幕間 ライアン・マクロガッド
ライアン・マクロガッドは、王家に仕える騎士の一家に生まれた長男坊である。
五人兄弟の長子として生を受けた彼は、類稀なる才覚の持ち主だった。剣を握れば鬼のごとく。魔を放てば風神のごとく。
マクロガッド家現当主、現剣聖でもあるライアンの父は、彼の天賦の才に心を震わせ──。
「父上! 見てください!」
「──」
「俺、ぜんぶ倒しました! 勝ちました!」
「──」
「“戦い”とは、なんと楽しいものなのでしょうか!」
──そして、彼が「人によく似た怪物」であるということに、誰より先に気が付いてしまったのだ。
× × ×
「ちょっと待ってくれないか」
ライアンは手を挙げてそう言った。
その瞬間、部屋に居た研究者や学者、国の重人たちが一斉にライアンの方を向く。その中でもアイザックは特に眉間に皺を寄せ、苦しげな表情を浮かべていた。
彼らの顔を見まわしながら、ライアンは頬を爪で引っ掻いた。
「そのコールドスリープというのは、つまり、氷の魔法で眠らせる……というか、仮死状態にする、みたいなことだよな?」
四年後のタイムリミットに向けて、その計画は水面下で進められている。
それを知らされているのは一握りの貴族のみである。全ての者に真実を明かせば、必ず暴動が起きるだろうからだ。
これから四年後、あなたたちの精神は崩壊する。だからそうなる寸前でコールドスリープし、永遠に等しい眠りについてもらう。そんなことを告げられて、冷静でいられる者が一体どれほど居るだろうか。自分にはもう未来がないと分かっていながら、それでも残された者たちのために抗える者が。
だからこそ真実を伝えられたのは、その覚悟があると判断された者たちのみなのだ。
それでも当然、簡単に受け入れられるわけはない。
ライアンが制止をかけるのも当たり前だ。「何故自分がそんな目に」と思わずにはいられないだろう。
だからアイザックは、彼に罵られ、殴られる覚悟を決め、その上で彼を説得せねばならないと口を開き。
「──俺はコールドスリープではなく自死を選ぼうと思うんだが、それは構わないだろうか?」
「……はっ?」
唖然とした。
ライアンがどこか申し訳なさそうな、折角の申し出を断ることが心苦しい、とでも言いたげな顔で宣言したからだ。
「あー、その、だな。さっきの話を聞く限りだと、変異体Xに寄生された人は、発狂するだけじゃなくて、魔力が増幅したり、力が増したりしてしまうんだよな?」
「あ、ああ……」
「だとしたら……。その、これを自分で言うのも、ちょっと恥ずかしいんだが。俺は多分氷漬けにされても、自分で氷を割って外に出られると思うんだ」
「えっ?」
「というか、俺なら確実に暴れて外に出て行くだろうな!」
ライアンはあっけらかんと言う。
そして自分の胸を押さえ、「だからそうならないよう、ちゃんと自分で始末をつける!」と続けた。
「というわけで、俺の言いたいことは以上だ! 話の腰を折ってすまない。どうか議論を続けてくれ!」
ライアンは手を下ろし、爽やかに歯を見せて笑った。
けれどその場の空気は固まったまま動かず、ライアンは目を丸くして首を傾げたのだった。
「というわけで、私が来たわ!」
「君は……」
ライアンは剣を振る手を止め、鈴のような声の主へと目を向けた。
そこには意志の強そうな赤い瞳を持つ、小柄で華奢な美しい少女が立っていた。緩やかに波打った金髪を大きなリボンで一つ結びにして、動きやすそうな服装に身を包んだ彼女は、勝気な仕草で腰に手を当てている。
ライアンは剣を鞘に納め、彼女の方へと爪先を向けた。
「エルフェドール家の御令嬢か!」
「ええ。それと……もう知っているでしょうけど、今はミコトとも名乗っているわ」
ライアンは頷いた。
話には聞いている。現在レイシアの身体には異世界から来たもう一つの魂も宿っており、彼女らこそがこの国を救う鍵であると。
「しかし、俺に近づいて大丈夫なのか? 確か、君と長く居ると精神の歪みが激しくなるんだろう? 俺の気がおかしくなったら、君を傷つけてしまうんじゃないか?」
「こうして少し話しているくらいなら平気よ。あなたが四六時中私の後ろをついて歩くというなら、話は変わってくるでしょうけど」
「む、そんなことはしないぞ。人に許可なく付き纏うのはいけないことだからな」
それは正しくないことだ。ライアンは頭の中の「規律本」を捲りながら、腕を組んで首を横に振った。
「それで、俺に何か用か?」
「どうやら皆があなたのことを測りかねているようだから、話を聞きに来たの」
「? 俺のことを?」
ライアンは自分の顔を指さした。一体どういうことだろうか。自分は何か間違ったことをしてしまっただろうか。思い返してみるが、心当たりがない。
するとミコトは近くに生えている大木の下へ行き、木陰の上に座った。そしてその隣を視線で指し示す。ライアンは少しの間瞬きを繰り返して、それから人一人分間を開けて彼女の隣へ腰を下ろした。
ここは父がライアンのために用意した稽古場だ。置かれている物は少なく、とにかく広さばかりがあって、施設というよりも小さな森に近い。
日差しは強いが、木陰の中に居れば案外涼しかった。
「聞いたわ。あなた、コールドスリープではなく自決を選ぶと宣言したそうね」
「……? ああ。そうだな?」
「本当にそのつもりなの?」
「? そうだぞ?」
何故だか繰り返し確認されて、ライアンは首を傾げた。嘘をついているとでも思われているのだろうか。俺は嘘なんてつかないのにな、とライアンは思った。嘘をつく理由が分からないし、嘘をつくのはいけないことだと知っているからだ。
するとミコトは大きくため息をつき、形のいい眉を寄せた。
「……私が言うのも何だけど。あなた、死ぬのが怖くはないの?」
そう問われ、ライアンはきょとんとする。それからライアンは、「もしや彼女は俺の覚悟を測りに来たのだろうか」と考えた。確かに、土壇場で死を恐れて逃げ出すようなことがあれば大変だ。
ライアンは何と答えるのが最適かをしばらく考えて、その答えを唇からはじき出すより先に、彼女にあることを尋ねてみたくなった。
「うーん。あのさ」
「ええ」
「キミは、俺が正気を失った所を見たことがあるか?」
彼女の目が大きく見開かれる。
ライアンは「あるんだな」と呟いた。彼女は居心地悪そうに、少しだけ目を逸らした。
「その世界の俺はどんな感じだったか?」
「……聞いて楽しい話じゃないわよ」
「それでも確かめたいんだ。なあ、俺は支離滅裂なことを言っていなかったか? 自分勝手な振る舞いをして、人を傷つけてはいなかったか?」
彼女は何も答えなかった。つまり、それが答えなのだろう。
ライアンはそれに驚かなかった。
「そうだろうな」
むしろ納得した。
自分という人間の中に詰まっているものの正体を、ずっと前から知っていたからだ。
「……これは、俺の弟たちも知らないことなんだが」
ライアンは、何だか彼女に自分の秘密を打ち明けてみたくなった。それは多分、彼女の抱えているものが途方もなく大きいから、自分のちっぽけな隠し事など些事として受け流してくれそうな気がしたからかもしれない。
「俺は、生まれつき変なんだ」
「……変?」
「人として、やっていいこととダメなことの区別がつかないんだ」
ライアンは自分の手のひらを見つめながら言った。
「暴力は、いけないことだ。人に危害を加えてはいけない。人殺しなんてもっといけない。俺は、それを知っている。“知っている”だけなんだ」
「……」
「本当は、それの何がいけないのかよく分からない。駄目な理由を理解できていないんだ」
人を殴ってはいけないらしい。
人を殺してはいけないらしい。
悪い人はちょっとだけ例外で、死なない程度になら危害を加えてもいいらしい。でもやっぱり殺すのはやりすぎらしい。
でも動物は食べるためなら殺すのも仕方がないらしい。でも苦しめるのは罪で、楽にしてやることは慈悲らしい。
幼い頃、周りの子供たちは虫の足を捥いで遊んでいた。ライアンもそれに倣って遊んでいた。
ある日、近くの村を盗賊の集団が襲った。ライアンはたまたま近くを通りがかり、村人から助けを求められた。だから遊んだ。虫の足を捥ぐのと同じように。
その光景を見た父の顔を、ライアンは今でも鮮明に覚えている。
「考えれば常識的に分かること」が、ライアンには考えても分からない。自分が欠陥品であるということに気が付いたのは、自分を見る父の目が、怪物を前にした時のそれに変わった時だった。
「身体を動かすことが好きだ。戦うのは楽しい。力を振るうとすごくワクワクする」
どちらか一方なら、まだ幾分かましだったのだろう。
せめて人としての心が機能していれば。せめて人並外れた力さえ持ち合わせていなければ。なのにその両方を満たしたせいで、ライアンは人の皮を被った化け物として生まれてしまった。
自分がおかしいことは自覚している。異常性を否定するつもりもない。
けれど──。
「それでも俺は、人でありたいんだ」
ライアンは、人間に憧れていた。
人間のことが好きだった。人間を愛していた。
自分が化け物であるということは分かっている。それでも、人間になりたかった。
人間であると思われたかった。
だから、「正しい」ことに固執するようになった。
ライアンにとって正しさとは暗記科目であり、人間になるための教科書だった。
ライアンが正しいことをすれば、父も、母も、兄弟も、皆が笑っていられるらしい。それに幸福な人が増えて、感謝というものをされるそうだ。その理由は全く分からなかったけれど、自分も皆の仲間になれたみたいで嬉しかった。
自分は壊れている。人の皮を被っただけの怪物だ。
それでも、人を愛していることは本当なのだ。
だから父を尊敬している。誰より早く自分の正体を見抜いてくれたことには頭が上がらない。お陰で本当に超えてはいけない一線を越える前に、善悪の基準を後付けすることができた。
死ぬことが怖くはないのか。
彼女は自分にそう尋ねた。その質問に答えよう。死ぬことは、怖くない。だって、それよりももっと怖いことがある。
それは、人間でいられなくなることだ。
「正気を失う、というのが一体どんな感じかは分からないが……そうなればきっと俺は、生来の怪物性に支配されるだろう」
正しさだけを規範として、それに従って生きてきた。なのにその正しさが歪んでしまえば、封じ込めてきた異常性が堰を切って溢れ出すに違いない。
それは、何と恐ろしいことなのだろう。
怪物に成り下がって生き長らえることに比べれば、人として死ぬことはずっと優しくて、幸福だ。
「それが、俺の答えだ。キミの疑問を解消するだけの価値はあっただろうか?」
「……そうね」
「それなら良かった!」
ライアンは、それから彼女に向けて木製の剣を渡した。
ミコトは目を丸くして、ライアンの顔をじっと見つめた。怪訝な表情を浮かべる彼女の前で、ライアンは大きく口を開けて笑う。
「キミ、強いだろう?」
「……あなたと戦えって?」
「俺を殺さず放っておくのはマズいことだって、キミに分かってもらうべきだと思ってな。ちなみにこれは建前で、本当はキミと戦ってみたくてウズウズしているんだ」
「あなたの剣は?」
「うーん。今はそれ一本しか持ち合わせがないんだ。だから俺は素手でやろう」
すると彼女はため息をついてから、渡された剣をライアンの方へと放り投げた。
そして彼女が手を空にかざし、腕を振り下ろすと、その瞬間に白い剣が大量に地面へと突き刺さった状態で現れる。
手加減の押し付け合いをするのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。彼女はやると決めたからには、一切手を抜かない性質らしかった。
「そうだったな。これが精霊術士か! 呼び出したのは光、いや剣の精霊か!?」
心臓が爆発したみたいに震える。血肉湧き踊る、とはまさにこのことだ。
「情け容赦はいらない! 殺すつもりで来てくれ!」
笑いながらそう告げると、彼女は「容赦なんてしてたらこっちが殺されるわよッ!!」と叫んで斬りかかってきた。
「ぜぇッ、ぜぇッ、ぜぇッ……!」
「今のは何だ!? 精霊……ではないな。アレは最早神域に片足を突っ込んでいるものだ! 一体何を呼び出したんだ!? なあっ。なあっ!」
ライアンは子供のように歓声を上げた。その目の前で、ミコトは剣の柄に頭を押し付けて肩を揺らしている。
「なんッ……なんって体力お化けなのよ……!」
「それは褒め言葉なのか?」
彼女は唇を噛み、地面に拳を叩きつけた。どうやら悔しいらしい。自分に負けて悔しいと思ってくれる人は、彼女が初めてかもしれない。
ああ、なんて楽しいのだろう。ライアンは目を細めて笑った。もっと戦いたい。もっと遊びたい。
けれどきっと、これ以上はダメだ。夢みたいな時間はおしまい。彼女の傍に長く居ると、化けの皮が剝がれてしまう、らしいので。
「これから、俺は旅に出るよ」
ライアンは汗を拭いながら言った。
「もう国中に感染は広がってしまっているんだろう? それなら俺は、俺が死ぬまでに、できるだけ多くの人を助けに行く」
死ぬまでの間、これまで以上に人助けをする。
それはきっと「正しい」行いで、自分を人間足らしめてくれる行為だと思うから。
「ありがとう。きっともう、この世界では二度と会うこともないだろうけれど。最後にキミと戦えてよかった」
「……そう」
「いつか正しい形で出会い直すことができたら、その時はまた手合わせしてくれるか?」
「……ええ。その時は、コテンパンに叩きのめしてあげるわ」
ライアンは目を見開き、それから空を見上げて、真っ白な歯を見せて笑って言った。
「ああ。それは、とても楽しみだ!」




