第51話 ──いってらっしゃい
──やがて、その時がやってきた。
私は自分の胸を押さえ、レイシアに「準備はできてる?」と尋ねる。すると彼女はこくりと頷き、(ミコトが一緒なら、なんにも怖くないよ)と柔らかな声色で呟いた。
これから私たちは旅に出る。
長い、長い、旅路だ。ゴールテープの見えない、無限に続く迷路のような旅へと。
レイシアとは、永遠のような付き合いになるだろう。何せ私たちは、文字通りの一心同体なのだ。私たちは心の中で手を繋いで、お互いの存在を確かめ合う。
「……よし」
私はゆっくりと息を吐き、それから瞼を開けた。窓から差し込む太陽の光が、痛いくらいに眩しい。
ここは昔礼拝堂として使われていた場所らしく、今は廃墟となっているため誰も寄り付かない。アイザックにも、私が認めた人以外は通さないようにお願いしてある。「神様に祈りを捧げる場所で死ぬのはどうなんだろう」と思わなくもないが、かと言って自室で死ぬのも、他の場所で死ぬのも何だかなあという感じだ。
するとその時、部屋の扉が軋んだ音を立てながら開いた。
その隙間から顔を見せたのは、ウォーレンとセオドアだ。ウォーレンは「よっ」と言って片手を挙げ、セオドアはその後ろで唇を曲げて視線を泳がせている。
私は彼らの顔を見てほっとした。約束通り、お見送りに来てくれたのだ。私は椅子から立ち上がり、彼らへと歩み寄った。
「……もう聞いていると思うけれど。症状が重篤化した人が確認されたわ」
それはつまり、私たちにとって今回のループの終わりを意味する。
これからすぐに変異体Xの暴走は広がり、魔力を持つ者たちの正気は失われるだろう。
そうなる前に、私たちは四年前へと戻る。
今回のループで得た知識は全て頭に叩き込んだ。未完成の研究内容を、次のループでも再現できるよう記憶に刻んだ。覚え間違いでもしていたら全てが台無しだから、決して記憶を取りこぼさないよう肝に銘じる。
この数年間の中で、やれるだけのことは全てやったのだ。私がそのバトンを、次の世界へと託しに行く。
「……ねえ」
「え?」
「なんでそこ手繋いでるの?」
私は眉間に深い皺を寄せた。
何故だかさっきからずっと、ウォーレンとセオドアが手を繋いでいたからだ。「どうして私じゃなくてセオドアと?」という目で彼らを見つめていると、「どうして僕と手を繋ぐんだよ……」とセオドアも呟いた。どうやら彼にとっても不本意な状況らしい。
するとウォーレンは顔を顰め、「どうして当たり前のことを聞いてくるんだ」とでも言いたげに繋いでいない方の手を挙げ、自分の顔とセオドアの顔を交互に指さした。
「そりゃだって、オレたち二人は今から好きな女の子を看取るんだぜ? この気持ちを分かち合えるのは今世界でコイツしか居ねえんだ。手くらい繋がせてくれよ」
「離せ! ベタベタする! 手汗拭け!」
どうやらウォーレンは緊張していたらしい。そのせいで手汗も滲みまくっているようだ。そんな光景を、レイシアは穏やかな瞳で眺めている。セオドアが元気よく暴れているのが嬉しいらしい。それならまあ、いいか。
「良くない! 良くないからね! ミコト、コイツどうにかしろ!」
「……ふっ」
「微笑ましい目をするな! えっ、まさかレイシアも同じ顔してないよね。嘘だよね?」
セオドアは何とも形容しがたい表情を浮かべ、それから深いため息をついた。
「……ウォーレン」
「なっ。なんだよ……」
「さっさと勇気出して行ってくれば」
そう呟くとセオドアは、ウォーレンの手を振りほどき、彼の背中を叩くように押した。ウォーレンは数歩よろめいたあと、セオドアの顔を見る。セオドアは頬を掻きながら、ぶっきらぼうな調子で言う。
「僕は、レイシアに言うべきことは、もう全部話したから。次は、君の番でしょ」
「セオ……」
「いつまでも隣でウジウジされてると、僕の気まで滅入るんだよ……」
ウォーレンは何度も頷いて、拳を強く握りしめ、私の目の前へと駆け足でやってきた。
私は彼の顔を見上げた。肝心な所でちょっと眼鏡がズレていて決まらない、その間抜けさが愛おしい。
『──ながいき、しろよ』
ふと、彼の言葉を思い出す。
今目の前に居る彼ではない。五度目の世界の彼が、最期に残してくれた言葉だ。
その願いを私はこれから何度も踏みつけることになるし、見ようによっては叶えることにもなる。いずれにせよ、あの時彼から貰った呪いのような言葉は、私の心を優しく突き刺し続けるのだろう。その痛みを、私は苦しい時の杖にしたい。
「……誰のこと考えてんの」
するとウォーレンが、険しく眉を寄せて言う。私の心が、ここではない場所を漂っていると見抜かれてしまったようだ。彼は拗ねた子供のような顔をして、無造作に頭をがしがしと掻く。そうして意を決した様子で唇を引き結び、私の手をそっと握りしめた。
「ミコトちゃん」
「は、はい」
「……嫌なら、避けてほしいんだけど」
「えっ」
「あでも、できれば避けないでくれると嬉しい……」
私はピンと来た。これは、まさか、チューをされる流れだろうか?
どう考えてもそうだ。そうに違いない。私は勢いよく目を瞑り、「避けない!!」と叫んだ。そして「どこからでもかかってこい」と言わんばかりに顔を突き出す。
そうして心臓をドキドキと鳴らしていると、少し間を置いてから、頬にそっと柔らかな感触が伝わった。
私はゆっくりと目を開け、そしてウォーレンを湿り気を帯びた視線で睨みつける。
ウォーレンは耳まで顔を赤くして、私から目を逸らしていた。
「この意気地なし! 私の期待を返しなさい!」
「いや待って、話とか聞いて」
「なんでこの期に及んでほっぺなのよ! もっとガッと来なさいよ!」
「や、それはアレじゃん。んなことしたらオレがモヤモヤするからさ。肉体的にはレイシアちゃん相手なわけだし」
そう言われ、私は腕を組んで思案した。それは確かに、私もほんのちょっとだけモヤッとするかもしれない。
「だから……本番は、いつかミコトちゃんが自分だけの身体を取り戻した時のためにとっておこうぜ」
彼は目を細めて、優しく微笑みながら言った。私は彼の顔を見つめ、「その言葉、絶対忘れてやらないわよ」と返す。
「……それじゃあ」
「うん」
「私たち、もう行くから」
「……うん」
「……じゃあね」
「うん。うん……」
「……」
「──いってらっしゃい、ミコト」
私は目を見開き、それから笑って手を振った。
「ええ。いってきます!」




