人間には見えない。


『……ッ!』

『大丈夫かい!? や、やっぱり揺れが酷くて酔ってしまったかな……!?』

『い、いえ。大丈夫よ』


 思わず口を押さえた私を見るその青い目も、一切の曇りなく澄み切っている。

 彼が自分を偽って、残忍な獣をその身の内側で飼い慣らしているようには、とてもじゃないが見えなかった。


「アイザック」

「! レイシア!」


 教室の外から声をかけると、アイザックは喜色を露にしてこちらへ駆け寄ってきた。

「良かったら一緒に食堂へ行かない?」と誘えば、彼は柔らかく微笑んで「勿論!」と答える。


 ──そんな彼の顔が、まるでノイズのように、所々歪んで赤く見える。

 分かっている。これはただの、記憶のフラッシュバックだ。血の痕のように頭にこびりついた惨劇を、私の脳が勝手に再放送しているだけ。

 私の理性と本能は、サイレンを鳴らしながらこう訴えかけてくる。

 私はこの人に殺された。皆をこの人が殺した。だから信じてはいけない。近寄ってはいけない。なるべく距離を取って、関わらないで、彼の中から私という存在を消して、と。


 ……それでも、だ。

 それでも、私は彼が、悪い人でないことを知っている。


 三年間、私はレイシアとして彼の傍で過ごした。

 その日々で受けた優しさまでが、なかったことになるわけじゃない。

 たとえ救いようのない末路を迎えたのだとしても、その過程で見た彼の善良さまで否定されるわけじゃない。私はそう思いたい。


 だから、やり直すのだ。

 もう一度、彼と誠実な関係を築き直す。

 彼が道を踏み外してしまうような「何か」があるのだとしたら、私がそれを取り除く。

 今度こそ間違えない。私は、彼に人を殺させない。

 正しい未来を、この手に掴み取るのだ。





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